血圧値 117/85/73 酸素飽和度 98% 体温 36.2℃ 体重 69.0キロ
さて、ついにこの長い物語も、大団円。
『第7話 ハリー・ポッターと死の秘宝 Part1+2』
映画版は前後編の2巻に分かれてますが、作品としてはひとつです。
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』が2010年11月19日に、『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』が2011年7月15日に公開されました。
「あなたの言うとおりだと思うわ」ハーマイオニーがロンに話しかけた。
「単なる道徳話なのよ。どの贈り物がいちばんよいかは明白だわ。どれを選ぶべきかと言えば――」
三人が同時に声を出した。ハーマイオニーは「マント」、ロンは「杖」、そしてハリーは「石」と言った。
「死の秘宝」とは強力な魔法の力を持った物体で、無敵のニワトコの杖、死者の魂を呼び出す蘇りの石、使用者を見えなくする透明マントの3つを指します。
右:死の秘宝のマーク
左:フリーメーソンのマーク
『ハリポタ』の物語の底に流れる隠しテーマのようなものですが、この終盤になって突然現れるのでびっくりします。
第1話から伏線は貼られているのですが、とくに映画版では詳細な説明がむつかしいので、展開が分かりにくくなっている原因のひとつです。
観てから読んでまた観る、のが全体の理解への王道かな。
今回、僕より若い世代の人たちには、『ハリポタ』を観たことも読んだこともない、という人がかなりたくさんいる、ということに気づきました。
そうなのか。
「魔法使いサリー」みたいなものなのか?
「桃太郎」くらいなのかと思ってた。
ポスターの絵面を見ても、ファンタジーとは程遠い、シリアスでダークなイメージですね。10年経つうちにどんどん変わっていくのです。
なので、前半3本だけ観ておしまい、という人もいるでしょう。
「正直に言うと、最初は『オーマイガー』って思いました」とエマは2010年に米Colliderとのインタビューで明かしている。「6作目を撮影していた時だったので、『オーマイガー、あと3作もある』って。ただただ呆気に取られていたという感じで、『盛りだくさんだ』って思いました」。
「デヴィッドたちプロデューサーとも話した時に、『すべてを1つの映画に詰め込むことはできないんだ。それだと多すぎてしまう。名作にはならないし、原作にも忠実でなくなってしまうからね。これを『死の秘宝』と呼んでいいのかも分からない。分霊箱を探してそれを壊すことに重点を起きすぎて、それをストーリーラインにまとめられるのかも定かではないんだ。別の呼び方をしなければいけないかもしれない。それくらいクレイジーなんだ』と言うことを言われて、それで私も、『なるほど』って思ったんです」とエマ。
物語は、「あの御方」を完全に阻止するため彼の分霊箱を探して破壊するハリー・ポッターの冒険の旅が完結するまでを描きます。
そして「死の秘宝」をめぐるすべての膨大な伏線が一挙に回収されて(本当か?)、ホグワーツ城での最終決戦となります。
そして、ここでようやく、このお城のその後の形状が明らかになります。
以下、簡単に検証してみましょう。
ただ、戦闘でどんどん壊されていくし、画面が夜でやたら暗いという問題があります。
例によってフォトショでコントラストを調整しています。
これはホグワーツが完全に「あの御方」の勢力下に入り、スネイプ先生が校長になっている時期の遠景です。
クロニクル(年代記)で言えば、1996年8月後半くらいのころと思われます。
ダークタワーとライブラリー棟が見えないので、おおよそ「スタジオ東京」の大型ジオラマに近いと思いますが、大きく異なるのは手前の長い橋です。
1998年5月2日、ついに「あの御方」の分霊箱もあと1つ(厳密には2つ)を残すのみとなり、ハリーがホグワーツに進撃して、最終決戦(第2次ホグワーツの戦い)が始まります。
ホグワーツの先生がたがお城の上空に魔法防御バリアを張っているところですが、右下のグレートホール前の中庭の先に、長い橋が見えます。
ついに敵軍の総攻撃が始まります。
マクゴナガル先生の発動した魔法で制御される石像の兵士が、この橋上に待機しています。
ピエルトータム・ロコモーター
「この呪文一度使ってみたかったんですよ!」
ホグワーツの保護呪文が破られると死喰い人と巨人の軍団が大挙して橋に攻め寄せ、欄干などの橋の一部が破壊されました。
映画の最期近く、ハリーの葬列(仮)が、「あの御方」を先頭にこの橋を渡ってきます。
この橋、「高架橋」というのですが、『ハリー・ポッターと謎のプリンス』まではとくに変わった様子はなかったのに、ここへきて突然場所を変えて出現しました。
それまではA/B両伽藍を繋ぐものでしたが、ここでは城外の対岸とグレートホールを繋ぐ、正面通路になっています。
この設定変更はホグワーツの戦いを描くために行った可能性が高いと思います。
おそらくスネイプ先生の時に増築されたのではないかな。
詳しい図面を発見しました。
湖がかなり埋め立てられている感じがします。
大坂城の外堀を埋められっちゃった、みたいな!
ロンドンのスタジオと東京のスタジオは、提示物とか基本同じものが存在するのですが、微妙に有る無しがあるみたいです。
例えば、これ。
写真はホワイト・ボード・モデルです。大小あるみたいですが、いずれもロンドンにしかありません。(なので僕は見たことがない)
このホグワーツには「高架橋」が中庭の中央から対岸へ通じていますね。
ホワイトボードモデルはホグワーツ巨大模型エリアの手前のフロアに展示されています。
この「高架橋」は、大型模型にはなぜかありません。
このことを除いては、このホワイト・ボード・モデルと巨大模型は同じもののようです。
さて、これで「ホグワーツ城クロニクル」のおおよそのお話はおしまいです。
『ファンタスティック・ビースト』シリーズの時代も考察する必要がありますので、これについてはまた順次、取りあげたいと思います。
ニュート・スキャマンダーって1897年2月24日の生まれだから、ずいぶん昔の話ですね。
ゲーム『ホグワーツレガシー』は本編からおよそ100~200年前にあたる1800年代のストーリーとなっているので、『ファンタビ』よりさらに前です。
それでは、今回はこれでおしまい。