にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分快 晴 ブログ更新700回記念の日。これは義務ではなく、病気のおかげで手に入れた、生きる愉しみのようなものです。

血圧値 113/83/62 酸素飽和度 98% 体温 36.2℃ 体重 69.6キロ

 

まあ、どうでも良いことではありますが。

 

700」の写真素材 | 5,586件の無料イラスト画像 | Adobe Stock

 

2年前の5月1日から書き始めたこのブログも、今日の号で700回となりました。

1日も途切れずに来られたのは僥倖。

 

なぜなら、入退院以後、とりあえず700日を独りで生きながらえた、ということだから。

これはまあ、良かった。

 

今の状況は、とても元気で、毎日が愉しいです。

これまでの人生で一番明るいかな。

 

脳幹出血の後遺症も、言えばいろいろあるんですが、痺れたりふわふわしたりする感覚障害だけで、とくに何かの不自由があるわけではなくて、しかも悪化は全然していないし。慣れてきた、ということもあるし。

 

「退屈」という感情を忘れてしまったように、いろいろやりたいこと・やるべきこと・食べたいもの・飲みたいもの・行きたいところ、などなどありすぎで困ってます。

 

まあ、家内が亡くなって子供も親も居ないので、3年前に独りにはなりましたが、これはしょうがないことだし、普通のことだから。

 

700回記念で、抱負と目標を言おうかな。

 

これからの5年間、全集中して悔いのない日々を!

若し余命があれば、その内容によっては全集中を延長するか、「サ高住」へ。

 

他人の迷惑にならないように、おとなしく「サービス付き高齢者住宅」に入るのが僕の場合、現状を考えれば普通のやり方だとは思います。

それも当然視野に入れています。

退院当初はこの3月末で判断するつもりでいました。

 

気がついてみると、もう2年が経ちます。

やってみると思ったより元気そうなので、終活の進捗状態というものとの兼ね合いで、じゃあ来月からサ高住入居、というのもせわしなく、とりあえず欲を言ってあと「5年間」というインターバルで準備期間を持ちたいと考えています。

 

なので、この5年間を全力で終活を進めながら、いつ死んでも良いように、また悔いが残らないようにやり遂げて、それでもしさらなるロスタイムがあるなら御の字。

 

そんなふうに、今は考えているのです。

 

 

ああ、ブログの話題でしたね。

 

予約投稿もやったことはありません。

 

なぜかというと、毎朝のバイタルチェックを記録し、継続投稿の事実で生存確認をできるようにするためです。

 

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バイタルチェックとは、バイタルサインを測定し、正常であるか、異常がないかを確認することです。バイタルサインとは「生命徴候」のことで、「脈拍」「呼吸」「体温」「血圧」「意識レベル」の5つがバイタルサインの基本です。客観的なデータをもとにアセスメントすることで、全身状態の変化や異常の徴候を早めに発見します。

入院中あるあるで、これを3か月、看護士さんがやってくれました。

 

ブログのタイトルの冒頭にいつも書いてる、あれ。

うざいと思いますが、まあ、おまじないのようなものです。

 

毎朝測り、このブログに書き込むことで、孤独死体として後日発見されるというリスクを、少しは減らしたい、という願望によるものです。

 

孤独死・民生委員の緊急訪問 [181392179]

 

なのでインチキ(予約投稿)をしてしまうと、この目的が根底から崩れてしまいます。

 

僕が家を空けて旅行中でも、バイタル計測器は懐中し、ブログアップも出先から行っているのはこのためです。

(国外からでもできるのかな)

 

お独り様病後人ですから、いつ死んでもおかしくないし。

これは冗談ではなく、2年前に痛感したことです。

 

原則、このブログが1日途絶えただけで、エマージェンシーといえるのですが、果たしてそれだけで救急介入していただけるのか、というと世間はそう甘いものでもないでしょう。

 

ただ、さすがに3、4日の断絶があれば、なにかしら気がついていただいて、事故物件化だけは避けられたらなあ、と思うのです。3か月後に見つかる、なんてのは日常茶飯事ですからね!

 

そうはいっても、なかなか思うようにはいかないでしょうから、警備保障サービスの見守りオプションを契約するとか、最初に戻って「施設入居」が俄然真実味を増してくる、ということになります。

それまでは、できるだけ毎日、近辺のいろいろなコミュニケーションを途絶えないようにしておきましょう。

 

そしてまた、明日の朝もこのブログをアップする、というわけです。

そのために、なにかしらの行動とか思索とかをしなくちゃなりません。

これは義務ではなく、生きる愉しみのようなものです。

病気のおかげで手に入れたもの、といっても良いかもしれません。

 

では、また。