血圧値 126/85/73 酸素飽和度 98% 体温 36.3℃ 体重 67.3キロ
「青面金剛 しょうめんこんごう」は庚申塔や庚申の掛軸に描かれる神様だが、謎だらけで、庚申の神様ということ以外何も分かっていない。
これはとても無責任ともいえる言い方なのですが、たしかにそうかもしれない、という気もします。
やはり、中国の民間信仰の「道教」が起源なのか。はたして古代インドとのつながりは?
それとも本当は、日本起源の神格なのでしょうか。
主として路傍の石像ですが、こんなにも多くの作例があるのに、その本質は何一つ分かっていない。
この前に触れました、目黒の寿福寺の青面金剛像。これは立派な木製の立像で、ちゃんとお堂の中に鎮座しています。
この本にもちゃんと載ってます。
写真もある。
モノクローム写真なので彩色の具合は分かりませんが、お堂で見たようなけばけばしい色ではないようです。
とりあえず、お不動さんのような「明王」系の仏様に見えますね。
でも仏ではないのかも。
顔が三つで、額にも第三の目。腕は六本。こういう場合、脚はなぜか二本。
手にはいろいろなものを持ってます。
興福寺の阿修羅王像にスタイルは似てますね。(あんなに美形ではないけど。)
『陀羅尼集経』という経典の記載により、この仏様の様相が定義されています。
仏説陀羅尼集経. 巻第1-12 / 阿地瞿多 訳 早稲田大学図書館蔵
この本は中国で成立していますが、真の全体像がはっきりしていない巨大な経典です。
中国の唐時代の僧の阿地瞿多(あじくた)が永徽 4(653)年に『金剛大道場経』から一部を取り出し12巻に集成したものとされ、各巻にそれぞれ別の経典が説かれています。
原典にあたるサンスクリット本が確定されていないため、中国で書かれたものを含むのかもしれません。その辺が怪しい。
その第九巻が「明王」の部で、そこにこの「青面金剛」についての記述があります。
早稲田大学図書館のアーカイヴで原典を確認できます。P.38~49あたりです。
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha05/ha05_01599/ha05_01599_0009/ha05_01599_0009.html
Wikiは、この部分だけを引用しています。原典はもっと長い記述がありますが。
一身四手、左辺の上手は三叉を把る。下手は棒を把る。右辺の上手は掌に一輪を拈し、下手は羂索を把る。其の身は青色、面に大いに口を張り、狗牙は上出し、眼は赤きこと血の如く、面に三眼あり、頂に髑髏を戴き、頭髪は竪に聳え、火焔の色の如し。頂に大蛇を纏い、両膊に各、倒に懸ける一龍有り。
竜頭は相向う。其の像、腰に二大赤蛇を纏う。両脚腕上に亦大赤蛇を纏い、把る所の棒状も亦大蛇を纏う。虎皮を胯に縵す。髑髏の瓔珞、像の両脚下に各、一鬼を安ず。
其の像の左右両辺に各、当に一青衣の童子作るべし。髪髻両角、手に香炉を執り、其の像の右辺に、二薬叉を作る。一は赤、一は黄、刀を執り索を執る。其の像の左辺に二薬叉を作る。一は白、一は黒。銷を執り、叉を執る。形像並びに皆甚だ怖畏すべし
三眼の憤怒相で四臂、それぞれの手に、三叉戟(三又になった矛のような法具)、棒、法輪、羂索(綱)を持ち、足下に二匹の邪鬼を踏まえ、両脇に二童子と四鬼神を伴う姿で現されるが、一般には、足元に邪鬼を踏みつけ、六臂(二・四・八臂の場合もある)で法輪・弓・矢・剣・錫杖・ショケラ(人間)を持つ忿怒相で描かれることが多い。 頭髪の間で蛇がとぐろを巻いていたり、手や足に巻き付いている場合もある。また、どくろを首や胸に掛けた像も見られる。 彩色される時は、その名の通り青い肌に塗られる。この青は、釈迦の前世に関係しているとされる。
江戸時代に日本で書かれた、仏様のビジュアルの見本帳みたいな本があります。
『仏像図彙』(ぶつぞうずい)は、江戸時代に土佐秀信によって描かれた仏画集。元禄3年(1690年)の刊行で、全5巻。
如来、菩薩から鬼神、暦神、習合神に至るまで、諸仏の図像を載録し、さらに仏具祭器を描いて、画師の参考書としたもの。
内容には誤りもあり、種々の批判を受けつつも、寛政4年(1792年)には増補改訂され「増補諸宗 仏像図彙」として再版された。署名は大阪の人で土佐将曹紀秀信とあり、初版の跋文には指月軒義山とある。
国立国会図書館デジタルコレクション 仏像図彙はこちら。
そこにはこんな図があります。
寿福寺の像は、この図にとても良く似ています。
忠実に再現、といっても良いですね。
日本の仏師は、この見本を見て、仏様を描いたり造ったりしたのです。
尺が長いので、以下、別稿に続きます。