血圧値 119/87/77 酸素飽和度 98% 体温 36.4℃ 体重 67.0キロ
なんと、今朝は外気温18℃の寒い朝です。
さすがにこの気候の急変は、体調を崩さないようにしないと。
内視鏡検査のために絶食したら2キロ体重が減っていたのですが、少し戻ってきました。ここで止めるとちょうど良い、ですね!
ピンポイント東大寺巡行を続けます。
☆
今日これから歩くコースは、南大門→法華堂→二月堂→大仏殿→東大寺ミュージム(南大門の左側にあります)→戒壇堂の順番です。
大仏殿の東側からこの坂道を登ります。
修学旅行、お水取り見学、に続いて3回目。
外国人観光客と対抗するように、たくさんの修学旅行生。
学校にも日常が戻って来て、良かったなあ。
集合写真撮る時、「池に落ちるなよ!」とか叫んでいる担任の先生、お疲れ様です。
引率、手伝ってあげても良いけどね。生徒並べる係とか!
この、左右で屋根の様式が違う建物が「法華堂」。
奈良時代に建てられた東大寺最古の建物で、東大寺の前身寺院である金鍾寺の遺構と伝わる。別名、三月堂。
正面にあたる礼堂(右側)は鎌倉時代に重源上人により増築されたもので、時代の異なる2つの堂宇が一様に見えるよう美しい調和がたもたれている。かつて毎年3月に法華会が行われたことから三月堂とも呼ばれる。
ちょっとおしゃれな、キメラ建築なのですね。
金鍾寺という小さなお寺があって、それをもとに大和国の国分寺ができて、それを拡張して聖武天皇が東大寺と大仏を造った、というのが大まかな流れです。
東大寺は幾多の戦乱によりほとんどの建物は荒廃し(大仏殿は、1180年の治承の兵火、1567年の永禄の兵火により2回焼失。 鎌倉時代は重源、江戸時代は公慶らの働きによって、その都度再建されてきた)、再建を繰り返しましたが、奇跡的にこの法華堂と正倉院だけが、その内部に収められた仏像たちや宝物とともに、タイムカプセルのように遺されました。
堂内は本尊の不空羂索観音立像(国宝)、須弥壇左右に立つ梵天・帝釈天像(国宝)、内陣の四隅で本尊を護る四天王立像(国宝)など天平彫刻の宝庫。
中でも、本尊裏の執金剛神立像(しゅうこんごうしんりゅうぞう)は12月16日しか開扉されず、秘仏中の秘仏として名高い。
右側の入り口から入るのですが、例によって撮影厳禁なので、周りで暇そうにしている鹿さんくらいしか撮れません。残念。
なので、画像は公式からご紹介。
お堂の中の仏様たちの配置はこんな感じ。
正面中央にご本尊の高さ362センチ、目が3つ、腕が8本の不空羂索観音立像。
両サイドには脇侍のように立っている塑像の日光・月光菩薩像。
千手千限観音菩薩とならぶスーパー観音のひとり、不空羂索観音。ふくうけんさくかんのん、または、ふくうけんじゃくかんのん。
僕たち庶民的にはあんまり馴染みがないかな。
羂索とは狩猟用の投げ縄、または両端に金具を付けた捕縛縄のことで、これで迷える衆生をかき集めて救ってくれる、という意味ですね。荒っぽいなあ。
目が三つ(壁に耳あり、額に目あり)、手がたくさん。
鹿の毛皮を身に纏うのが特徴なので、この奈良の地域の貴族たちに愛されたんでしょう。ジモティ受けが良かったのですね。天台密教との関連も深い。
東大寺のこの像は、岡倉天心が主導した「現状維持修理法」(現状のままで保存に耐えうる程度の修理のみ行なう)に基づいて修復された日本初の仏像なんだそう。
両菩薩は、日光・月光ではなく、梵天・帝釈天のセットではないかしら。
この前の薬師寺で観たように、日光・月光菩薩は普通は薬師如来の脇侍を務め、薬師三尊を構成します。
手の垂らし方も違うし、そもそも材質からして、このままの形で不空羂索観音の脇侍を務めてきたわけではありません。
日光・月光菩薩の持ち物や手のスタイルは、本来は、こう!
薬師先生の看護士さん的役割ですからね。
ヒンドゥー教では梵天は世界の創造神ブラフマン、帝釈天は英雄神であり雷神インドラでした。 ともに仏教に取り入れられてからは、仏教の守護神として2体1具で安置されます。 とくに帝釈天は阿修羅と壮絶な戦いをしたことで知られるように常に武装しますが、梵天は哲学的な神であったため、武装しない姿にあらわされます。
ここの「伝・日光・月光菩薩像」は沓履いてるし、甲冑の痕跡もあるしで、どうやら「梵天・帝釈」で決まりなんじゃないかなあ。
その場合、ご主人様がほかに居たはずですけどね。弥勒如来とか。
鋭意、探索すべし(やってはいるだろうけど)。
ちなみに、その横にはちゃんと梵天・帝釈が置かれています。この像も本尊の本来の脇侍ではないでしょうが。
その関連で、もう一組引っ張ってこられたんじゃないかな。
内陣の4方向に立って東西南北を守護する役割の、四天王たち。
像高はそれぞれ、300~310cmの間。広目天の右手の筆と、多聞天の左手の塔が亡失しているが、当時の彩色も所々に残り、見ごたえのある像。
このサイトが詳しい。
東大寺 三月堂(法華堂)の仏像配置図(内部図)【12月16日特別一般公開集録】 | 東大寺-御朱印
やたらとガードが堅い編成ですが、なんと、ご本尊の真後ろに、北を向いてもう一つ開かずの厨子があって、そのなかに今回のメインイヴェント、秘仏中の秘仏がおられるのです。
執金剛神立像(しゅこんごうじんりゅうぞう)
南大門で観た「金剛力士」(仁王さんね)と似てます。
まあ出自が同じなのですが、金剛力士は密迹・那羅延の2人の裸形姿であるのに対し、執金剛神は1人の武将姿として造形安置されるのが一般的。
インドではヴァジュラパーニ(Vajrapāṇi)と呼ばれ、造形的には半裸形で表現されている。
【VAJRA/ヴァジュラ】はサンスクリット語で金剛石(ダイヤモンド)を指す言葉で、日本特有の美意識【婆娑羅(ばさら)】の語源と言われています。
なので、「金剛杵(こんごうしょ)」という強力な武器で武装した守護神が「執金剛神」、ということになりますね。「執」は、それを持つ、という意味。
ちなみにインドラ(帝釈天)持つの雷電の槍だとも言われてます。
金剛杵は密教の法具になって、いろいろなヴァリエーションが生じますが、執金剛神が持っているのは、武器だから槍の形状をしていますね。投げたりするならジャベリンかな。
のちにこの神様が門番に転職する時、二人いたほうが守備力が上がるので、分裂して「仁王」になったわけです。ここから庶民的に親しまれるようになります。
だから、本来は単独の神格として信仰されたのです。
東京芸術大学が、科学分析に基づいて約10年がかりで等身大彩色復元模型を造りました。
これも近くで観ましたが、普段見られない背後の感じなど、とても興味深いものでした。
この像がなぜここ東大寺法華堂に在るのか、については、今回の展示のテーマである良弁さんや東大寺・大仏殿その他もろもろの成立の歴史の謎と深い関係があります。
それについては次号で、簡単に触れましょう。
ともあれ、なかなか見事なものを見せていただきました。
ありがとうございます。
秘仏、3人目クリア!です。