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昨日は関東地方、春一番。
21℃の四月なみの暖かさと、強風。
朝から出かけて、東十条の駅に向かいました。
3つのミッションと1つのサブクエストを果たすためです。
これまでなかなか来る機会がなかった地域です。
目黒駅から恵比寿駅を経由して埼京線で赤羽駅、京浜東北線に乗り換えて一駅、東十条駅です。
今回のミッションに関しては、埼京線の十条駅で降りたほうが早いのですが、後述するサブクエストとの兼ね合いで、この駅まで来ています。
大正時代からの歴史を持つ「京浜東北線(当時は「京浜線」の名称で呼ばれていた)」においては、やや後発組となる1931年(昭和6年)にデビューした駅です。
この駅の南口から出発。
南西方向に跨線橋を跨ぐと、地蔵坂という坂道があります。
北区は南北に走っている京浜東北線の線路を境にして東側が低地、西側が高台となっています。
そのため、北区には坂が多くあります。
そしてその坂には、名称が付いており、その名称を知ることで、その周辺が昔どんな環境だったのか、住人がどのような生活をしていたのかを知る手掛かりとなります。
跨線橋です。
もとは東北本線の荒川橋梁として使用されていたものを再利用したそうです。
1895年製。しかも現役!
“COCHRANE&Co. 1895 DUDLEY ENGLAND”と刻まれた貝殻の形をした銘板が付いているのでイギリスで製造されたものだということが分かります。
道の脇にお地蔵様が祭られています。
この地蔵堂は東十条駅の開設にともなう跨線橋の設置や道路の拡幅により移設されたものです。
地蔵坂の「子育地蔵尊」は、東十条駅の南側にある地蔵坂の上にあるため、「地蔵坂の子育地蔵尊」と呼ばれています。
北区教育委員会の説明板が立てられています。
本線は車道になっていますが、旧地蔵坂はこんな感じで残っています。
この地蔵堂は、昔はこの坂の中腹に建てられていたわけです。
坂の形状はアラビア数字の「3」を左右反転して引き伸ばしたような形状で、坂の上と下では高低差が約11.2m程あり、距離は100m前後です。
本線から下の旧坂へ石段で降りることができます。
ちょうど、梅が綺麗に咲いていました。
新道をちょっと登ると旧岩槻街道との交差点の十字路にぶつかりますので、左へ曲がります。
ここを直進すると演芸場通りという趣のある商店街を抜けて、JR埼京線の十条駅に繋がります。「十条駅で降りたほうが早い」と言ったのはそういう意味です。
さて、十字路を左に進むと、陸上自衛隊十条駐屯地。
十条駐屯地(JGSDF Camp Jyujyou)は、東京都北区十条台1-5-70に所在する、北関東防衛局・陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊が共同使用している防衛省施設です。
この辺りは、昔から軍事施設が集中していました。
十条周辺を拡大すると、こんな感じ。
東京都北部の北区の赤羽、十条、王子と板橋区の板橋といった地域には、もともと明治期から東京砲兵工廠と関連工場が置かれ、兵器や弾薬の製造から管理までを行なっていた歴史がありました。
のちに東京造兵廠と呼ばれ、これらの地域には東京第一陸軍造兵廠と東京第二陸軍造兵廠というものがありました。
戦後はこれらの地域を占領軍となった米軍が接収し、東京兵器補給廠 (Tokyo Ordnance Depot)として米軍が使用することになりました。
それらの地域の一部は、日本に返還され、1950年末に自衛隊の十条駐屯地となりましたが、のこりの土地は引き続き米軍によって使用され、ようやく日本に返還されたのは1971年のことでした。
現在では、自衛隊十条駐屯地の他の土地は、様々な小学校や中学校、大学や公園などになっています。
今回のメインミッションのひとつは、この駐屯地に隣接する北区立中央図書館の、赤レンガ倉庫を観ることです。(上記地図内参照)
ここは駐屯地の一部が公園として開放されているエリアですが、この構造物は旧変圧所のモニュメント。
1918(大正7)年に変圧所として建てられた建物の一部を保存したもので駐屯地への出入口ではありません。
赤レンガ建築が見えてきました。
いかにも「明治・大正」ですねえ。
舞鶴鎮守府の光景を思い出します。
赤煉瓦棟(旧東京砲兵工廠銃包製造所)は元々弾丸を製造していた工場でした。
1919年(大正8)に作られました。2008年(平成20)に新図書館が開館しこの赤煉瓦の建物もその一部として再利用されました。レストランも併設されており雰囲気のいい図書館です。
この図書館、2008年3月以前は北区王子(現在は建物が解体)にあったのですが、十条台の中央公園内の赤レンガ倉庫の保存問題が生じて、それを生かす形で改装・増築してここに移転・リニューアルオープンしたとのことです。
図書館に生まれ変わる前の、解体の危機にあったころの写真です。
こんな感じで、レンガ倉庫と近代的な図書館の構造が見事に一体化・融合されています。
地域の歴史や陸軍関係の収蔵資料が多いだけでなく、建物自体が旧陸軍造兵廠のレンガ作りの倉庫を利用しており、館内でレンガの壁や鉄骨トラス構造の柱や梁をうまく利用して落ち着いた雰囲気をだしています。
レンガの内側に厚さ50cmのコンクリートを打って万全の耐震補強をおこなったおかげで、「3.11」も軽々と乗り越えたほど頑丈に生まれ変わった図書館は、斬新な発想と完成度の高さから、グッドデザイン賞をはじめ日本図書館協会建築賞や日本ファシリティマネジメント賞を受賞しています。
図書館の話では、軍事施設ゆえに、レンガ倉庫を残すことには住民の反対もあったそうです。
しかし図書館という施設の意義も考慮して、歴史を後世に伝えるべく、レンガ倉庫をなるべく残す方向で取り組んだとのこと。
なかなかうまいことを考えよったなあ。
その他、ドナルド・キーン氏のコレクションコーナーやカフェもあり、長時間滞在して資料を検索する人にも優しいです。
このドナルド・キーン先生の収蔵物を見ることが、今回の二つ目のミッションです。
以下次号。