にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分快 晴 月照寺の「贔屓」のこと。むしろ、彼は喜んでこんな重いものを背負っている。

血圧値 125/82/69 酸素飽和度 98% 体温 36.6℃ 体重 69.2キロ

 

この前、「ひいき」の正体について書いたのですが、あれを読んでくれたお友達からLINEメールをいただきました。

 

もとのブログはこちら。

 

0430 起床 気分快 晴 「ひいき」って、なんのことだ! 美味しいの? 64年も生きてきて、昨日初めて知りました。 - にこたろう読書室の日乗

 

島根県松江市松江城の近くのお寺に、夜な夜な城下町を徘徊して人間を食い殺す亀の妖怪みたいなもの、に関する伝説があって、その亀はじつは境内にある碑文を担いでいる贔屓らしい、という情報です。

 

僕は全然知らなかったんだけど、けっこう有名な話らしい。

 

お寺の名前は「月照寺」。

 


右上の写真の、碑文を担いでいるのが「贔屓(ひいき)」ですね。

たしかに、亀みたいに見える。

 

松江城の西側に位置する「月照寺」は、松江藩主を務めた松平家の廟が納められている古刹。約1万㎡の広さを持つ境内には、本堂や宝物殿に続き、初代から第9代藩主までの廟所が厳かに並んでいます。

 

第6代藩主・宗衍(むねのぶ)公の廟所へ赴くと、大亀の石像に出会います。大人の背丈ほどもある迫力の大亀は、その背中に高さ約3mの「寿蔵碑」を載せています。

宗衍公が50歳になった折、息子である不昧公が父の長寿を願って建立したものですが、実はこの大亀には奇妙な伝説が残っているのです。

諸説あるのですが、その中の一つが、松江をこよなく愛した明治の文豪・小泉八雲の随筆『知られざる日本の面影』に登場します。

 

月照寺の大亀伝説】

松平家の藩主が亡くなられた後、亀を愛でていた藩主を偲んで大亀の石像を造りました。ところが、その大亀は夜になると動きだし、蓮池の水を飲んだり、城下の町で暴れ人を食らうようになったのです。


困り果てた寺の住職は、深夜、大亀に説法を施しました。すると大亀は、「私にもこの奇行を止めることはできません。あなたにお任せいたします」と、大粒の涙をポロリポロリと流しながら頼んだといいます。そこで、亡くなった藩主の功績を彫り込んだ石碑を大亀の背中に背負わせて、この地にしっかりと封じ込めたのでした。

 

別系統の話も残されています。

 

それによると、月照寺の池にいた亀が妖力を身につけ、夜な夜な町を徘徊して人を襲って喰らうことをしたので、住職は、藩主の廟所に大亀の石像を安置し、その法力で亀を封じたといいます。

 

この伝説では、亀は重い石碑によって封じられていますが、もともとこの贔屓という亀(じつは亀ではなく龍の子どもですが)は、重いものを背負うのが好きなのです。

だから、罰としてこの石を背負わせたというのは、極めて日本的な府会ですね。

むしろ、彼は喜んでこんな重いものを背負っている。

 

家康みたいなやつですね!

 

【楽天市場】【直筆限定品】徳川家康の名言「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず」額付き書道色紙 ( 贈り物 プレゼント  ギフト 壁掛け ~ : 直筆書道の名言色紙ショップ千言堂

 

列子』『淮南子』『史記』には、天を支える柱に亀の足を使ったことが書かれているし、また、『列子』では五山を支える土台としても亀が使われています。これらのことから、亀が世界を支えているという思想が古代中国にはあったとおもわれます。

 

その亀が、化けて出て人を殺す、などという発想は、日本にきてからのものなのかも。

ただ、今回いろいろ探してみましたが、今の僕の検索能力では、似たような怪異の事例を民俗学研究の史料からはまだ発見できません。

そうとう珍しいプロットなのではないかな。

 

日本では、この「贔屓」の姿にお目にかかれるところはそんなに無いように思いますので、こんど山陰に行ったら、松江で降りて、このご贔屓様にお会いして来よう。

 

他にもどこかにあるのかな?

知っているかた、教えてください。