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今年の年の初めに発願した目標、「秘仏巡礼」の最初の行動は、奈良の法華寺の「国宝十一面観音立像」です。
0600 起床 気分快 晴 秘仏巡行 これからの目標を設定します。いのちの形見のような体験に向き合えれば、ということです。 - にこたろう読書室の日乗
このように【秘仏】というタグを打つ旅の記録を、僕はこれからあと何回書くことができるのかな。人生の走馬灯の最後の何周かの華やぎとして、愉しみにしていこうと思います。
この仏像は、僕が中学生のころから、ぜひ一度はお会いしたいと思っていた仏様ですが、秘仏ということもあって、なかなか果たせなかったので、今回、急遽出かけます。
法華寺は、奈良の都の平城京の東北部分にあったお寺ですので、平城宮跡の歴史公園をついでに見学することとします。これがなかなか見事なもので、奈良時代のいろいろな建物が復元展示されているし、しかも時は春、桜のちょうど見ごろの季節です。
東京からのアクセスは、京都経由、私鉄の西の雄、近鉄で大和西大寺。
平城京は東に東大寺、西に西大寺という大伽藍を配置していました。
今はご存じの通り、東大寺は大仏殿を中心に発展してきましたが、西大寺は滅びて何も残っていません。
ここから電車を降りて、東方面、かつての平城京の政治の中枢部分である平城宮跡地の一角に向かいます。
駅の看板は、こんな感じ。
駅を出ると、秋篠川を渡ります。
桜が咲いてます。
この近くに秋篠寺という、伎芸天で有名なお寺があるのですが、今回はスルーです。残念。
このお寺、奈良時代後半の創建後は奈良のその他のお寺よりも遅く、平安時代に入る頃に金堂や東西両塔などを有する立派な伽藍を完成させることになり、桓武天皇が崩御された後には五七忌が秋篠寺で開かれるなど天皇家との関係性も持ちながら一定の規模のお寺として機能し続け、お寺の所領をめぐって少し離れた場所にある西大寺と争いになることもあったとされています。
保延元年(1135年)に戦火に見舞われた秋篠寺は金堂・東西両塔なども含めて伽藍内の建築のほとんどを失うことになり、鎌倉時代になってから現在の本堂などが復興されることになりました。
その後も江戸時代にかけてそこそこのスケールを有するお寺として長らく歴史を刻み続けましたが、明治に入ると廃仏毀釈のうねりに抗うことが出来ず、本堂一帯を除く寺域の大半が失われるなど受難の時代を迎えます。
また、ご縁があれば、訪れることができるでしょう。
そのまま、東に進むと、かつての奈良の都、平城京の政治の中枢があった地域に到着します。
「平城宮」と呼ばれる、宮城です。
こんな立派な博物館ができました。
この辺り、ずっと水田地帯として運用されてきたため、この奇跡の遺跡が無事に手つかずに保存されました。
今、それを発掘調査し、かつての平城宮の姿を再現・復活させるという大事業が進行中です。
僕が中学校の修学旅行で奈良を訪れたころは、こういうプロジェクトはまだまだ、端緒に着いたばかりだったのでしょう。
今はまったく違う様相を呈しています。
少し時間をとって、見てみたいと思います。
次号に続きます。