血圧値 118/82/66 酸素飽和度 98% 体温 36.1℃ 体重 66.9キロ
ここ数日、「近未来」「超未来」なんていうイメージを追いかけてみましたが。
今日はもうちょっと広げてみましょう。
僕たちは、ときどき、「あのとき、ああすれば良かった」とか、「あんなことするんじゃなかった」と、過去を後悔したり、自分を責めたり、しますよね。
その過去がなければ、今の自分は、もっといい感じだったのに。
後悔とは、過去を変えようとすることです。
でも、過ぎ去った時間を生き直すことはできません。
あるのは、いま、ここにいる自分だけです。
だから、過去に対しては後悔しても仕方がない。過去は変えられない。
できないことを望むのは、煩悩です。忘れるのが一番良い。
過去は、べつに無くても困らないのです。ていうか、すでに無いのと同じです。
じゃあ、未来に対しては?
末法思想も、ディストピア思想もそうですが、漠然とした不安を未来に対していだく気持ち。これも分かりますよねえ。
老後はどうなるのかとか、お金の心配とか、この病気がどこまでもつのかとか。認知症になったらどんな感じなのかとか。
ただこう思うようになる背景には、過去に対する後悔とか残念感のようなものが影響しているような気がします。
つまり、過去を反省し、未来を変えようとする。
結果、僕らは過去に囚われることによって、未来を悲観します。
だから、思い切って過去を見切ることができれば、同時に未来の不安も消え去ります。
どちらも、現在の自分が観ている幻影だからです。
「無いもの」を恐れても意味がない。
「不安」とは、対象が見えない恐怖です。
でも、その対象は存在さえしない。
そして、いま、ここだけの現在が残る。
要するに「今だけ」の世界。
ここにこそ、今の自分が立っている。
過去も未来も、関係がない。
なんか、さっぱりした気もちが、しますよね。
ゴータマ・シッダールタが菩提樹の木の下で感じた風も、陽のひかりも、そんな「今だけ」の景色だったのかも、しれません。
「Carpe diem、カルペ・ディエム」(その日の花を摘め)
「Festina lente、フェスティナ・レンテ」(悠々として急げ)
この二つの言葉も、遠くから響きます。
0540 起床 気分快 晴 昨日のクイズの解答ですが。「フェスティナ・レンテ」を示すであろう不思議な図案の一つなのです。 - にこたろう読書室の日乗 (hatenablog.com)