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今朝の空は、ちょっとおだやかな感じです。
昨日はアクセス数が、瞬間最大風速、のような跳ね上がりを見せたのですが、なんなんだろう?
たいしたことを書いていなくて、申し訳ないです。
さて、台風のごたごたで、なんかうやむやになってしまった今年のお盆ですが。
お盆が来ると、僕はいつも一人の伯父さんのことを思い出します。
僕の母親の兄、に当たります。
母親の父は石井百太郎といい、その妻はのぶ。
その次男がいま語ろうとしている「静郎」(しずお)。
その長女で静郎の妹が僕の母である裕子です。
考えるところがあって、ここは実名を記します。
つまり、何らかの情報があれば、ぜひ教えていただきたい、と思うからです。
(しかし、当時のことを知っている方は、もうわずかです。手遅れなのかもしれませんが。)
このひとたちはもうこの世にいませんから、お盆の時に思い出したり、ご供養をしたり、その生きざまに思いをはせたり。そういう気持ちのうえでの遣り取りがあります。
ところがこの中で、「静郎」伯父だけは、ちょっと事情が違います。
この前の15年戦争(大東亜戦争)で出征し、外地で亡くなったのですが、普通の戦死とかではない。
亡くなった日付は終戦後の昭和22年です。
それも、ほとんど情報がない死亡で、もちろん遺骨もなにかゆかりのある品物も何もない、とても悲しい、残念な状態にあるのです。
なので、お盆の時も、どのようにご供養してよいかも分からない、とても宙ぶらりんな感じになってしまっています。
抑留死。
帝国陸軍の兵士として応召・出征し、満州の戦場で終戦を迎えた後、そのままソ連軍により捕虜になり、戦後そのまま抑留されたのちの、強制労働による衰弱死、あるいは病死。
これが伯父の死の状況です。
これについては去年、ちょっとこのブログでも触れました。
0540 起床 気分並 晴 僕と戦争は、この部分で繋がっています - にこたろう読書室の日乗
祖父百太郎さんは僕が生まれる前に亡くなっていましたが、のぶさん(お祖母ちゃん)に僕はとても可愛がられて、大学も行かせてもらったりしました。
その資金のベースはのぶさんが受給していた静郎伯父の軍人恩給だったと思います。
なので恩があります。
のぶさんは、この次男の伯父さんのことをとても不憫に思っていたでしょうが、僕はあんまり親身になって、お話を聞いたり、情報を集めてあげたりできなかったなあ。
ちょっと、悔いが残るのです。
お盆になると、いつもそう思います。
のぶさんも、僕の母も、父も(この人はマスオさんみたいな立場でしたが)、もうこの世に亡く、僕も去年、死にかけましたので、このまますべてがうやむやに終わってしまうのはどうにもおさまりがつかない気持ちです。
なので、これから折にふれて、この「静郎」伯父についての、僕の調査に基づく、ささやかな報告をしてみたいと思います。
これは僕の終活の、重要な一部分なのです。
とはいっても、ほとんど断片的な情報しかありません。
やはり、お祖母ちゃんにもっといろいろ聞いておくべきだったなあ。
でも、あんまり話したがらなかったんですよ。実際。
では、またの機会に。