にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0540 起床 気分並 晴 僕と戦争は、この部分で繋がっています

血圧値 110/71/79 酸素飽和量 97%  体温 36.4℃ 体重 67.9キロ


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雲がもこもこ湧いてます。今日は28度くらいまで気温が上がるそうです😃 夏ですね🌻

今朝は、鳥の声が良く聞こえます。鳥も機嫌が良いのでしょうか🎵

 

いつも思いますが、窓の上を電線の影が写り込みますね。目黒通り本線は電柱を撤去し、電線等の地下埋設が完了しているのですが、路地はまだまだ進みません。残念。

 

今日はコナミに行かない日で、土曜日のゆっくりとした朝なので、ボウっとしています。チコちゃんに叱られます。

炊飯器玉子は、けっこう固ゆでですが、まずまずでした。なんと10枚切食パンていうのがあったので、買ってみます。これで、十日間も食べられる。痩せるのか?

 

日本海海戦117周年、記念艦「三笠」で式典 両軍の戦死者悼む ウクライナに思い重ねて2022/5/27 21:31 © 株式会社神奈川新聞社

ネットのニュースで知りましたが、そうか、昨日今日は、日露戦争に関わりのある日付だったのか。

 

日本海海戦 1905年5月27、28日の両日、日本海軍とロシア海軍が行った海戦。戦艦4隻、巡洋艦8隻を含む96隻からなる日本の連合艦隊と、戦艦8隻、巡洋艦6隻などロシア・バルチック艦隊38隻が激突。連合艦隊はロシア側の19隻を撃沈させた一方、自軍の損害は水雷艇3隻のみと完勝し、日露戦争の勝利に大きく貢献した。

 

この年から数えて、今年は117周年目に当たるそうです。なんか半端な数字だな。毎年やるからですね。昨日、横須賀の三笠記念館で式典がそこそこの規模で行われたようですが、「日露」っていうのは今のプーチン戦争の状況を考えて、微妙なものがありますね。

さて。

○○から今年で何年経ちました、という感慨のあり方は、人間独特の感情なのでしょうか。少なくとも猫にはなさそうです。

数式で書くとこうなります。

=year(today()) - 年数

エクセル人間の人には、瞬時ですね。(ちなみに僕は計算がとても苦手です。)

予備ノリで、英文法を復習しておくと、「・・・してから何年になる」の表現は、4つくらいあります。(僕は英語もとても苦手です。)

例えば「私の父が亡くなってから5年になる。」という日本語に対して、4つくらいの文例がありますね。なんと、同じ意味の内容を表すのに 4種類もの表現ができるんだ。

文例

① My father died five years ago.
② Five years have passed since my father died.
③ It is [has been]  five years since  my father died.
④ My father has been dead for five years.

感想

①「私の父は」「5年前に」「亡くなった」★過去の事実の報告、感情や評価は保留
②「父が亡くなってから」「5年が」経過した★時間の経過そのものに対する感慨
③父が亡くなってから「5年だ」と言い切る、もしくは「5年になる」★過去に訣別する意志をほのめかす感じ(言い切る場合は is 、「経過」のニュアンスを表したい時は has been )
④「亡くなった状態が続いている」★過去が(父が)現在(私)に影響し続けている感じ

「私」と「父」との間の、もろもろの人生のドラマが垣間見えて、面白いですね。ここでふり返られている「5年間」が、この二人の人の間の「歴史」です。人に歴史あり。親子関係は、それぞれ、いろいろです。人間の永遠の課題の一つです。

そういえば、某国営放送の人気番組に「ファミリーヒストリー」というのがあります。有名人とはいえ、「ただの人」の系譜をお金をかけて取材して何が面白いのか、というご意見もあります。

誰であっても、時を遡れば、必ず何かにたどり着きます。これは当たり前のことです。
自分のヒストリーを、これまでまったく気にかけてこなかったという人が大多数でしょうから、一生に一度くらい、両親や祖父母の代までのいとなみをたどって、社会やさらには大きく世界との繋がりに興味の目を向けてみても良いのでは、ということを番組製作者は言いたいのではないかしら。

僕の母方の伯父は15年戦争に駆り出され、南方から満州に転戦し、かろうじて生き延びましたが、敗戦後ソ連軍により拘束・抑留されて強制労働に従事させられ、最後は沿海州野戦病院で亡くなり、お骨もないのです。祖母も母も今はもう亡くなり、ご縁のある親族は僕の妹くらいしか居ませんが。

祖母が持っていたおじさんの写真

僕と戦争は、この部分で繋がっています。

 

相続の手続きの時、祖母の里の大網白里市まで戸籍を取りに行って、子供の頃のことをとても懐かしく思いだしました。

僕が生まれて初めて天の川をみたのは、ここ九十九里浜の片貝海岸でした。暗い砂浜の向こうに海があって、輝く星の砂が、天上からなだれ落ちて見えました。

昼間の海の光景。地引網なんかをしたかなあ。


整理整頓の波が、ついにダイニングにもおよび、テーブルの上にも本の山が。
キャベツと牛豚肉のコンソメスープに、オートミール玉子イクラ載せ。赤ワインを少々。

陽の沈まないうちに。

ではまた、明日。