にこたろう読書室の日乗

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0600 起床 気分快 晴 宮古島ヘリコプター遭難事故と、「海軍乙事件」について。時代はますます不穏な状況に差し掛かりつつあるような印象です。

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ここのところ「宮古島」の名前をニュースで聞かない日はありません。

家内の散骨の場所でもあり、とても美しい島なのに。残念。

 

陸上自衛隊ヘリ 離陸10分後“消息絶つ”…10人搭乗 1週間前に着任“師団長”も

 

自衛隊ヘリコプターの墜落場所もなかなか特定できなかったし。

自衛隊の管制レーダーは何を見ていたのか。1985年(昭和60年)の御巣鷹山日本航空123便墜落事故の時も、自衛隊レーダーはまともに機能していなかった可能性があるし(アメリカ軍のレーダーは詳細を掴んでいました)。

 

今回の事故(たぶん事件性は薄いのだと思います)の原因や詳細もいまだ不明で、犠牲となった搭乗者(師団長はじめ自衛隊幹部5人を含む)のご遺体もまだ全員は発見されていません。

 

まとめ「航空自衛隊」|【西日本新聞me】

 

この事故のニュースを見て、僕が最初に思いついた言葉が「海軍乙事件」です。

あまり知られていない言葉かもしれませんが。

「乙」があるなら「甲」もあるわけですが、こちらは今回は触れません。

 

読書室からご紹介するのは、この2冊。

 

「乙」の概要は、こんな感じ。


海軍乙事件(かいぐんおつじけん)とは、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)3月31日、聯合艦隊司令長官 古賀峯一海軍大将が搭乗機の遭難により行方不明となりその後殉職扱いとなった事件および、古賀大将に随伴した参謀長福留繁中将が搭乗機(古賀大将搭乗機とは別機体)の不時着によりフィリピンゲリラの捕虜となった事件。

この事件の際に福留中将が保持していた日本軍の最重要軍事機密文書がアメリカ軍に渡った。

行方不明となった古賀大将搭乗機の残骸など手がかりは未だに発見されていない。

 

(写真の弐式大艇はイメージです)

 

3月31日に古賀長官や連合艦隊参謀長の福留繁および暗号要員は、パラオからダバオへ3機の二式飛行艇に分乗して移動することになった。これは敵機動部隊がパラオを攻撃する可能性があるという分析に基づくものであった。

しかし悪天候により古賀の乗った1番機が行方不明となる。一方、福留の乗った2番機はダバオに向かうことを断念し、セブ島沖に不時着することとなった。

福留と山本祐二作戦参謀を含む9人の乗組員達は、命からがら岸まで辿り着いたが、その場でアメリカ軍の指揮下にあったフィリピン人ゲリラによって、何の抵抗もできないまま捕虜として捕らえられた。

日本軍守備隊(陸軍独立混成第31旅団)に対して苦況にあったゲリラ側は、米軍の意を受けて4月11日に「ゲリラへの攻撃中止を条件に海軍軍人を引き渡す」という要求を乗組員のひとり(岡村松太郎中尉)を伝令として守備隊大隊長(大西精一中佐)に伝えた。

大隊長はこの取引に応じることになり、4月12日に福留らは解放されることとなったが、持参していた機密文書の入ったケースを、不時着時に破棄することなく、海に投げ捨てたことから、後に地元ゲリラによって回収されることとなってしまった。

福留と山本がそれぞれ持っていた作戦文書2通はネグロス島に送られ、そこから潜水艦ハッドに積まれて、ニューギニアに運ばれたのち、ブリスベーンに空輸された。 文書はブリスベーン郊外にある連合国軍翻訳通訳局(ATIS)においてアメリカ陸軍情報部より派遣された5人の主席翻訳要員(うち2人は日系二世)によって翻訳された。

英文で22ページに翻訳された文書は、アメリカの陸海軍幹部に20部が配布された。これをもとにアメリカ側はマリアナ諸島攻撃作戦を作成・実行した。

 

古賀さんは、昭和18年に戦死した山本五十六さんの後任として聯合艦隊司令長官に就任して、わずかに1年後の昭和19年3月31日に、この事故に遭っています。

二人の聯合艦隊司令長官の、相次ぐ死去。いかに衝撃を与えたか。はかり知れません。

 

ちなみに、山本長官の戦死事件のことを「甲事件」と呼びます。長官戦死という非常事態をしばらく秘匿する目的で海軍内部でこのように呼んだわけです。

 

開始前歴史考察-『第陸回 期間限定海域:発動!渾作戦』-マリアナ沖海戦 終章 | 艦これアーケード/街道・水路歩き たけやん/ひなたの日記帳

「乙事件」では、聯合艦隊司令長官の死亡という問題以外に、もう一つ重大な損失がありました。福留参謀が破棄することなく海に投げ捨てたことから回収され、アメリカの陸海軍幹部の手に渡った「機密文書」です。「軍の機密」とは、本来決死の覚悟で死守すべき性質のものです。

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この文書とは、「ℤ作戦」の計画書で、アメリカ側はこの文書を入手した事実を徹底的に秘匿し、そのまま日本軍にこの計画を実施させ、裏をかこうとしたのです。

 

「ℤ作戦」とは、南太平洋において米軍側の本格的な反撃作戦が開始された状況において、その迎撃を目的とするステージです。

 

この情報をもとに、アメリカ側はマリアナ諸島攻撃作戦を作成・実行しました。

 

このあと、いろいろいきさつはありますが、マリアナ沖海戦(1944年6月19日から20日にかけて、西太平洋のマリアナ諸島沖で行われた、日米両海軍の空母機動部隊による戦闘)において日本の連合艦隊は壊滅的な敗北を喫し、この地域の制空・制海権を確保した米軍は日本本土への空襲を激化させることとなりました。

 

つけ加えると、福留繁は本来であれば海軍の「俘虜査問会規定」により査問に付され、さらに軍法会議にまわされて、「軍機保護法」で裁かれるべきところ、海軍は、「福留一行を捕えたのは敵の正規軍ではなくゲリラであるから、捕虜にはあたらない」との妙な理屈をつけ、福留を軍法会議にかけることも、予備役に編入することもせず、それどころか、聯合艦隊司令部の失態を糊塗するかのように、福留を第二航空艦隊司令長官の要職に栄転させました。

 

いやはや、この体質は何とも呆れますね。今も同じか。

 

自衛隊宮古島事件」と「海軍乙事件」が類似する点についてまとめておきます。

 

①航空機の悪天候による海難事故であり、経過・原因の詳細が不明であること。

②被災者が当該軍組織(陸上自衛隊/帝国海軍)の最上級責任者を複数含むこと。

③いずれも当時の緊迫する政治的情勢台湾海峡有事/大東亜戦争末期)のなかでの事故であること。

情弱体質が遠因になっている可能性があること。(自衛隊の管制レーダーの不正確さや音波探信儀の性能問題/機密文書の管理不徹底問題)

 

④については、こんな感じ。

 

陸自担当者は複数の関係機関から情報を収集する際、異なる情報を誤って重ねて、機影が消えた地点を「勘違いした」と釈明した。それぞれ別々の機関から「レーダーから機影が消失した」という情報と、機体の位置確認情報を得ていたという。

 

酒井良海上幕僚長は11日の記者会見で、捜索が難航している要因について「ソナー(水中音波探知機)を使った捜索で(沈んでいる)機体なのか、サンゴの岩礁なのか見分けが付かない」と明らかにした。

 

一国の総理の相次ぐ被襲撃事件とも相まって、時代は不穏な状況に差し掛かりつつあるように思えます。

これが、「新しい戦前」の始まりでなければ良いのですが。

 

僕は大変まずい時代に、「生き残って」しまったのでしょうか。