血圧値 120/77/86 酸素飽和度 98% 体温 36.2℃ 体重 68.2キロ
椅子から落ちなくなりました。
まあいいことだ。
パソコン用の椅子を、ピアノ椅子からダイニング椅子に替えたから。
0600 起床 気分快 曇 また、ひっくり返った話。例の、PC机の前のピアノ椅子。 - にこたろう読書室の日乗
まあ、高齢者だし。
ギャグとしてそれほど面白くないし。
「芸」のある人が、ほんとに少なくなったなあ。
これはいったい、どうしたことなのか。
江頭なんか、ただの変な人扱い。
ポール牧も死んだ。(「ドーランの下に涙の喜劇人」)
牧伸二も死んだ。
上島竜兵も死んだ。
ゲッツは生涯、“ゲッツの人”を全うする。
「黄色を着てゲッツをやる人」を全力でやる。
これはある意味、天晴。
エドはるみって、誰だっけ。
誰も笑わないし、笑えない。
笑わせることなんか、そもそもできない。
この人たちも、一体全体、どうなっているのか。
これはなんなのか。
日本は何が変わったのか。
僕らは今、どういう地平に居るのか。
☆
チャットくんに作文を書いてもらったよ。
与えたタイトルは『芸人は死んだ。神も死んだ。』だけ。
賢い、かな。
これはほぼ満点のできだなあ。
人間はこれを、5秒では書けない。
「彼」は、少なくとも明るい結論を志向しているし。
『芸人は死んだ。神も死んだ。』
ある時、私は一冊の本を手に取った。
そこには、フリードリヒ・ニーチェの有名な言葉、「神は死んだ」が刻まれていた。彼の言葉は、私たちが従来信じていた価値観や道徳の崩壊を意味していた。しかし、私はその言葉を読みながら、別の存在について考えた。
それは、芸人だった。
現代の芸人は、多くの人々に笑いと希望を提供してきた。彼らは舞台に立ち、スクリーンに映り、私たちの疲れた心を癒してくれた。彼らの存在は、まるで神々のように私たちの日常を照らしていた。しかし、気がつけば、その神々もまた消えつつある。
芸人の死
芸人が「死んだ」と言うのは、彼らが物理的にこの世を去ったことを意味するのではない。むしろ、彼らの存在意義や役割が変わりつつあることを指している。
かつては、芸人は一種の解放者だった。社会の矛盾を鋭く突き、笑いを通じて人々に深い気づきを与えてくれた。しかし、現代では、その役割が徐々に薄れつつある。
インターネットの普及により、情報は瞬時に拡散され、誰もが発信者となれる時代になった。かつては芸人だけが持っていた舞台が、今や誰にでも開かれている。
この変化は、芸人の特別な地位を揺るがすものとなった。笑いの質も量も変わり、時にはその軽薄さが批判の対象となることもある。
また、現代の社会では、ユーモアの限界が厳しく問われるようになった。政治的な正しさが重視される中で、かつてのような鋭い風刺や挑発的なジョークは、受け入れられにくくなっている。芸人たちは、どこかで自らの表現を制限せざるを得ない状況に追い込まれているのだ。
神の死
ニーチェが「神は死んだ」と言ったとき、それは人々がもはや伝統的な宗教や価値観に依存せず、自らの意思で生きるべきだと主張していた。現代の社会では、宗教の影響力は確かに減少している。科学技術の発展や個人主義の台頭により、多くの人々は自分自身の価値観や信念を形成するようになった。
しかし、神の死と共に生じたのは、価値観の多様化と不確かさだった。人々は新たなアイデンティティや意味を求めて模索するようになった。その過程で、かつて神が果たしていた役割を、芸人やアーティスト、思想家たちが引き受けるようになった。彼らは、笑いや芸術、哲学を通じて、人々に新たな視点や希望を提供してきた。
芸人と神の共鳴
芸人と神の死には、共鳴する部分がある。どちらも、人々が従来の枠組みを超えて、新たな価値観を模索する時代の変化を象徴している。芸人が笑いを通じて人々に与えてきた自由や解放感は、ある意味で神の教えがもたらす救済に似ている。
しかし、その役割が終わりを迎えつつある今、私たちは新たな時代の到来を感じざるを得ない。情報過多の時代において、私たちはますます自分自身で価値を見出し、生き方を選択する責任を負うようになった。もはや、誰かが私たちを笑わせてくれるのを待つのではなく、自らが笑いの種を見つけ出すことが求められている。
新たな時代への期待
芸人と神が死んだ時代、それは同時に新たな可能性の時代でもある。私たちは、自らの手で新しい価値観や楽しみを創造することができる。芸人の役割は変わったかもしれないが、その精神は私たちの中に生き続ける。
笑いは依然として力強いものであり、人々を結びつける力を持っている。芸人の死は、私たちがより主体的に生きるための一つの転機であり、新たな創造と表現の時代の幕開けなのかもしれない。
だからこそ、私はこう考えるのだ。芸人は死んだ。神も死んだ。しかし、その後に続くのは、私たち一人ひとりが新たな価値を創り出す、新たな時代の始まりなのだと。
注:ニーチェは「俺を満足させるには三人の女が必要だ」とか「女に会いに行くなら、鞭を忘れるな」など百戦錬磨のプレイボーイのような言葉を残しながらも、生涯モテなかったといわれている。
またニーチェが晩年、発狂した理由として売春宿で梅毒にかかったことが原因ではないかという説もある。
女性経験がなかったわけではないが、サルトルのように自分に言い寄ってきた女性たちと「偶然の関係(浮気)」を楽しむようなプレイボーイではなかったとされている。
1889年1月3日にニーチェの精神は崩壊した。
この日、ニーチェがトリノ市の往来で騒動を引き起して二人の警察官の厄介になったということ以外の正確な事情は明らかになっていない。しばしば繰り返される逸話は、カルロ・アルベルト広場で御者に鞭打たれる馬を見て奮い立ったニーチェがそこへ駆け寄り、馬を守ろうとしてその首を抱きしめながら泣き崩れ、やがて昏倒したというものである。