にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0530 起床 気分快 曇 幸い、今、ここには、その「時間」があります。❗

血圧値 104/64/75 酸素飽和量 98% 体温 36.4℃ 体重 67.4キロ

昨夜は昔からの友達のK谷くんとK松くんが学芸大学駅まで来てくれたので、ワインとかで歓談。
リアルで話すのは大事です😃


今朝は体調も良い感じ。ちょっと寒いくらいの梅雨空です。

ブログを毎日書き始めて、今日で43回目になります。思い立ったのが5月1日、入院中のことです。
2週間後の退院が決まり、病院周辺に出て、野外歩行訓練とかできるようになった頃から。


「毎日、大変でしょう」と言ってくださる人が多いですが、行動の記録ではなく、思考の断片を書いているだけですから、簡単です。
頭は壊れなかったので、毎日何かしらのことを考えますから、指が動くならそれを書き記すことはできます。

なので、今これを書いています。
あとは、その「時間」があるかどうかです。

幸い、今、ここには、その「時間」があります。ありがたいことです。

過去の記事とか、リンクとかどうやって見るんだ、というご質問をいただきます。

このブログをスマホでご覧になってくださるかたが大部分だと思いますが、機種によってはこういうメニューが表示されていないのかなあ。

①プロフィール
②記事を検索
③リンク
④最新記事
⑤月別アーカイブ

その場合、スマホ画面の右上の┇マークを押して、「PC版サイト」に☑を入れていただくと、全体が見えるようになると思います。

これはAndroidだけなのかなあ?


さて。

一昨日遠足で行った鎌倉繋がりで思い出すことと言えば。


あまり「時間」は無かったかもしれないけど、一所懸命その人生を駆け抜けたひとりが、中原中也です。

中原中也
出身地:山口県吉敷郡山口町大字下宇野令村(現・山口市湯田温泉
生年月日:1907年4月29日
死亡年月日:1937年10月22日(享年30歳)
昭和期に一世を風靡した詩人。フランス印象派に影響を受けた、感情などの内面的なものを表現した作風が特徴。フランス語にも理解が深く、翻訳もいくつか担当している。

代表的な詩作品をひとつあげれば。

「サーカス」(詩集「山羊の歌」所収)

幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜此処での一と殷盛(さか)り
今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒さに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外は真ッ闇(くら) 闇の闇
夜は劫々と更けまする
落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルジア
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

酒飲んでは喧嘩したり、いろいろエキセントリックな人だったみたいですが、愛すべき才能でしたね。

中原中也は晩年(と言っても30歳!)、鎌倉町扇ヶ谷の寿福寺境内にあった借家に下宿し、1937年(昭和12年)夏ごろから良くなかった体調がさらに悪化、10月4日には、頭痛や電線が2つに見える視力障害を訴えた。歩行困難もありステッキをついて歩いていた。5日に鎌倉駅前の広場で倒れ、翌日鎌倉養生院(現・清川病院)に入院。急性脳膜炎と診断された(今日では、結核性の脳膜炎とされている)。22日午前0時10分、鎌倉養生院で永眠。苦しむことなく安らかな死だった。

この「電線が2つに見える視力障害」(複視)なんて、とても他人事とは思えません。
扇ヶ谷の寿福寺は、この前行った鎌倉歴史文化交流館のある無量寺谷(むりょうじがやつ)の尾根筋を越えたお隣にあたります。

ちなみに中也は倒れる直前に2冊目の詩集『在りし日の歌』を書き終えており、これは中也が亡くなった翌年、1938年に出版されました。

作品は、こちらから。合地舜介さんの労作「中原中也・全詩アーカイブ
http://zenshi.chu.jp/mobile/

雲が晴れてきて、なんとなく夏の空になりました。

これからちょっと、出かけます。

都立大学駅近くでお昼を食べてる途中は強い雨
でもそのあと、晴れました。

線路沿いに、遠足ならぬ近足。薔薇が咲いてます。

目指すは、九品仏浄真寺。大井町線の駅名も「くほんぶつ」。
正式名称は「九品山唯在念佛院淨眞寺」です。

住宅街の真ん中にあるのですが寺域は広く、夏の緑も映えて、深山の雰囲気です。

江戸時代の高僧である珂碩上人は、9体の阿弥陀仏像と1体の釈迦牟尼仏像を造立し、浄真寺を創建しました。

上品・中品・下品と3棟ある阿弥陀堂に、それぞれ3体の阿弥陀如来像が安置されている様は、壮観です。
向かい合う本堂には、やはり阿弥陀如来が本尊。こちらがこの世で、対向するあちら側があの世、すなわち西方浄土です。このプランは『江戸名所図絵』(1836発行)に描かれている配置とほとんど変わりなく現在に至っています。

本堂の阿弥陀如来
三仏堂(中品堂)の3仏

お寺の自慢げな解説は、こんな感じ。

特徴としては、九躰の佛像が全て印相を違え、上品佛は「弥陀定印」、中品佛は「説法印」、下品佛は「来迎印」と分けられて、更に上生・中生・下生で指の印相を違えております。これは仏教史学上貴重な作例といえます。なお、江戸時代の作とはいえ、九躰の丈六佛像が完備することは他に例がなく、九躰ともに東京都の文化財に指定されております。

江戸の時代より三年ごとに奉修される「阿弥陀如来二十五菩薩来迎会」という無形文化財に指定されている行事があり「おめんかぶり」と呼ばれています。

僕も以前見たことがありますが、本堂から三仏堂に橋を架け、そこを阿弥陀如来が二十五の菩薩をしたがえて西方極楽浄土よりご来迎になるという、浄土の教えを具現化した行事です。
なかなかヴァーチャルリアリティのあるイヴェントです。江戸っ子が好みそうな派手な演出。

今年は5月5日に開催されたようで、僕も見に行きたかったのですが、入院中だし、自分のお迎えのほうが先にやってきそうな感じでしたので、それどころではありません。

この石畳の上に、浄土に渡れる橋が架かります。

帰りに、尾山台にあるAU BON VIEUX TEMPS (オーボンヴュータン)に寄り道して、明日の朝ごはんのパンを二つ、買いました。

https://aubonvieuxtemps.jp/

明日は日医大付属病院に行って脳のMRIを撮ります。果たして出血4ヵ月後の脳幹の具合はどうでしょうか。
気合を入れるために、美味しそうなパンを買いました。