にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0400 起床 気分快 晴 お金持ちなのに野菜や小麦粉ちょろまかしたりした荷風先生。まあ、憎めないし。時代だし。でも、女の人には奢ります。

血圧値 125/82/87 酸素飽和度 98% 体温 36.4℃ 体重 67.4キロ

 

ちょっと早く起きたら、三日月と、満天の星。

スマホではあんまり良く写らないけど。

 

 

昨日返却したホルター心電図計のデータ解析は二週間後に結果が出ますが、なにか深刻な問題があれば女史先生から電話があります。

とくに無問題なら、外来受診は脳外科と合わせて来年の2月です。

 

No news is good news

便りの無きは無事の知らせ(無視の知らせ!?)。

 

 

<超金持ち神経症風偏屈老人>、だった永井荷風

これは有名な話。

 

変な人でした。

文化勲章受章者なのに。

あれがそもそも変だったのか。

べつに本人が欲しがってたわけじゃないだろうに。

 

熱海時代は、ああいう物のない終戦直後の大変な時期ですから、ますます先生の行動も怪しい雰囲気が増してきます。

 

戦後占領期日本の生活 | 写真素材・ストックフォトのアフロ さん

 

御養子の永光さんは子どもながらよく観察して記録しています。『父 荷風』を読みます。

 

父 荷風(永井永光) / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」 / 日本の古本屋

 

➀脅迫観念が強くて、風呂に入る時は全財産を抱えて風呂場に持っていく。

 

➁それぞれ自炊していたが、たまに家の物を失敬していく。うどん粉をちょろまかしておかゆを増量しようとして間違えて磨き粉を入れてしまい、やむなく、やせ我慢して無理して食べた。

 

③八百屋の店先からジャガイモをくすねたらしい。

 

④熱海銀座の喫茶店で、紙みたいに薄いソーセージとジャガイモのランチをえらい高い値段で食べたりするが、ご親族にはなんにも奢ってくれなかった。

 

まあ、いろいろ!

 

でも、お金は持っているのですよ。

あんなご時世でも、筑摩書房から原稿料が「壱萬円(当時の!)」振り込まれたり。

あの「天神町郵便局」に受け取りに行ったのかな。

 

たしかに、現金はあってもモノはない時代ですから。

あと、戦時中なので預金封鎖されてたし。

磨き粉だって我慢して食べなくちゃね。

 

闇市のTwitterイラスト検索結果(古い順)。 さん

 

でも女の人には、気前が良い。

けっこう居ますね、こういう人。(みんなそうか、男気!)

 

「全財産を抱えて」どこへでも行く、というのは荷風が戦後もずっと続けた習慣。

有名な、持ち歩いていた「財産」を、全部落っことした事件。

 

三田文學「永井荷風特集」に寄稿 - YOUCHANのイラストパーク(News)

 

これは戦後、しばらくしたころのイメージですが、先生、この小さなボストンバッグに戸籍抄本とか土地の権利書とか預金通帳とか現金とか、一切合財を入れて持ち歩いてたらしい。

それを国鉄の車両に忘れたのね。何千万円という額面の財産。

昭和29年(1954年)の話。

掏られた説もあるけど、あとで全額見つかったので、それはないんじゃないかな。

(これ調べましたら、盗んだけど現金は無かったので、また捨てたらしい)

 

鞄の中身は次の通り。(あくまで当時、のレートです)

 

三菱銀行八幡支店「日の出定期預金証書」 300万円×2口、500万円×1口
・同銀行の普通預金通帳 3,446,507円
千葉銀行市川支店の普通預金通帳 2,102,615円
・文化功労年金証書 50万円
カネボウ株式配当金423円の横線小切手
・その他(計算書、古い通帳などの紙切れ多数、10円貨2枚、缶詰1個)

 

総額20百万円くらいあったそうです。今のお金にすれば5億円くらいに相当する金額。

 

わがままなひとり暮らし 永井荷風の日記をたどる - 日本経済新聞

 

荷風の鞄を拾ってくれたのは進駐軍アメリカ兵だったそうです。しかもたった5千円しかお礼をしなかったことも話題になったそう。

 

(これも調べましたら、荷風先生元銀行員だから抜け目なく実印は別にしまってあって、通帳も即刻停止したので、実害はなかったんだとか。5千円は警察の指示でしぶしぶ出したらしい。ただ、ニュースにはなりますね!)

 

まあ、ケチですね!

 

でも、女の人には奢ります。

なので、こんなにモテました。

MMK(モテテモテテこまる) 。

 

永井荷風」は女好きのお金持ち作家で奇人?不思議な文豪の本当の姿を探る!

荷風の放蕩三箇条: ケペル先生のブログ

 

大事なことなので、二度、書きました。

 

 

この鞄、亡くなったときも枕元にあったそうです。

 

わがままなひとり暮らし 永井荷風の日記をたどる - 日本経済新聞

BookCafe&Bar 十誡 on X: "#BAR十誡書籍紹介 【荷風流東京ひとり歩き】近藤富枝監修 『永井荷風の愛した東京下町』や『文豪の愛した東京山の手』等も勤めた近藤富枝氏監修の一冊。  荷風が辿った道、通った銀座のカフェ、使用した文房具、さらには荷風のお出かけ ...

 

これは遺品の、「荷風コーデ」。

鞄のほかに「買い物かご」もマストアイテム。

「おじさんおばさん」、みたいなモード。

(ポニーテールリボンズ、知ってる人は、やはり変!)

 

僕もね、リスペクトして、小さなボストンバッグ使ってるよ。

 

<超金持ち神経症風偏屈老人>の、「超金持ち」以外のところは、なんとなく僕の感覚にも近いものがあって、他人の気がしないなあ。

 

ファッション感覚も、なんか分かるし。

 

 

僕の鞄は、wjk(ダブルジェイケー)ホースレザーバックというものですが、いまのところまだ、「MMK」状態には至っていません。

修行が足りないのかな。(ていうか中身が足りない!)

 

荷風先生、やっぱり凄い。

 

僕の鞄には全財産とか入ってないので、強盗とかを企画しないように。

それは、徒労です!(罪状に「強盗」がつくと執行猶予がつかないので大変です)