血圧値 115/69/76 酸素飽和度 98% 体温 36.1℃ 体重 71.0キロ
今回の奈良法華寺巡行、いくつか見残したものがあります。
概要はこちら。
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時間の関係で、観られなかったのは、こんな感じ。
海龍王寺の十一面観音、遣唐使船の復元模型、その他の展示施設をゆっくり見ること。
なので、また行きましょう。
課題があれば、行動できます。
目標があれば、明るくなります。
生きていくことに、喜びがあります。
なにか、見るべきものは一つ、残しておく。
また来られる日のために。
急いで全部見終えてしまわない、こころの余白。余裕。
これは昔からの和歌の文化では、「歌枕」と呼びます。
能では「秘すれば、花」、かな。
和歌によって知るあこがれの地。
和歌だけではなく、小説や絵画、映像などの芸術作品のなかに描かれたり、評判を聞いたりする土地に対するあこがれ。
一度はそこに行ってみたいというような気持ち。
「歌枕」とは、端的に言えば、「和歌」の中に詠まれた地名のことですが、しかし、ただそれだけではなく、必ず「あの」和歌に「あのように」詠まれた「あそこ」、という思い入れを持って想像される場所であることが歌枕の条件です。
歌枕は実在の景勝地というよりも、歌人の間で共有された心の風景という側面が強く、和歌の中にだけ存在した想像上の名所とも言えるものでした。
虚構を信じ、それを集団で共有することができるのが、ホモ=サピエンスの特異な能力だ、とイスラエルの人類歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは看破しました。
これは「歌枕」の話題にも当てはまりますね。
だれも「現実」として目にしたことがない。むしろ見ないほうが良い?
見てしまったら、狭められてしまう、失われてしまうもの。
「歌枕」を定義します。
「歌枕」とは:
見るべきものは、あえて一つ、残しておく。
一度に全部見終えてしまわない、こころの余裕・余白。
心は、ひとつ残して、通り過ぎる。
武道ではこれを残心、と呼びますね。
ひかれる思い。淡い悔恨。
先につながる心。そして明日への希望。
生きていれば、また来られます。
打ち寄せて、此処に戻る。
よくこういうことを言います。
「名物に旨い物なし」
「日本3大がっかり」な観光地
先行イメージと現実とのギャップは、何にでもあるでしょう。
むしろ、それが普通というべきでしょう。
その普通の対極に「歌枕」があるのです。
普通のむこう側に立ち現れる虚構を信じるための装置が、「歌枕的思考」です。
これは日本人の、そして人類の知恵のひとつです。
虚構が心を動かす。人を動かす。
ちょっと軽い言い方ですが、これを「Zen・禅」と呼ぶ人もいるかもしれません。