血圧値 122/87/70 酸素飽和度98 % 体温 36.2℃ 体重 68.0キロ
昨日は凄く寒かったですね。
でも、今日はもっと寒い?
しかも、この後天候は目まぐるしく、変化。
後遺症の痺れの度合いは、大丈夫かな?
昨日ですが、コナミに朝一で行ってから、鶴見に出かけました。
懐かしい人に会う用事です。
鶴見はとても興味深い地域です。
ここは始発・終着駅で、こんな感じの昭和・戦前感溢れる、行き止まりホームになっています。
天井のトラス構造の鉄骨もいい感じ。
鶴見線の路線図です。とても不思議な形状です。
ヒトの脳のMRI写真みたいですね。
本線が脳動脈で、支線が穿通枝。
10数年前、僕は浅野駅あたりが詰まってラクナ梗塞になり、1年前には新芝浦あたりが切れて脳出血となりました。
笑えないたとえ話だなあ。
さて。
鶴見線とは。
鶴見線は本線とふたつの支線で成り立つ路線であるものの、ほとんどの列車は、鶴見駅を発着します。
鶴見~扇町間の本線7.0km、浅野~海芝浦間の通称「海芝浦支線」1.7km、武蔵白石~大川間の通称「大川支線」1.0kmで構成される鉄道路線です。
この鶴見線、土休日ダイヤの昼間を見ると、本線の途中駅である浜川崎までは1時間あたり1~2本の運行がありますが、終点の扇町や支線の海芝浦に行こうとすると、運行本数は1~2時間に1本程度。さらに、大川行きに至っては1日3本のみ。
車内も比較的空いていることから、「都会のローカル線」と紹介されることもしばしばあります。
大川支線は、平日は1日9往復と、土休日の3倍の本数が走っているものの、それらはすべて朝夕に偏っており、日中の運行はありません。つまり、この時間帯の列車を乗り逃すと、次の乗車チャンスは夕方まで巡って来ないのです。
JRには珍しく人名由来の駅名が多いのも特徴の一つ。
浅野、安善、武蔵白石、大川の各駅が、同線由来の財界人の名から付けられています。廃止となった駅として若尾駅があり、これも財界人の名から取られているそうです。
これは、鶴見線の前身が、浅野財閥総帥・浅野総一郎によって創設された「鶴見臨港鐵道」という私鉄だったからです。
浅野駅から安善、武蔵白石、大川と隣り合って並ぶ駅の順番は、総一郎と絆の深い人物の名前の順になっているのです。
①浅野総一郎【浅野駅】
富山県出身で、上京して砂糖水売り、竹の皮商から始めて一代で浅野財閥を築きあげた立志伝中の人物。総一郎は石炭の廃物とされていたコークスを燃料として再利用して販売することに成功する。
彼の運命を決定付けたのが、渋沢栄一との出会いだった。渋沢が代表取締役を務める王子製紙の工場からコークスを引き取ったことが縁となって、総一郎の働きぶりを渋沢が目にとめる。総一郎はセメントが建設資材の柱になることにいち早く着目して、1884年に官営深川セメント製造所の払い下げを好条件で受けることに成功した。渋沢の口利きのおかげだった。それが浅野セメント(現・太平洋セメント)へと発展していく。
総一郎は川崎・鶴見地区の埋立て事業へと手を広げる。1924年、その埋立て地に鉄道路線を敷設するため鶴見臨港鉄道を設立した。
鶴見臨港鉄道は、1926年に現・JR鶴見線の弁天橋―浜川崎間、及び支線にあたる武蔵白石(分岐点)―大川間などを開業させる。当初は貨物専用路線で、国有鉄道の線路とは浜川崎で接続させるルートである。
この時、浅野、安善町(現・安善駅付近)、武蔵白石、大川の各貨物駅が開業した。私鉄だったため、民間人の名前を駅名にできたわけである。1930年に鶴見―弁天橋間を開業させ、同時に旅客輸送も開始している。京浜線(現・京浜東北線)と鶴見駅で乗り換えられるようになり、旅客にとっては飛躍的に便利になった。
安田銀行(後の富士銀行、現・みずほフィナンシャルグループ)をはじめとした安田財閥の創始者。彼も浅野総一郎と同じ富山県出身で、上京して玩具屋や両替商の奉公人から大出世を遂げた。
安田善次郎は総一郎を信頼し、他の銀行が難色を示すような案件でも、総一郎の事業拡大のために融資を続けた。総一郎が川崎・鶴見の埋立て事業を開始した頃、善次郎は70代半ばだったが、総一郎と共に海辺の宿屋に泊まり込んで現地を見て回った。固い絆で結ばれていた2人の関係を徳富蘇峰は「浅野はエンジン、安田は石炭(エンジンを動かすエネルギー源=資金)」と述べ、その言葉は広く語られた。1921年、善次郎は暴漢に刺殺されてしまう。その5年後の鶴見臨港鉄道開業時、浅野駅の隣の駅を安善町駅(現・安善駅のやや武蔵白石駅寄り)と名付ける。
③白石元治郎(1867~1945年)【白石駅】
総一郎の秘書。帝国大学卒業後、渋沢栄一のすすめにより、まだ大会社になっていない浅野商店に入社。総一郎のもとで休日返上で業務をこなし、総一郎の娘婿にもなり、1912年設立の日本鋼管(現・JFEホールディングス)初代社長、鶴見臨港鉄道二代目社長となる。
彼は渋沢栄一の前妻の甥で、大学南校などで学んだ後、アメリカで製紙技術を習得する。大川が20代半ばの頃、総一郎の大恩人である渋沢の代理として深川のセメント工場の経営に参画、後に富士製紙社長に就任し、「日本の製紙王」と呼ばれるようになる。
このように、鶴見線の路線図は、日本の近代化・工業発展のロードマップを示しているような駅名の配列ですね。
浅野駅で降りて、2軒、お店に寄りました。
この地域、沖縄の人とブラジルの人とのご縁が深いのです。
日本には沖縄出身の方が出稼ぎで来られて住み着いた街がいくつかあるのですが、ここ鶴見もその一つ。
沖縄っぽい「潮田神社」は狛犬がシーサーだし、『ちむどんどん』の後半の舞台だし。
まあ、僕は良く知らないんだけど。
①沖縄そば うちなーすばヤージ小
ビールとソーキ煮込みと玉子ソーセージを頂きました。美味。
居酒屋ではない、ということで泡盛は置いてなかった。
凄い行列店です。
日本にはブラジル出身の方が出稼ぎで来られて住み着いた街がいくつかあるのですが、ここ鶴見もその一つ。
鶴見区は市内で2番目に外国人人口が多く、特に南米国籍の外国人は市全体の約40%が住んでいます。このため、区内には南米料理を提供するお店が多く存在し「南米タウン」と呼ばれています。
「南米タウン」は、鶴見駅から鶴見川に架かる潮鶴橋を渡った「仲通商店街」にあります。
「仲通」や「潮田町」の地区一帯が「沖縄南米タウン」と呼ばれています。
参考までに、全国の数値は、ブラジルの人が5位ですね。
南米ではトップ。
2018年12月現在の在留外国人数
順位 国 人数
1 中国人 764720
2 韓国・朝鮮人 479193
3 ベトナム人 330835
4 フィリピン人 271289
5 ブラジル人
このお店に寄りました。
②BRASIL BAR&GRILL (ブラジル バー&グリル)
ブラジル料理・シュラスコレストラン|BRASIL BAR & GRILL 公式サイト
代官山からここに移転したそうで、HPはまだ未完成ですね。
お店は大丈夫。とても美味しいです。
三重県の津に住んでたことがあるという、関西弁の達者な店員さん。
ブラジルの肉料理。ラム、テキーラ、ジン。
たしかに、横丁にあるブラジル、ですね。