にこたろう読書室の日乗

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0530 起床 気分快 晴 奈良法華寺巡行【秘仏に会いに行こう№01】その3 この広大な風景。復元された都の桜。最善を尽くして復元したけれど、このままの建物がかつて存在した保証はない。

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もう巡行からは帰ってきたのですが、記事は遡って書いています。

上記のバイタルチェックはリアルタイムで、ブログの記述は数日前のもの、ということです。

 

さて、この広大な風景。

平城宮内のセンターの道路から南方面を見たところ。

 

ここ辺りは何百年もずっと農地として使われてきたため、近代以後も宅地化等で遺跡が破壊されることなく、奇跡的に残されました。

そこを国が買い上げて、このような遺跡保存大プロジェクトが可能になりました。

 

莫大な税金を投下したので、博物館も無料公開して、気もち的に還元をしているのでしょう。まあ、これを残すのは良いことだ。

 

遠くに見えるのは復元された「朱雀門」。

 

後ろを振り返ると。

大極殿の「南門」。復元作業中は右の覆いがかかっていたのですが、完了したので、覆いは右にずらして、別の建物を復元中です。

 

門の奥に見える大きな建物が「第一次大極殿」。

天皇が座る玉座がある、政治の中心となる建物ですね。なぜ「第一次」かというと、この都は遷都によりあちこち移転して、またここに戻ったのですが、そのときちょっと東にずらして「第二次大極殿」を作ったからです。

こちらもほぼ全容が発掘調査済みです。

 

平城宮の広さを実感できるので、朱雀門まで歩いてみます。

途中に、分かりやすい看板がありました。

 

ふり返ると、朱雀門

 

奈良時代平城宮の正門。平城京の入口である羅城門から、メインストリートである幅約80mの朱雀大路を北へ4km進んだところに、そびえ建っていました。

門の前では、外国使節の送迎・大勢が集まっての歌垣・天皇による新年のお祝いなどが催されていたようです。(ようです~というのははっきりとした史料が見つけられていないからです。)

 

こんな感じ、かな。

 

朱色に塗られた入母屋二層構造と言われる建築様式を持ち、東西25m、高さ20mに及ぶ堂々たる風格を示しています。

 

朱雀門を直接描く資料は存在しなかったため、昭和期に徹底して行われた発掘調査や歴史・建築史研究の成果を活かしつつ、様式は薬師寺東塔、部材の大きさは東大寺転害門、また鴟尾については唐招提寺金銅といった奈良時代のその他の現存する建築も参考に、耐震強度等の現代の建築基準を満たすような形で復元が行われたそうです。

 

竹中工務店に、拍手。

https://www.takenaka.co.jp/solution/purpose/traditional/service19/index.html

 

なので、最善を尽くして復元したけれど、このままそっくりの建物がかつて存在した、という保証はない、ということです。

それだけ歴史考古学は難しい、ということね。

 

平城宮」と「平城京」の関係を錯覚することがあるので、下の地図で整理しておきましょう。

 

このような碁盤の目(条坊制と呼びます)のように整然と計画された中国風の都市が「平城京」(奈良の都と言いますね)。

その北辺の中央部にある、政治の中枢で、官庁街があり、天皇の住んでいる内裏もある一角が「平城宮」。

 

図の左上、西大寺(今はありません)あたりから出発して今は朱雀門に来ていて、これから法華寺に向かうところ、というわけです。

 

 

 

朱雀門の南側には、「朱雀門ひろば」という、一般観光者向けのイヴェント施設があります。観光バスのお客さんたちは、ここから入るのね。

 

なにやら、新緑も鮮やかです。初夏が来たみたい。

朱雀門ひろば】歴史展示からグルメ・おみやげまですべてが揃う「平城宮跡観光」の一大拠点 | 奈良まちあるき風景紀行

カフェもできたよ! 「平城宮跡歴史公園 朱雀門ひろば」にみんなで行こう | ええ古都なら

内容も高度です。ジオラマなんかもある。

 

今回は、ちょっと駆け足で観ておきました。

ここはまた、機会をみてリピートしよう。

遣唐使船の復元なんか、観ていないし。

法華寺に行くのが大事な目的ですからね。)

 

平城宮跡歴史公園 朱雀門ひろば

 

平城宮跡の全貌を隅々まで本格的に観たい人は、僕が入った西北角からのアプローチが手順良く周れると思います。

 

次号に続きます。