にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0530 起床 気分快 晴 クイズです。この鉄道模型ジオラマのテーマである「物語」は?

血圧値 128/86/88 酸素飽和度 99% 体温 36.4℃ 体重 67.2キロ

 

これは、僕が病気になる前に作製した、小さい鉄道模型展示台です。

単なる踏切の光景ではなくて、ある「物語」のワンシーンを再現しています。

 

このジオラマの背景となる「物語」の名前を当ててください。

 

 

横幅約23cmの百均で買ったディスプレイケースに入れました。

このサイズですから車輛は1両しか乗りません。

縮尺はNゲージです。

 

それでは、凄いヒントを。

拡大写真です。

 

 

これからの僕は、こういう工作は無理かなあ。

手先がやはり、ちょっと不自由ですからね!

まあ、気持ちの問題ですが。

 

答えは、次号。

 

0530 起床 気分快 晴 昨日の「ロイヤルエンジン」繋がりで、鉄道模型の話です。人が模型に魅入られる、のはなぜなのか。

血圧値 115/75/64 酸素飽和度 99% 体温 36.1 体重 66.2キロ

 

僕は鉄道ヲタクではないのですが、乗るのも好きだし、鉄道模型も好きです。

 

模型にはスケール、つまり縮尺というものがあり、日本の住宅事情から、鉄道模型の場合はNゲージという小さめのモデルがほぼ主流となってます。

 

Nゲージ(エヌゲージ)とは、レールの間隔(軌間)が9mmで縮尺1/148~1/160の鉄道模型規格の総称です。諸外国ではもっと大きめのHOゲージ が主流ですが。

レールの幅が9mmであることから、英語の9(Nine)の頭文字をとってNゲージと呼ばれます。

 

昨日取り上げた話題の「ロイヤルエンジン」繋がりで、にこたろうコレクションから、1編成をご紹介しましょう。

 

ダイニングテーブルの上に線路と駅と模型を置いただけの、簡易レイアウト設定ですが。

今回は時間もないので走行駆動はさせません。

写真撮っただけです。

 

電気機関車EF5861の お召機に、客車はKATOの「お召し列車1号編成」、またの名は「御料車1号編成」。

 

昭和35年(1960)に作られた新1号御料車を中心に、5両編成で組まれる「お召列車1号編成」は、長く皇室用専用客車として、全国各地を走りました。

 

軽量客車に準じて作られた御料車は、中央に御座所を置き、前後に控え室、化粧室、休憩室などで構成され、御座所の外板に「菊の御紋章」が付けられます。御料車の前後に連結される客車「供奉車(ぐぶしゃ)」は、昭和6年(1931)製の半鋼製客車です。

 

基本はこういう風に繋ぎます。

各車両の特徴的な箇所はすべて別パーツ化されてその完成度にはすばらしいものがあります。

 

これはジオラマ風の展示台に載せて撮りました。

 



鉄道模型って、何なんでしょうね。

人が模型に魅入られる、のはなぜなのか。

フィギュア(生体模型?)もまた、しかり。

 

参考資料

酒井 峻一先生による、鉄道ヲタクの類型の整理

鉄道オタクの種類を鉄道ファンではない人にもわかるように解説 - 通勤コンパス (en-culture.net)

 

【アウトドア系鉄道ヲタク

撮り鉄 列車の写真撮影に情熱を燃やす人たち
乗り鉄 列車に乗ることが好きな人たち
葬式鉄 鉄道路線の廃止や車両のラストランを見送りたがる人たち
④探検鉄 廃線跡秘境駅などを探検する人たち
⑤音鉄 走行音や駅メロを録音する人たち
⑥もじ鉄 鉄道に関する文字が好きな人たち
⑦ミニ鉄 外で大きな鉄道模型を動かす人たち(人が乗れるものもある)

 

【インドア系鉄道ヲタク

⑧収集鉄 鉄道関連品を集めて眺める人たち
⑨技術鉄 電気やブレーキなど鉄道の工学系分野が好きな人たち
⑩車両鉄 列車の分類や違いを研究する人たち
⑪時刻表鉄 時刻表を研究して自分なりの分析や改善案に浸る人たち
⑫妄想鉄 自分なりの架空路線やウソの電車について仮想する人たち
⑬模型鉄 屋内で好みの模型を集めて動かす人たち
⑭ゲーム鉄 鉄道ゲームをプレイする人たち
⑮見る鉄 他人が撮った鉄道映像や鉄道旅行を眺める人たち
⑯ミステリー鉄 鉄道ミステリーが好きな人たち

 

僕が当てはまるのは、②④⑬⑮⑯あたりかな。

ゆるーく、ですけどね!

0600 起床 気分快 晴 「ロイヤルエンジン」EF58形61号機を観に行く話。「モノ」は、時間の墓碑銘、なのでしょう。

血圧値 125/85/78 酸素飽和度 98% 体温 36.2℃ 体重 67.0キロ

 

昨日のことですが、思い立って、鉄道博物館(てっぱく)に行きました。

ここを訪れるのは3回目かな。

 

ひさびさです。かなりリニューアルされて、充実しています。

前回はたしかナイトツアーみたいな、大人御用達のイヴェントだったなあ。

 

公式サイトhttps://www.railway-museum.jp/

 

今回の目的は、

「ロイヤルエンジン」EF58形61号機。

 

観艦式のテーマのときに、「御召艦」という言葉がありましたが、その列車バージョンがあります。「御召列車」と呼ばれます。

 

天皇、皇后、上皇上皇后太皇太后、皇太后が使うために特別に運行される列車で、随員など以外の一般客は乗車できません。

天皇、皇后が乗車する客車は「御料車」と呼ばれます。

 

てっぱくにはこの御料車もいろいろ保存・展示されています。これらは秋葉原駅に在った旧交通博物館時代から収蔵されていましたが、御召列車を牽引したEF58形の特別な電気機関車が収蔵されるのは今回初めてのことで、とても話題になっています。

御召列車を牽引した機関車は歴史上いろいろあるわけですが、とくに「ロイヤルエンジン」と称されて有名な電気機関車がこれなのです。

 

エントランスを入った案内所のすぐそばに設置されてます。

 

在籍していた田端運転所(現・尾久車両センター)を表す「田」、お召列車専用機であることを表す「御召」の札を側面に見ることができます。

 

 

EF58形61号機は、「お召し列車専用機」として日立製作所水戸工場で1953年に製造されました。それまでは蒸気機関車が用いられたり、一般の電気機関車が使用されていたようです。

国旗掲揚装置が取り付けられた車体正面から側面にかけてステンレス製の飾り帯が伸び、自動連結器や車輪側面などの足回りの一部が無塗装で銀色に研ぎ出されるなど、全172両が製造されたEF58形の中でも特別な一両です。予備機として60号機がありますが、これはもう引退・解体されています。

 

てっぱくには他に、御召列車仕様の蒸気機関車C51も展示されていますね。

 

昭和天皇・皇后が松山市で開催される第8回国民体育大会の開会式に臨席するのに合わせ、同年10月19日に東京〜名古屋駅間で御召列車牽引機としてのデビューを飾ります。

昭和末期から平成初期にかけては御召列車自体の運転機会が減少し、主に臨時列車やイヴェント列車の牽引機として使用されるようになりましたが、1996年には小山〜足利駅間、1999年には甲府原宿駅間で御召列車の先頭に立っています。

 

お召し列車としての最後の運用は2002年3月28日です。ノルウェー国王のハラルド5世夫妻と現在の上皇上皇后陛下が乗車する御料車を引いて東京〜北鎌倉駅間を走ったのがその最後の雄姿。

1953年から2002年まで約半世紀にわたり、東は新潟、西は岩国まで90回以上の御召列車を牽引し、これは蒸気機関車のC51形239号機が牽引した104回に次いで多く、電気機関車の御召列車としては最多の運転回数を誇ります。

昭和天皇は、実はかなりの鉄道好きのかたで、87年8か月の生涯で、列車に乗車しなかったのは最後の昭和64年だけだったそうです。あらゆる種類の鉄道を乗り尽くしていて、最強の鉄道マニアの一人だったと言えますね。

 

総距離約24万キロの鉄道体験は、そのまま20世紀の日本の鉄道の歴史と言っても良いほどです。今上陛下も乗り物好きなので、その辺は御祖父様の血筋かも。

 

昭和天皇実録』を丁寧に照覧して書かれた詳細な研究があります。

 

 

2008年4月1日に休車扱いとなってからは東京総合車両センター内に保管されていたものが、つい先日の10月30日、JR東日本から鉄道博物館に寄託されたのでした。

 

御召列車の我が国における歴史は古く、そもそも鉄道の始まりの時に遡ります。

明治5年(1872年)10月14日の鉄道開業時に明治天皇が乗車して以来ですから、今年が鉄道開業150年、まさに鉄道の歴史とともに走り続けている「特別列車」であると言えます。



そのあたりの詳しい研究は、この資料が参考になります。

 

ネット上にある、とても詳しいサイトはこちら。

御召列車博物館-TOP- (hb-m.net)

 

元号が平成となってからは、鉄道ダイヤの変更などで、国民に負担を強いることを嫌う第125代天皇昭仁(現上皇)の意向やその他の事情によって、行幸は一般の定期列車や臨時列車の一部の車両や航空機(政府専用機、民間機)を利用することが多くなっています

このため、専用車両を用いた御召列車が運行されることは少なくなっており、国賓の接待の一環など外交行事としての性格が強くなっています。

また、同じ理由で原宿駅側部乗降場(いわゆる宮廷ホーム)を使うことも減少し、これは2001年の使用を最後に現在は使用が停止されていて、駅舎の取り壊し・地所の自治体への返還の可能性がしばしば話題となります

埼京線湘南新宿ラインの本数も増え、ダイヤ上、御召列車がが割り込める隙間もないですし。

 

今回もいろいろ学びました。

やはり歴史というものは、物自体に触れることで、気持ちの中に入ってきますね。

「モノ」は、時間の墓碑銘、なのでしょう。

 

最後に、ロイヤルエンジンの前で記念写真に写る、にこたろう。

 

0600 起床 気分快 晴 Tsundokuが国際語になってるらしい。「にこたろう読書室」の現在の状況はこんな感じ。

血圧値 120/83/69 酸素飽和度 99% 体温 36.2℃ 体重 66.4キロ

 

いろいろ片づけてはいるんですが、「にこたろう読書室」の現在の状況は、こんな感じ。まだ雑然としているなあ。

 

まあ、紙の本なら、最後に業者一括で処分!ができますね。

自分でやるのはちょっと悲しいけど。

 

そう、本にはそういう感情的なものが絡んでくるから、断捨離が難しいのです。

写真も同じね。

 

どうしても必要になったら買い戻せばよい、というものはどんどん整理すべきなんだろうなあ。

 

それでも、ここ数年で相当の分量を整理・処分したので、紙の資料はかなり減りました。1/3くらいになったかなあ。

 

近くの図書館などでかぶるものは、持たなくてよいのですが、そういうところの蔵書は一般的なものしかないですからね。

 

さて。

積読(つんどく)」という言葉が、どうやら国際語になって、地味に脚光を浴びているらしいです。

 

Tsundoku

 

面白いですね。

購入するなどして手に入れた書籍を読む事なく、自宅で積んだままにしている状態を意味する「積ん読積読」。発音は「つんどく」。

 

日本には遅くとも明治時代から存在する言葉ですが、近年はBBCやCNN、ニューヨーク・タイムズ紙など海外の大手メディアでも続々と取り上げられた事により、そのままTsundokuで通じる国際語になりつつあります。

基本的にはユーモアに富んだ言葉として紹介されていましたが、アメリカのネットメディア「Big Think」は、その効能に迫った特集記事を配信しています。

 

ポイントはこんな感じ。

 

統計学者のナシーム・ニコラス・タレブ氏。

「読まずに積んだ状態にされた本は、まだ知らない物事があるという事を、常に思い出させてくれる」

 

また、本の所有と読書は密接に関係している、という過去の研究結果も取り上げられており、それによると、多くの蔵書がある家庭で育った子どもは大人になってから識字能力、計算能力、情報通信技術能力が向上したそうです。

 

編集者ジェシカ・スティルマン氏。
「あなたが読んでいない本は全て、あなたが無知である事の表れです。しかし、自分がどれほど無知であるかを知っていれば、多くの人々より遥かに先にいるのです」

 

おお、「無知の知」だ!

 

結論

「読まなくては」と思わせてくれること自体が、積読の価値だ!



積読」に罪悪感を覚える人はかなり多いようで、この記事に救われる外国人が続出しているそうです。

 

いくつか、コメントを拾うと、こんな感じ。

 

■ そう、そうなんだよ。ようやく罪悪感なしにツンドクを楽しめる!

■ この症状にも名前がついてるなんて嬉しい。私は電子書籍でも読んでるけど、それでも本棚にある本を眺めたり、手で感じたり、読んだりすることは喜びなの。

■ これはレコードやCDにも言えるんだろうか?

■ 私のためにあるような言葉だ。おじいちゃんが「知識に囲まれなさい」って言ってたけど、この事を意味してたんだと思いたい。

■ 日本のライフスタイルの中に、この愛すべき「ツンドク」の名があるのは素敵な事だね。これは生き甲斐とかにつながる事だから。

■ 俺の状況を一言で表現出来る日本語があったか。残念ながら英語じゃ訳しきれないね。

■ 今週も新たに5冊の本を買ってしまった。私の図書館は未読の本でいっぱい。……でも、癒されるんだよねぇ🙂

■ 僕は今気分が良いよ。ツンドクという日本の概念が出現したおかげで、罪悪感が吹っ飛んで救われた気がする!

 

 

僕も当然、「読書室」の本を、端から端まで「完読」しているわけではないし、資料・史料的なものは、身近に持っていること自体に意味があると言えます。

まあ、それでも「これ全部、読んだの?」と聞かれることには、若干のプレッシャーというか後ろめたさは感じてました。

 

「Tsundoku」には、積極的な、前向きのイメージが感じられて良いですね。

 

0300 起床 気分快 晴 早寝早起き、実験。そして四万十の鮎を食べた話。

血圧値 123/78/84 酸素飽和度 98% 体温 36.4℃ 体重 67.5キロ

 

起床時刻、午前3時。

やはりこうなりました。実際はもう少し早かったかも。

 

昨夜は10時30分ころに寝てみたのです。

日付が変わる前にベッドに入るなんてことは、年に数回あるかないか、という生活状況を数十年ずっと続けていて、それはまあ、あんまり心身に良くはないかな、とは、うすうす感じているのですが。

大きな鮎 イメージです

この前上京された滋賀近江の友人O君が、四万十川で釣った鮎を送ってくださったので、昨日の夕方、近所のお店で調理していただきました。

 

塩焼きと、一夜干しの揚げ物。

とても美味しかったです。ありがとうございます。

 

彼は琵琶湖のほとりの草津というところに住んでいますが、そこから毎年夏には、四国高知県四万十川まで鮎釣りに出かけます。自動車を運転していくというから凄い。

四万十川のイメージです

本四連絡橋を渡って、四国山地を越えて、四万十の上流域からポイントに入る、ということですね。具体的な場所は聞かなかったけど。

 

彼からのコメントです。

 

「 四万十川へは最近は毎年鮎釣りに行くのですが、年によって鮎の遡上が多かったり少なかったりで、なかなか安定して釣れません。今年は数はまあまあそれなりに釣れたけど、小さいのが多かったです。ふつうの年だと、25cmくらいの鮎が揃います。

 あの川の鮎は、よその川に比べると、掛かったときの引きが無茶苦茶強いです。四万十川は高低差の少ないチョークストリームのような流れなので、流れている水の圧力というか押しというか、川に入ると水が重たく感じられるのです。そういう流れの中で育つので泳ぐ力が強くなるのではないかと思います。」

 

 

これは運転が好きで釣りが好きでないと、できないなあ。

 

この前うちにおいでになったときも、滋賀から東京まで運転してきて、あくる日は千葉の京成バラ園に花の撮影に行き、その足で新潟の長岡のやはりバラ園に移動し、滋賀に戻ったらしいです。

 

凄いアクティヴだなあ。僕と同じ歳ですが。

 

それで、僕はお店から家に帰って、さっそく早寝早起き実験を開始。

やはりむやみに早く起きたので、いまこれを書いてます。

 

たくさん!あるのか?

 

さすがに、これはやらないし。

 

今日は昼間、眠くなったりしないかなあ。

 

0600 起床 気分快 晴 歴史上の我が国の観艦式の歴史を振り返っておきます。その延長線上に、今回の「国際観艦式」があるからです。

血圧値 114/74/71 酸素飽和度 98% 体温 36.1℃ 体重65.9キロ

 

昨夜の皆既月食はとても幻想的でしたね。目が悪いので、天王星食は未確認。

体重が66キロを切りました。入院前から、ほぼ7キロ減です。これは良い感じかな!

 

さて今回は、歴史上の我が国の観艦式の歴史を振り返っておきます。

その延長線上に、今回の「国際観艦式」があるからです。

 

明治の海軍創設以降、1941年の日米太平洋戦争(大東亜戦争)突入までの間、じつに20回弱におよぶ観艦式が行われています。

目的としては、味方の艦隊を観閲することにより、士気を高め、国民や友好勢力には、精強さをアピールするとともに、敵勢力に対する示威行為とすることに主眼がありました。

 

時系列でみると、こんな感じ。とくに★印の3回が大規模であり、歴史的にも重要な意味を持ちます。


回/式典日/式典名称/ 御召艦/実施場所


1    明治元年(1868年)3/26    軍艦叡覧    (陸上)    天保山
2    明治23年(1890年) 4/18    海軍観兵式    巡洋艦「高千穂」    神戸沖
3    明治33年(1900年) 4/30    大演習観艦式    巡洋艦「浅間」    神戸沖
4    明治36年1903年) 4/10    大演習観艦式    巡洋艦「浅間」    神戸沖
5    明治38年(1905年)10/23    凱旋観艦式★(日本海海戦勝利)    巡洋艦「浅間」    横浜沖
6    明治41年(1908年)11/18    大演習観艦式    巡洋艦「浅間」    神戸沖
7    大正元年(1912年) 11/12    大演習観艦式    巡洋艦「筑摩」   横浜沖
8    大正2年(1913年) 11/10    恒例観艦式    戦艦「香取」    横須賀沖
9    大正4年(1915年) 12/4    御大礼特別観艦式(大正天皇即位式)    戦艦「筑波」    横浜沖
10    大正5年(1916年) 10/25    恒例観艦式    戦艦「筑波」    横浜沖
11    大正8年(1919年) 7/9    御親閲式(欧州派遣艦隊慰労)    巡洋艦「出雲」    横須賀沖
12    大正8年(1919年) 10/28    大演習観艦式    戦艦「摂津」    横浜沖
13    昭和2年(1927年) 10/30    大演習観艦式    戦艦「陸奥」    横浜沖
14    昭和3年(1928年) 12/4    御大礼特別観艦式(昭和天皇即位式)★   戦艦「榛名」    横浜沖
15    昭和5年(1930年) 10/26    特別大演習観艦式    戦艦「霧島」    神戸沖
16    昭和8年(1933年) 8/25    大演習観艦式    戦艦「比叡」    横浜沖
17    昭和11年(1936年)10/29    特別大演習観艦式    戦艦「比叡」    神戸沖
18    昭和15年(1940年)10/11    紀元二千六百年特別観艦式  ★  戦艦「比叡」    横浜沖

 

とくに、戦前最後の昭和15年(1940)の紀元二千六百年特別観艦式は、神武天皇即位紀元2600年を奉祝して行われた大日本帝国海軍の特別観艦式観艦式指揮官を務めたのは聯合艦隊司令長官山本五十六海軍中将(当時)です。

 

当日の新聞報道はこんな感じ。

 

 

横浜港沖で開催され、聯合艦隊の艦艇98隻(596.000トン)による特別観艦式と、航空機527機(海軍航空隊及び観艦式参列艦船の搭載機)による空中分列式(編隊飛行)が執り行われました。

 

東京湾が狭いのと、参加艦艇数が多いので、沖合に整然と停泊している艦隊の合間を、御召艦が巡行して観閲する形をとっていますね。

 

この図は大きくて僕のスキャナでは撮影できなかったのでスマホ写真です。ちょっと見にくいかな。

御召艦の巡行ルートは分かりますね。

 

こっちのほうが見やすいのかな。

 

 

記念絵葉書だとだいたいのイメージが掴めます。

 

この写真は、どうやら以前の時のものを使用しているようですが。

 

長門陸奥」の煙突配置が改装前ですし。昭和3年かなあ。ならば中央の白い天幕を張っている御召艦は「榛名」ですね。紀元二千六百年特別観艦式の御召艦は「比叡」ですが、まあ同型艦ですから。でも先導艦と供奉艦が重巡なので、ここは矛盾するし。合成写真なのかも。

 

当日の行程はこんな感じ。

 

観艦式当日、参加艦艇は横浜港沖に展開し、南方より北方へ各列を配置し、各艦船は東西方向に整列した。また、番外列は第一列の南側、最南方列に配置した。昭和天皇が乗艦した御召艦比叡は、第一列と第二列の間を東進した後、第三列と第四列の間を西進し、予定位置に投錨して御親閲は終了した。この間、空中分列指揮官・小澤治三郎海軍少将(第一航空戦隊司令官)が指揮する戦闘機・攻撃機爆撃機・水上偵察機飛行艇等による527機の大編隊が式場上空に飛来し、西方に飛び去った。

 

この時の、航空写真がこれです。

右下から上に、「金剛」・「長門」・「赤城」・「長鯨」、左下から上に、「榛名」・「陸奥」・「飛竜」・「迅鯨」かな。

上空を航空機が編隊飛行してますね。これは良く撮れてるなあ。

そして、誰もいなくなった。

 

紀元二千六百年特別観艦式に参加した上記船艇の大半は翌年に勃発した太平洋戦争(大東亜戦争)で戦没しました。戦前の観艦式に参加した船艇の中で、戦後の海上自衛隊観艦式・海上保安庁観閲式に参加したのは宗谷と凌風丸のみです。

 

旧海軍のほぼすべての艦艇は海の藻屑と消えました。

今もたくさんの遺骨を納めたまま、鉄の柩として海底深く沈んでいます。

墓標ともいうべき沈没位置の特定は困難を極めます。

 

僕もできるだけその情報を整理・検討して地図上にプロットして、哀悼の意にかえたいと思います。

 

帝国海軍艦艇終焉地の地図 - Google マイマップ

 

開戦に伴い、以降の観艦式は行われなかったため、これが帝国海軍最後の観艦式となりました。

 

このテーマに関する詳細は、下記の論文をご参照ください。

 

日本海軍における観艦式の変遷 石丸安蔵

安全保障戦略研究_第2巻第1号2021.indd (mod.go.jp)

 

0540 起床 気分快 晴 「国際観艦式」が神奈川県の相模湾で開かれました。日本での開催は20年ぶり。

血圧値 116/80/79 酸素飽和度 98% 体温 36.4℃ 体重 65.9キロ

 

ここのところ、体重が65キロ台に減りました!

お豆腐と野菜とか食べてます。

 

ニュース等で盛んに取り上げられましたが、先日の日曜日、「国際観艦式」というものが行われました。「観艦式」は、隊列を組んだ艦隊を最高指揮官が観閲する軍事パレードのことを言います。

日本で行われたのはひさびさなので、あまり耳慣れないイヴェントですが、歴史は古く、1341年の英仏戦争の際、英国王エドワード3世が自国の艦隊を観閲したことが起源で、イギリスにならって海軍立国を目指す日本も、1868(明治元)年、明治天皇が大阪・天保山沖で初めて観閲。旧海軍は以後これを定着させました。

 

戦後解体された旧海軍の流れをくむ海上自衛隊は1957年、観艦式を東京湾で初開催。オイルショックによる中止を挟み、81年以降は3年に1度開かれてきました。

 

報道では、こんな感じ。

 

海上自衛隊の創設70周年を記念した「国際観艦式」が6日、神奈川県の相模湾で開かれた。日本での開催は20年ぶり。海自の艦艇を岸田文雄首相が観閲(視察)し、米国や豪州、インド、韓国など12カ国18隻が祝意を示すため航行。天候不順の影響で参加予定だった英国は参加しなかった。

 

外国から12カ国が参加している点が「国際」たる所以です。

観艦式には名を連ねていなかったアメリカ空母「ロナルド・レーガン」も、付近を航行していたということで姿を見せ、短時間ながら並走していたそうです。

 

雰囲気は、こんな感じ。

前から「もがみ」と「くまの」。就役したばかりのFFM(Frigate Multi-purpose/Mine-warfare)と呼ばれる新しいタイプの最新鋭護衛艦です。ツルツルボディでステルス性を考慮した外観が特徴的ですね。先代は旧海軍の重巡洋艦の名前です。

後ろの「しまかぜ」は旧式艦なので、練習艦として運行されていますが、言わずと知れた旧海軍の最高速駆逐艦島風」の名前を継いでいます。これは「艦これ」でおなじみ。

イラスト、見たいですか。

 

手前が「島風」。ちなみに向こうの娘は「雪風」。

自衛艦としての「ゆきかぜ」は、昭和28年度甲型警備艦1602号艦として、新三菱重工業神戸造船所1954年(昭和29年)12月17日に起工され、1956年(昭和31年)7月31日に就役し、横須賀地方隊編入されてます。僕より3つ歳上だ。でも引退後の1986(昭和61年)8月、能登半島沖にて実艦標的として海没処分されちゃいました。

 

それはさておき。

 

先導艦「しらぬい」の後ろの艦が今回の観閲艦を務めた「いずも」です。

空母に見えるけど、まだヘリコプター搭載護衛艦(DDH)です。戦前であれば天皇陛下が乗船する「御召艦」ですが、現在は内閣総理大臣が乗ることになります。

 

観閲部隊と受閲部隊が交差するポイントでは、受閲部隊側から敬礼を受けた観閲艦が答礼をし、全ての護衛艦がすれ違うと、回頭といって180度進路を変えます。

 

ひさびさに参加した韓国は補給艦「ソヤン」1隻だけ送ってきました。

自衛隊機への火器管制レーダー照射など、文在寅政権下で生じた複数の問題は解決しておらず、停滞した防衛協力が完全に正常化するかは見通せない情勢があるからです。

 

このとき、ちょっと微妙なことになりました。

 

どの艦もそれぞれ、「登舷礼式」といって、艦が行き違うときに乗員は甲板の舷側に整列して相手の艦に対して敬意を示すのですが、相手艦である補給艦「ソヤン」は必然的に自衛隊旗に向かって敬礼することになります。

韓国では自衛隊旗が戦時中の旧帝国海軍の旭日旗と同じデザインであるとして、ともすれば敵対感情を抱く、ということがありますが、この場合、その旗に敬礼したということになるからです。

登舷礼式のイメージです

なかなか外交とは、難しいものですね。

 

戦前の観艦式では連合艦隊を整然と並べておいて、御召艦がその間を通り抜ける、という形をとったのですが、今回は双方が巡行しながらやったみたいですね。

 

これに合わせて海上自衛隊は10月29日から11月13日までをフリートウィーク期間に設定し、横須賀を中心として、横浜や木更津など東京湾各地の港で艦艇公開イベントを行うなど、国際観艦式を盛り上げる各種イベントを行っています。

 

『横須賀パレード 国際観艦式2022』全団体【2022.11.3】 - YouTube

 

ひさびさに、横須賀に行ってこようかな。

 

見事な動画はこちら。

【保存版】「いずも」艦上から見る圧巻の国際観艦式! 外国艦艇は12か国18隻、海上自衛隊では「たいげい」「もがみ」などが初参加 / International Fleet Review 2022 - YouTube

 

【国際観艦式2022決定版】観閲全記録!【海上自衛隊創設70周年】 - YouTube

 

旧海軍時代の観艦式については、尺の都合で次回触れます。