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今年は6月30日が「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」でした。
半年間の穢れや災厄を祓い、残る半年の無病息災を祈る、日本古来の浄化儀礼です。
この神事で唱えられる「大祓詞」に登場するのが、例の瀬織津姫 です。
瀬織津姫は、罪や穢れを川から海へと流し去る「祓いの水神」とされます。
洪水や災害と共に生きてきた日本列島において、「水」は恐怖であると同時に、再生と浄化の象徴でもありました。
夏越の大祓とは、単なる厄払いではなく、災いを水に流し、世界を新しく再生し直すという、日本人の深い祈りの形なのかもしれません。
このテーマは、これまで何回も考察しましたね。
瀬織津姫・セオリツヒメ カテゴリーの記事一覧 - にこたろう読書室の日乗
夏越の大祓で見るべきポイントとして、茅の輪(境界)・水・祓詞・人形(ひとがた)・川や湧水地形などがあります。
大祓詞の中では、穢れは最終的に瀬織津姫 によって水へ流されます。
つまり夏越の大祓は、「半年分の災厄を、水の神話へ返す儀式」とも言えるのです。
☆
丸の内線茗荷谷駅を降りて、北東方面に筑波大学に向かって谷を降ると、また小高い台地を登る坂があります。
この高台に「江戸七氷川」の候補地があるのです。
高低図にプロットします。

地図中の赤いマークの場所にある神社が、「簸川神社」。
この難しい漢字は「ひかわじんじゃ」と読みます。
(紫のマークは後半で触れる「小日向神社」)
台地の状態を、もっと引いた地図で見ておきます。

白山台地と小日向・小石川台地の間の谷は「小石川(千川)」が削ってできたものです。
小日向台地の南側は神田川が削った大きな谷です。
「簸川神社」と「小日向神社」はこれらの台地のふちに建っていることが分かります。



「簸川神社」
東京都文京区千石に鎮座する神社。
御祭神は素盞鳴命・大己貴命・稲田姫命の、いわゆる氷川ファミリー。
社伝には、次のように書かれています。
旧社格は村社で、小石川総社とされ小石川一帯の鎮守を担った。
紀元前より鎮座していたと伝わる古社で、現在の小石川植物園の貝塚古墳上に鎮座していたと云う。
江戸時代は「江戸七氷川」のうちの一社に数えられ、江戸の名所の一社であった。
古くは「氷川明神」と称された氷川信仰の神社で、「簸川」の字を充てるのは大変珍しく、これは大正時代に「氷川」は出雲国「簸川」に由来する説から適号として「簸川」へ改めた経緯がある。
孝昭天皇三年(BC473)に創建とあるのですが、白山御殿(徳松・後の五代将軍綱吉の別邸とされた御殿)の御殿坂辺あたり(現・小石川植物園内南東の水源地)の貝塚の古墳上に鎮座していたそうで、相当古くからある聖地であったことは言えるでしょう。
平安時代後期、源義家(八幡太郎)が奥州下向の際、当社に参籠したとも伝わりますが、前九年の役と後三年の役、どちらの戦いで当社に参籠したのかは不明。

(「氷川明神社 聖冏庵旧跡 祇園橋」『江戸名所図会』)
上の絵図を見ても、高台に鎮座している様子が分かります。
『江戸名所図会』には「上水堀の端、慈照山日輪寺といへる禅林にあり。祭神は当国一宮に同じ。勧請の始め久うして、しるべからずといへり。中古太田道潅の再興にして、小日向の鎮守なり」とあります。
『望海毎談』にある江戸七氷川のうち、「上水の鰭なる萬年寺山の社」は当社のことであろう、という説があります
ここに遷座したのは元禄十二年(1699)で、以後ずっと当地に鎮座しています。
突き当りの石段を登ると本殿があります。


左に稲荷社、正面が「簸川神社」本殿です。途中になにやら輪のようなものが見えます。
あれが「茅の輪(ちのわ)」というもので、この茅の輪をくぐることを「茅の輪くぐり」といいます。


茅の輪くぐりの由来については牛頭天王の関連で以前にたびたび触れました。
備後国(広島県東部)を旅していたスサノオノミコト(牛頭天王)は宿を探していました。そのとき、蘇民将来(そみんしょうらい)という人物は貧しい暮らしをしながらもスサノオを手厚くもてなしました。
数年後、スサノオは再び蘇民将来のもとを訪れ、「病が流行ったら茅で輪を作り、腰につけて難を逃れなさい」と教えました。
その後、教えを守った蘇民将来は難を逃れることができたそうです。
昔は茅の輪を腰につけて無病息災を願いましたが、江戸時代初期ごろに、現在のように大きな輪をくぐるようになったといいます。
左に1回、右に1回、最後に左に1回くぐります。
「結界」を通り抜ける儀式です。
輪に茅が使われる理由には、茅に利尿作用があり、生薬として用いられ、夏の体調回復に使われていたから、あるいは茅は魔除けの力を持つと考えられていたから、などの説があります。
茅の輪くぐりとは何か|意味・由来・くぐり方を神社参拝前にやさしく解説 | 日本の神社・神道・伝統文化|かみのみち ~ 神の道 ~
本殿脇の稲荷社。
可愛い招き猫が奉納されていました。


荘厳だったと伝わる旧社殿は東京大空襲で焼失。
昭和三十三年(1958)に現在の社殿が再建されました。



神社の脇の「氷川坂」。かなり急な坂道です。


ここから、もと来た茗荷谷駅へ戻ります。
そして南側の小日向台地を越えると江戸川橋へ降りるのですが、この台地の上に「小日向神社」があります。
(上記高低図の紫のマーク地点)

この脇の入口から階段を降りると境内です。


「小日向神社」

祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の2神。
明治2年(1869)小日向水道町(小日向一丁目)の氷川神社と音羽九丁目裏(音羽一丁目)の八幡神社を合祀した神社。氷川神社は天慶3年(940)平貞盛がこの地を平定した奉賽として創建したと伝えられる。

(氷川明神社・金剛寺・本法寺『江戸名所図会』)


こちらには「茅の輪」は無く、七夕飾りがありました。
目白通りから訪れるには、この服部坂を登ります。

服部坂の名は、坂上に服部権太夫の屋敷があったことに因み、小日向神社の境内がその屋敷跡であるということです。




坂を下りきると神田川を古川橋で渡ります。
江戸川橋から3つ下流の橋です。
今回の2社の訪問で、「江戸七氷川」を7カ所コンプリートしたことになります。
東京メトロ有楽町線「江戸川橋駅」から帰宅しましょう。
| 神社名 | 所在地 | 特徴・由緒 |
| 赤坂氷川神社 | 港区赤坂 | 江戸七氷川の筆頭。徳川吉宗が建立した社殿が現存。幕府の祈願所。 |
| 元氷川神社 | 港区赤坂 | 徳盛寺境内に鎮座、明治16年赤坂氷川神社に合祀。 |
| 麻布氷川神社 | 港区元麻布 | 徳川家光の命で現在地へ。セーラームーンの聖地としても有名。 |
| 渋谷氷川神社 | 渋谷区東 | 渋谷区最古の神社。広大な森を持ち、江戸郊外の景勝地だった。 |
| 簸川神社 | 文京区千石 | 巣鴨の入口、小石川の植物園近く。のち高台に遷座。 |
| 小日向神社 | 文京区小日向 | 上水の鰭なる萬年地山の社。明治2年田中神社を合祀して改称。諸説あり。 |
| 白金氷川神社 | 港区白金 | 羽根田村にて新堀近きところの社。新堀川を渋谷川(古川)とすれば白金が該当。諸説あり。 |






















































