にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分快 曇 豪徳寺巡行。今は無き「張ホテル」みたいな、「木造二階建ての青い洋館」といえば。

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曇空を、鳥が滑空していきました。

太平洋側は晴れて小春日和に、とかいう予報ですが、これから晴れるのかな?

 

2時間ほど経ったら、こうなりました!

いい感じになるのかも。

 

 

昭和9年(1934年)のこと、江戸川乱歩が創作上のスランプから逃げるような形で身を隠したとされている、六本木の高台にあった「張ホテル」の話題を以前書きました。

 

0600 起床 気分快 晴 乱歩は窓の下を通る老人を見て永井荷風かもしれないと思う。「張ホテル」という木造二階建て洋館の小さなホテル。 - にこたろう読書室の日乗

 

今は無き「張ホテル」みたいな、「木造二階建ての青い洋館」といえば。

 

僕的には、これかな。

 

とても浪漫的で美しい。

「張ホテル」もきっとこんな感じだったのでしょう。

 

旧尾崎邸 | Anthology -記憶の記録-

 

この建物は、憲政の神様と言われた、かつての東京市長尾崎行雄の旧宅と言われてきたもの。世田谷にあります。

最近、保存が決まって、ちょっとしたニュースになってます。

 

気になるので、ちょっと見に行ってみましょう。

 

世田谷に豪徳寺という有名なお寺があります。

地名にもなっているし、鉄道の駅(小田急電鉄小田原線)もあります。

「木造二階建ての青い洋館」は、このお寺の北側のすぐ近くの住宅地の中にあります。

 

高円寺、泉岳寺、祐天寺、護国寺など、東京には寺の名前がそのまま駅名になっているところが意外と多いのです。これもその一つ。

 

世田谷は目黒からは隣の町なので、意外と近いのです。

僕の住んでるところの近くを通る東急バスの路線に、「世田谷区民会館行き」というのがあり、これ1本で、松陰神社をかすめて、豪徳寺の近くまで行くことができます。

 

 

バスを降りて住宅街を歩いていくと、突然、豪徳寺の広い境内が出現します。

僕も以前に何回か来たことがありますが、ほんと普通の街中に、こんなに広いお寺があるとは驚きです。

 

立派な山門です。

 

外国からの観光客がたくさん訪れていました。

こんな地味なところまで大挙しておいでになるのは、なんか不思議。

そんなに面白いのだろうか?

周りに、これといった観るものもないのに。

 

 

曹洞宗ですね!

有名な仏像などがあるわけではないけど。

 

招き猫発祥の地・豪徳寺。猫好きが集まる街のおすすめ観光スポットをめぐる|OnTrip JAL

 

雰囲気はなかなか本格的で、京都や奈良の古刹みたい。

なんと三重の塔まである!

 

高さ22.5メートルの三重塔には、十二支の彫刻が一周するかたちで施されているのですが、注目すべきはネズミの部分。主役であるネズミよりも猫が大きくなっているところが変わっています。

 

そうです、おそらく、皆さんのお目当ては、これでしょう。

 

 

見渡す限りの、猫、猫、猫…

 

豪徳寺は、「招き猫の寺」、なのです。

 

ある日、この地を通りかかった鷹狩り帰りの殿様が、お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることに。
寺で過ごしていると、突然雷が鳴り雨が降りはじめました。
雷雨を避けられた上に、和尚との話も楽しめた殿様は、その幸運にいたく感動したそうです。
それが彦根藩主の井伊直孝でした。
豪德寺は、直孝に支援され、寛永10年(1633年)に再興しました。

 

その後、豪德寺では、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、お祀りする招福殿が建てられました。招福殿には、家内安全、商売繁盛、開運招福を願うたくさんの参詣者が訪れています。堂内には招福観音菩薩立像が安置されています。

 

ここの墓地には、ぜひお参りしたいお墓があるのですが、この日はちょっと時間的に厳しかったので、それはまた後日。

 

さて、お寺の北側の道に出ると、すぐの路地裏に。

 

 

ありました!

青い洋館。

 

なにやら普請工事のまっ最中です。

もうすぐカフェや展示室や、集会場など、いろいろな多目的設備のある施設として、NPO開場されるのだそうです。

 

開場したら、また来てみましょう。

自転車だとちょうど良い距離です。

リハビリの一環で、モールトンに乗って来てみようかな。

 

この建物の歴史と、保存が実現するに至った状況はこんな感じ。

 

「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄(1858~1954年)にゆかりがある東京都世田谷区豪徳寺の洋館が取り壊しの危機から救われた。保存を求める団体が活動した結果、団体側が住宅メーカーから買い取ることに成功し、11月末に引き渡された。

団体の中心メンバーで建築物に関する作品「数寄(すき)です!」もある漫画家の山下和美さん(61)によると、高額な購入費が必要になる困難なハードルがあったが、予期せぬ強力な援軍が現れたことで道筋が開けた。

 

長く言い伝えられていたのは、憲政の神様と言われた、かつての東京市長尾崎行雄の旧宅ということでした。尾崎行雄が英国育ちのテオドラを妻に迎えた明治40年頃に、麻布に建てた英国風洋館である、と。

しかし今回の保存活動で詳しく調査した結果、建てられたのはもっと古い明治21年(1888年)という記録が出てきました。その時代で個人住宅として洋館を建てるのは珍しいことですが、やはりそれは英国育ちのテオドラのために建てられたということです(ただし建てたのはテオドラの父である男爵で、偶然にも彼の苗字も「尾崎」であるとのこと) 。

 

その後昭和8年に麻布から世田谷の豪徳寺2丁目の現在地へ移築され、英文学者の住居となりました。それについては、この町では「尾崎行雄から譲り受けた」と伝わっており、今後の研究や史料の発見を待ちたいと思います。

 

旧尾崎テオドラ邸 SINCE 1888

 

ちょっとアバウトですが、来年の3月ころには開店・営業開始、となるみたいですね。

 

なんとこの洋館、元は麻布に建っていたものを昭和8年に、豪徳寺へ移築したもののようです。

永井荷風江戸川乱歩が、あのあたりをうろうろしていた、ちょうどそのころに、この建物も存在していたのですね。奇縁!

 

麻布のどの辺りなんだろう。これも知りたいところですね。