血圧値 120/88/72 酸素飽和度 98% 体温 36.5℃ 体重 67.5キロ
熱海に行きます。(ていうか、一昨日の話ね。)
「シンデレラおじさん(八木原君)」の住まいである温泉付きマンションがあるので、泊めてもらいます。
夜は窓から、例の花火が見られます。
なぜ「シンデレラおじさん」なのかは、こちらを参照。
0600 起床 気分快 晴 世田谷巡行。といっても脳外科病院から隠れ家バーへ徘徊しただけですが。 - にこたろう読書室の日乗
今回は、永井荷風関連のいくつかの聖地を巡る巡行です。
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荷風は、前に触れた麻布市兵衛(いちべえ)町の偏奇館を昭和20年3月の東京大空襲で焼け出され、各地を疎開・漂泊の末、熱海の地に流れ着きます。
荷風が偏奇館に移り住んだのは大正9年(1920)5月、41歳の時でした。
ペンキ塗りの一見事務所のように見えるこの建物で、自炊独居の生活をしながら、「雨瀟瀟(しょうしょう)」(大正11年7月)、「下谷叢話」(大正15年3月)、「つゆのあとさき」「(昭和6年10月)、「ひかげの花」(昭和9年8月)、荷風の代表作となった「濹東綺譚(ぼくとうきたん)」(昭和12年4月)などの数々の作品を執筆したのです。
偏奇館とともに「萬巻の図書」が灰となり、持ち出せたものは、数篇の草稿と日記のみの、文字通り着のみ着のままで荷風は戦火を逃れ、昭和20(1945)年8月の終戦まで、代々木、東中野、明石、岡山を罹災しながら転々としました。
0600 起床 気分快 晴 つくばから、六本木界隈へ。とても気持ちの良い秋晴れの一日。荷風論のための土地勘について、ちょっとだけ。 - にこたろう読書室の日乗
この期間中の、荷風の遍歴は次の通り。
3月09日 東京空襲、偏奇館焼ける
3月10日 原宿の杵屋五叟宅に身を寄せる
4月15日 東中野文化アパートに転居
5月25日 駒場の宅孝二に身を寄せる
6月02日 明石に疎開
6月11日 岡山へ疎開、岡山市内で空襲を受け転居
8月13日 勝山の谷崎潤一郎を訪ねる
8月30日 東京に向かう
9月01日 熱海和田浜南区1374番地 木戸正方に移る
杵屋五叟(きねや・ごそう 1906(明治39)~1957(昭和32))とは、邦楽家で本名 大島一雄。
荷風の従弟で、幼少期から長唄に携わる。子どもの無かった荷風は、昭和19年に五叟の次男永光を養子として入籍。
東京大空襲で偏奇館を焼け出された荷風は、東中野、熱海で、五叟の元に身を寄せる。
やがて、五叟が市川に借家を見つけ、1946(昭和21)年1月から荷風とともに市川での生活を始めることになる。
つまり、昭和20年9月1日から12月末までの4か月間が、荷風の熱海時代ということになります。
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八木原君と熱海で会うときは、だいたい同じような飲み歩き徘徊コースになるのですが、今回は、その間に荷風聖地巡りが挟まってる、という進行です。
熱海駅からほど近い、1軒目。
『ENOTECA MANIFATTURA』 エノテカ・マニファトゥーラ
手作りワイン工房、という意味かな。もともと温泉饅頭工場だった建物らしい。
白、ボトルで1本。
おつまみ少々。チーズとか。
シンデレラおじさんの部屋に荷物を置いて、2軒目。
立ち飲みバー『Taketomi』 BAR La tercero Taketomi
ビールと焼酎を。
焼き豚が美味しい。
ここは、たまに無料ジャズライブなんかも開催。
花火が始まるまでここで愉しむ人、多数。
ここから熱海の町を南に進んで、和田川が海に流れ出す辺りの和田浜南区を目指します。
これは、永井永光の詳細な資料である『父 荷風』(白水社)に載っている、当時の「熱海の面影」を思い出して描いた絵図。
当時の雰囲気が分かる、良い資料。
左下に「木戸氏別邸」とあるのが、杵屋五叟一家と荷風が借りて住んだ木戸正さんというお金持ちの別邸です。木戸さんは荷風とも親交があり、大洋ホテルの経営者で、この和田浜に別邸を持っていたのでした。
戦時中で空き家にしておくのは物騒だから間貸ししようと考えたみたいで、終戦したら途端に「もう出てください」となってしまいます。
熱海は、山が相模湾に向かって急斜面でなだれ落ちる、その中腹に広がる街で、北から順に、糸川・初川・和田川という3本の小さな川が流れています。
この和田川の下流に当時大野屋という大きなホテルがあり、その裏手にこれまたけっこう大きな木戸さんの別邸があったのでした。
この大野屋は現在でも伊藤園リゾート系列に入って、現役営業しています。
自慢の大浴場ローマ風呂は300人収容できる広さを誇る温泉施設。泊ったことないけど。
上の写真で左奥に大野屋が見えますから、この駐車場辺りが「木戸別邸」だったのではないかと思います。
この手前の川が「和田川」です。
『父 荷風』に載っている詳しい見取り図は、こんな感じ。
サンルームもある、なかなか立派な建物です。
尺が長くなるので、以下次号。