血圧値 126/82/77 酸素飽和度 98% 体温 36.4℃ 体重 67.8キロ
奈良に来る前、地元の病院で大腸内視鏡検査をやりました。
前回はポリープ1個を確認したけど、経過観察になってました。
気がつけばなんと10年!
ちょっと長すぎた観察?
というわけで、ようやく2度目の挑戦。
でも、検査自体はともかく、あの準備段階がねえ、嫌なんですよ。
大腸内が空っぽにならないと検査に入れないから、前日から連続下剤攻撃。
当日も朝から1リットルの下剤攻撃。
アレがりんごジュース状になるまで、下剤攻撃。
これが嫌だなあ。
(なんかお好きな人もいるらしい。ダイエット目的とか。)
それで結果は、良くて何もない、悪ければ大腸がんとか。
これはさすがに、進んで喜んでやるものではないよねえ。
というわけで、今回は3日前からほぼほぼ絶食対策。
お酒も飲まないし。
それでも当日は朝9時前から病院に入って、検査にゴーサインが出たのは、午後1時。
なんだかなあ。
イメージとしては、まさに、こんな感じ。
モニターで見る自分の体内の空洞。
タイムトンネルみたいな、ひだひだのある通路。
外側にいる自分が、モニターで内なる自分を観察する。
ここまでくれば、まあ、面白いですね。
大腸・小腸・胃・食道、と遡ると、理屈では口からまた外部へ戻れます。
でも、小腸は長いので現代医学のスキルではまだ観られないけど。
人間は一本の管、であることの実感。
理屈ではわかっていても、こうして実際に観ることの不思議。
ほんと、人間は、ただの一本の管です。
思考する管。
喜怒哀楽、生病老死、生者必滅、会者定離。
そして、涅槃寂静。
余程の緊急事態でない限り、今回は切らないでもらいます。
結果。
10年前のポリープもほとんど育っていないこと、新たに3つ見つかったけど、これも悪質さはないし小さい、ということで、今回も経過観察となりました。
切っても良い状況でしたが、関西に出かける予定があることと、万が一入院観察になった場合に、入院保証人のサインができないことを踏まえての措置です。
ありがとうございました。お世話様です。
病院を出て、その足で、新横浜へ向かいます。
さすがにちょっと慌ただしいかとも思いますが、「悠々として急げ」。
チャンスの女神には後ろ髪がありません。
☆
というわけで、前回の記事のつづきです。
法華堂から二月堂を見ながら、大仏殿を廻って東大寺ミュージアムへ。
奈良の盆地を俯瞰して、遠く生駒の山が望まれます。
越えれば、大阪。
良い感じの坂道を下れば、大仏殿。
せっかくだからお参りをしていこう。
ここも50年ぶりかな。
半世紀たっても、変わらないもの。
大仏殿は何回も焼け落ち、再建を繰り返していますので、じつは歴史的価値というかそういう芸術としての興味、ありがたみは悪いけどあまりありません。
ある意味、現役・実用の最先端。
それが悪いわけではありません。
ただ、この大仏様(毘盧遮那仏といいます)を中心に据える華厳経(華厳宗)の宇宙論が、今現役で機能しているのか、というのは残念ながら微妙かな。
とても奥の深い、理論的壮大な宇宙論。
日本史の教科書では、こんな風に習いますね。
華厳宗は奈良仏教に属し、三論宗、法相宗、倶舎宗、律宗、成実宗と合わせて南都六宗と呼ばれます。南都六宗は奈良仏教が開かれた当時からの呼び名ではなく、平安仏教が興った際に、京都から見て南で起きた宗派という意味でつけられました。華厳宗を興したのは唐の僧侶である杜順です。
大本山は奈良時代、聖武天皇によって建立された東大寺です。金光明四天王護国之寺、総国分寺、大華厳寺と呼ばれることもあります。本尊は「奈良の大仏様」で親しまれている毘盧舎那仏です。
毘盧遮那仏は宇宙そのものを表しています。
いま、大仏様の坐っている土台に当時のままの蓮の花びらの彫刻が1枚だけ残っています。
これが創建当時の最古の遺物の一つです。
僕の写真では、分かりにくいけど。
こんな感じかな。
『華厳経』の教えで大事なことは、マクロからミクロへダイブする、壮大な宇宙観を持っていることです。
『華厳経』では私たちが生きているこの世界を「蓮華蔵世界」という浄土として捉えます。そして、私たちが生きている世界を起点として、そこから蓮華の花が開くように、宇宙を放射状に、無限大に広げていき、その先にいくつもの世界の存在を見ていこうとする描写があります。要するに私たちが生きている世界を大きな、宇宙的な場として捉えているのです。
毘盧遮那仏が住んでいるのは蓮華蔵世界。
その中心で、1000の花弁を持つ蓮華の上に坐っています。1000の蓮弁それぞれには、100億の釈迦を中心とした世界があります。さらに、その100億の釈迦それぞれも1000の蓮弁を持つ蓮華の上に坐っている、という、合わせ鏡の中を覗き込んだみたいな無限のような世界です。
現代の宇宙観でも、私たちのいる銀河系宇宙は、宇宙全体の中の、ほんの一つに過ぎず、それ以外に無数の宇宙が考えられていますね。これにも似た大きなスケールの宇宙観を『華厳経』は示しています。
僕たちはややもすると、小さな方へ、小さな方へと物事を集約し、その小さな範疇の中で、正しいとか、間違っているとか、善いとか、悪いとか、美しいとか、醜いとか、考えてしまいがちです。そうではなくて、もっと広大な宇宙の中の「私」として自らを捉えるということです。
星屑の一片が私である。そのような「私」の捉え方ができるか、できないかで世の中の見方も、生き方も、大きく変わってくるのではないか。しかもその星屑は、宇宙の一片であるけれども、確かに宇宙全体とつながっています。
そして、僕たちの身体も、外と内がある。
あの内視鏡で見た、体内の光景のように。
宇宙と自分が一体化する、入れ子になる、不思議な感覚。
大腸内視鏡と華厳論。
不思議な出会いを、僕は今、感じているのです。
良弁は東大寺の原型である小さなお寺を造り、そこで華厳経を説き、執金剛神を祈りました。とても興味深い人物です。
特別展示「良弁僧正と東大寺」東大寺開山良弁僧正1250年御遠忌記念
東大寺は奈良時代に盧舎那大仏を本尊とする国家の中心的な寺院として誕生しました。その初代の「別当」(寺務の総裁)となったと伝わるのが良弁(ろうべん)僧正(689∼774)です。良弁僧正は聖武天皇が抱いた仏教で国を治めるという想いを支えて伽藍整備に尽力したため、聖武天皇や行基・菩提僊那とともに東大寺の「四聖」の一人に数えられています。
本年は良弁僧正が宝亀4年(774)に85歳で亡くなられてから1250年目の御遠忌にあたります。東大寺ミュージアムでは特別展示を行い、良弁僧正の生涯が東大寺のなかでどのように伝えられ、学恩が顕彰されてきたのか、その歴史を紹介しています。
あまり時間もないので、ちょっと小走りに拝見してから、戒壇院の諸仏にお参りをします。
長くなりました。
以下次号。