にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分快 晴 Tsundokuが国際語になってるらしい。「にこたろう読書室」の現在の状況はこんな感じ。

血圧値 120/83/69 酸素飽和度 99% 体温 36.2℃ 体重 66.4キロ

 

いろいろ片づけてはいるんですが、「にこたろう読書室」の現在の状況は、こんな感じ。まだ雑然としているなあ。

 

まあ、紙の本なら、最後に業者一括で処分!ができますね。

自分でやるのはちょっと悲しいけど。

 

そう、本にはそういう感情的なものが絡んでくるから、断捨離が難しいのです。

写真も同じね。

 

どうしても必要になったら買い戻せばよい、というものはどんどん整理すべきなんだろうなあ。

 

それでも、ここ数年で相当の分量を整理・処分したので、紙の資料はかなり減りました。1/3くらいになったかなあ。

 

近くの図書館などでかぶるものは、持たなくてよいのですが、そういうところの蔵書は一般的なものしかないですからね。

 

さて。

積読(つんどく)」という言葉が、どうやら国際語になって、地味に脚光を浴びているらしいです。

 

Tsundoku

 

面白いですね。

購入するなどして手に入れた書籍を読む事なく、自宅で積んだままにしている状態を意味する「積ん読積読」。発音は「つんどく」。

 

日本には遅くとも明治時代から存在する言葉ですが、近年はBBCやCNN、ニューヨーク・タイムズ紙など海外の大手メディアでも続々と取り上げられた事により、そのままTsundokuで通じる国際語になりつつあります。

基本的にはユーモアに富んだ言葉として紹介されていましたが、アメリカのネットメディア「Big Think」は、その効能に迫った特集記事を配信しています。

 

ポイントはこんな感じ。

 

統計学者のナシーム・ニコラス・タレブ氏。

「読まずに積んだ状態にされた本は、まだ知らない物事があるという事を、常に思い出させてくれる」

 

また、本の所有と読書は密接に関係している、という過去の研究結果も取り上げられており、それによると、多くの蔵書がある家庭で育った子どもは大人になってから識字能力、計算能力、情報通信技術能力が向上したそうです。

 

編集者ジェシカ・スティルマン氏。
「あなたが読んでいない本は全て、あなたが無知である事の表れです。しかし、自分がどれほど無知であるかを知っていれば、多くの人々より遥かに先にいるのです」

 

おお、「無知の知」だ!

 

結論

「読まなくては」と思わせてくれること自体が、積読の価値だ!



積読」に罪悪感を覚える人はかなり多いようで、この記事に救われる外国人が続出しているそうです。

 

いくつか、コメントを拾うと、こんな感じ。

 

■ そう、そうなんだよ。ようやく罪悪感なしにツンドクを楽しめる!

■ この症状にも名前がついてるなんて嬉しい。私は電子書籍でも読んでるけど、それでも本棚にある本を眺めたり、手で感じたり、読んだりすることは喜びなの。

■ これはレコードやCDにも言えるんだろうか?

■ 私のためにあるような言葉だ。おじいちゃんが「知識に囲まれなさい」って言ってたけど、この事を意味してたんだと思いたい。

■ 日本のライフスタイルの中に、この愛すべき「ツンドク」の名があるのは素敵な事だね。これは生き甲斐とかにつながる事だから。

■ 俺の状況を一言で表現出来る日本語があったか。残念ながら英語じゃ訳しきれないね。

■ 今週も新たに5冊の本を買ってしまった。私の図書館は未読の本でいっぱい。……でも、癒されるんだよねぇ🙂

■ 僕は今気分が良いよ。ツンドクという日本の概念が出現したおかげで、罪悪感が吹っ飛んで救われた気がする!

 

 

僕も当然、「読書室」の本を、端から端まで「完読」しているわけではないし、資料・史料的なものは、身近に持っていること自体に意味があると言えます。

まあ、それでも「これ全部、読んだの?」と聞かれることには、若干のプレッシャーというか後ろめたさは感じてました。

 

「Tsundoku」には、積極的な、前向きのイメージが感じられて良いですね。