血圧値 131/87/74 酸素飽和度 98% 体温 36.5℃ 体重 68.7キロ
美味しいもの、のことをブログで書くと、アクセス数がとても増えます。
逆に、悲しいことや辛いこと(死とか事故とか戦争とか)を考えると、あまり関心を持たれないようです。
そりゃそうだと思いますが、この二つは、実は表裏一体です。
光と影、と言っても良いかな。
僕と同年代の人の話を聞くと、最近、家族や親族、友人の誰か彼かが、どんどん亡くなっていくとのこと。
世の中を眺めてみても、僕たちのちょっと上から、同世代にかけての人の、訃報を聞かない日はありません。
懐かしい芸能人とか著名人は目立つので、とくにそう思うのかも。
日本は今、「高齢化社会」から「多死社会」へ移行していると言われています。
最近、このことをひしひしと感じます。
多死社会とは、現在人口の多くを占めている高齢者が、寿命や病気といった様々な要因で死亡する可能性の高い年齢に達することで起きるものであり、高齢化の次にやってくる社会現象としては避けることができないものでしょう。
高齢化社会は、老人があふれている社会、というイメージが強いですが、じつは老人もどんどん亡くなっていくわけです。たくさんいるから、一気に亡くなれば目立つでしょう。
いずれ自分も、その中の一人になるわけですからね。
加えて、「殺されちゃう案件」も、毎日エスカレートするばかり。
人口推移の予測では、2040年には死亡者数がピークを迎えるとも言われています。
あと、17年くらい。
自分の歳に17足してみれば、まあ、そうだろうなあ、と思います。
少し細かく見ると、こんな感じ。
①2038年~2042年頃が多死社会の中でも特に事態が著しい時期であると予想されており、この時期の年間死亡数は約168万人と推計されている。
➁この頃には日本の人口減少は著しく、毎年の人口減少数は、国内の大都市の人口に相当する約90万人に達すると推計されている。
③総務省統計局の人口推計によると、2011年を境に人口が急激に減少していることが確認出来る。また、年齢階級別においては、0~14歳人口および15~64歳人口は減少し、65歳以上人口は若干の増加傾向にある。
④多死社会では火葬場の不足が懸念されており、特に東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県)で深刻な状況となることが予想されている。
うーむ、火葬場の数の心配までしなくちゃならないのか!
ちょっと、別の視点から。
社人研の推計によれば、2023年から年間150万人以上死ぬ時代が到来します。
これは、太平洋戦争期間中の年間平均死亡者数に匹敵するといわれます。戦争もしていないのに、戦争中と同等の人数が死ぬ国になるのです。しかも、それが2071年まで約50年間継続するのです。2022年~2071年までの50年間に日本で約7960万人が亡くなる計算です。
人口学的には、人類は「多産多死→多産少死→少産少死→少産多死」というサイクルで流れてきています。
日本も、明治期~太平洋戦争前まではいずれも人口千対率で出生率25以上、死亡率15以上の「多産多死」時代でした。
戦後「多産少死」時代へ入り、現在は「少産少死」のステージに入っていますが、やがて「少産多死」へと移行します。
これは日本に限らず、世界のすべての国が同じ行程を進むことになります。
将来起きうる課題に「社会として」どう対処するかという解決策を議論することは重要です。しかし同時に、「個人として」どう対処するか、という点も考えなくては。
「終活」という言葉が象徴するように、自らが「自分の死」とどう向き合うか、ということを真剣に考える時期が来ています。
今後、多くの方が亡くなっていく社会というのは、誰もが親族や知人と死別する機会が多く、その時期が迫っているということです。
死の当事者のみならず、その家族や関係者もが、「他者の死」とどう向き合うのかを、覚悟を持って考えなければならないのです。
まさに、「メメント・モリ(羅: memento mori)」、死を想え。
僕たちは、メメント・モリの対義語である、カルペ・ディエムの意味をもう一度思い出して、「それでも、今日を生きる」ということの、応援歌といたしましょう。
0600 起床 気分快 曇 陰鬱な空、ネットも重いです。不思議なペンダントネックレスのトップ ヘッドを入手。これも日時計として機能するようです。 - にこたろう読書室の日乗