血圧値 111/79/66 酸素飽和度 98% 体温 36.2℃ 体重 70.0キロ
人は夜になると、いろいろなことを考えますね。
夜は、不安の始まりです。
そして、あれこれいろいろなことを考えます。
このまま眠りについて、そして次に目が覚めたら、また赤ちゃんに生まれ変わっていて、また一から人生をやり直せたらどれほど幸せなのか。
しかし、実際は、人はたんに死んでいくのだろうなあ。
そして、何も残らない。
意識も、記憶も。身体も。
漠然とした、しかし厳然とした「死」への畏れ。
生の根源にあるのは、そのような、「死」を内包した実存そのものへの、漠然とした「不安」。
その「不安」に抗おうとするいとなみが、「生きる」ということですね。
宗教は、死後の楽園や、輪廻転生を説き、科学は、分子レベルでの物質の永劫の循環を説きます。
これはどちらも同じことを言おうとしてます。
原因の見えない不安に対する、「理屈」による戦いです。
虚構概念の操作にたけているホモ=サピエンスの得意技ですが、いざ、死の瀬戸際に直面した人間の意識は、こういう風には考えない。
不思議と冷静で客観的です。僕の経験はそうでした。
明るい部屋と暗い部屋の、障子一枚隔てたような敷居の上。
このまま明るい部屋のほうには戻れないみたいだから、死ぬというのはこういうことなんだなあ。
部屋に生ごみを置いてきたけど、困ったなあ。
独り暮らしだから誰もマンションの部屋に入れないし。
終活、ちゃんとしておけばよかったなあ。
妙に現実的な心配事、ですね。
朝になっています。
今僕は、朝日の当たる、窓の近くの机の上で、キーボードをたたいてこの記事を書いています。
これは、この1年間の習慣となっています。
不思議と、不安や畏れは、消え去っているかのようです。
また、手つかずの一日が始まります。