にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0630 起床 気分快 曇 東十条界隈巡行②【見て、歩いて、よろこぶもの】日本人が好きです。日本人として死にたい。ドナルド・キーン先生と北区の御縁について。

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もう一つのミッション。

 

この先生と北区立中央図書館の関係、について。

 

 

凄い、グイレートな感じの人だなあ。

この名前で日本国籍を取得。

日本がとても好きになった先生らしい洒落ですね。

 

残念ながらお亡くなりになったけど。

でも天寿。

 

先生の蔵書や著作がこの図書館に寄贈されて、それを公開するときに図書館の一角に、「ドナルド・キーン コレクションコーナー」が開設されました。

 

黄犬ダイアリー : ブックカフェされど•••

 

今回は、それを見にきたのです。

 

 

このコーナーができるまでのいきさつは、こんな感じ。

 

日本と平和を愛したドナルド・キーンさんの気軽な「書斎」 東京都北区立中央図書館に蔵書コレクション|じんぶん堂

日本と平和を愛したドナルド・キーンさんの気軽な「書斎」 東京都北区立中央図書館に蔵書コレクション|じんぶん堂

 

書斎風に区切られた空間。

誰でも入れるように開放されています。

 

日本と平和を愛したドナルド・キーンさんの気軽な「書斎」 東京都北区立中央図書館に蔵書コレクション|じんぶん堂

東京・北区を愛したドナルド・キーン氏、ユーモアあふれる人柄を伝える展覧会…「黄犬忌」にあわせ : 読売新聞

 

寄贈された蔵書には先生の克明な書き込みを見ることができます。

 

「日本文学史」を書いた人です。

古代から近現代まで、ともかく膨大な原典史料を、日本語で、読み込んだんですからね。凄い。並の日本人には到底できないことです。

 

71386/ドナルド・キーン 著作集 全15巻揃 帯付き 新潮社 日本の文学 百代の過客 思い出の作家たち 日本人の戦争 能・文楽・歌舞伎 自叙伝の2番目の画像

 

先生は1922年、ニューヨークに生まれ、子どもの頃から成績優秀で、飛び級を何度か繰り返し、16歳でコロンビア大学に進学。

まもなくヨーロッパで戦争が勃発する。

戦争の記事を読みたくないあまり、ますます外国語を学ぶことに没頭していくと、たまたまタイムズ・スクエアの本屋で、山積みされていた『The Tale of Genji』という本を見つけます。

アーサー・ウェイリー訳で、2巻セットで49セント。

お買い得だと思った先生は購入して帰った。

 

そうして読み始めた『源氏物語』に、すっかりこころを奪われる。どこか遠くの美しい世界が描かれ、そこには戦争がなかった。

 

この時の出会いが、先生の人生を日本文学研究へと導くことになるのです。

 

源氏物語

 

源氏物語の有名な一節

いづれのおほん時にか、 女御更衣あまた侍ひ給ひけるなかに、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれて 時めき給ふありけり」

 

この部分をアーサー・ウェイリーはこういう風に訳しています

“At the Court am Emperor (he lived it matters not when) there was among the many gentlewomen of the Wardrobe and Chamber one, who though she was not of very high rank was favored far beyond all the rest”

 

いづれのおほん時にか」の部分はカッコ内に入れられて (he lived it matters not when) となっているのは、なかなか凝っています。

 

普通の英語ならばこの部分は It does not matter when he live. となります。

 

 

先生の、人生絵巻。

 

2019年2月、先生は96歳で長い生涯を閉じました。

三島由紀夫司馬遼太郎等の作家と交流のあったキーン先生は、膨大な数の日本文学研究の著作を残し、その功績を認められ、多数の賞を受賞していますが、2002年には日本政府より文化勲章を授与されました。

日本と出身地のニューヨークを交互する生活(先生はニューヨークと東京に半年ずつ交互に棲む生活を約35年間続けていた)を長年続けていた先生ですが、2011年の東日本大震災が契機となって日本国籍を取得され、日本に永住しました。

「鬼怒鳴門」(キーン・ドナルド)という漢字の名前も名乗り、日本人になりました。

震災と原発事故で苦しんでいた日本人を勇気づけました。

 

かつて友人と歩いた旧古河庭園

先生は、「緑豊かで、とにかく静か。バラが美しく、池には白鳥が見えた。そこに住みたいと、無邪気に思ってしまった」といたく気に入り、その近くの北区西ヶ原に住むことにしたのだそうです。

これが北区と先生の繋がりですね。

 

キーンさんの言葉をいくつか。

 

地震津波原発事故があっても日本人が落ち着いていたことに感心しました。日本人が好きです。日本人として死にたい」

 

「外国人としてではなく、日本人として内側から意見することで覚悟を持ってメッセージを伝えたかった」

 

「自虐的な日本人に“なぜ日本のような国に人生をささげるのか”と聞かれるが、心から、“日本の人々がいるからだ”と答える」


「立場や考え方が違っても、話せば何か解決策に到達することができるはずだ」

 

日本人の特徴は、

あいまい(余情)
はかなさへの共感
礼儀正しい
清潔
よく働く

 

「私はだいたいにおいて日本は良い方に来たと思います」としながらも「自分たちの伝統に興味がないということは一つの弱点だと思います」としている。

 

この写真は、新潟県柏崎市にある、「ドナルド・キーン・センター柏崎」。

 

ドナルド・キーン・センター柏崎 | ドナルド・キーン・センター柏崎の公式サイトです

 

柏崎にある日本文学研究の大家、故ドナルド・キーン先生の記念館を訪問』柏崎・鯨波海岸(新潟県)の旅行記・ブログ by Antonioさん【フォートラベル】

再現したアパートは広々としていました。

 

ニューヨークにあった先生のアパートの各部屋と書斎をそのまま再現したコーナーです。

今度はここに行ってみなくちゃ。

 

 

図書館を出て、第3のミッション、「旧陸軍造兵廠本部」の建物が遺されているので、見に行くことにします。