にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0700 起床 気分快 晴 東向島・玉ノ井巡行⑤【見て、歩いて、よろこぶもの】玉ノ井・鳩の街・大黒家。大正浪漫カラーはお醤油の色だったのね。

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今日はついに、大晦日です。

小雨の大晦日

たまには降ったほうが良いですね。

 

早いといえば早いけど、けっこう濃密な1年だったような気もします。

去年のブログを読み返してみれば、なにかわかるかな。

 

0340 起床 気分快 晴 「聖地」を定義します。日常のなんでもない空間として意識されていたものが、突如、非日常のものとして塗り替えられる瞬間。 - にこたろう読書室の日乗

 

鉄道とアニメの話とか書いてる。

僕はそのどちらも、そこまでマニアというわけではないんだけどなあ。

よほどほかに書くことがないのか。

 

ここのところ、廃墟と遊郭と呑み喰いだからな。

もっと、天下国家を論じないといかんのか。

新年度は、すこし態度を改めようかな。

 

 

これは少し違うのか。

静かだと思ったら、死んでいた、とかね!

 

 

東武博物館で、ついつい長居をしました。

廃線跡にも脱線したし。

 

最後に大きな鉄道ジオラマを見てから、帰りましょう。

HOゲージの鉄道模型が動くさまが見られます。

遠く日光方面から浅草まで。

なかなか巧みなレイアウトで、鉄道ジオラマとしてよくできています。

東武線の各種車両が実際に走ります。

 

 

東武スカイツリー線が、荒川鉄橋を渡って、大きな建物に吸い込まれていきます。

松屋浅草百貨店ですね。

 

1931(昭和6)年11月に当時の「浅草雷門」駅(現在の東武鉄道「浅草」駅)の駅ビルに、東京で最初のターミナルデパートとしてオープンした「松屋浅草」。

当時は周りに大きな建物がありません。

そこに忽然と現れた巨大な建物。

 

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正面の大階段には1人乗りのエスカレーターを設置。

「日本のアール・デコ建築」のひとつともうたわれたモダンな姿は東京の新名所となり、多くの人で賑わったそうです。

 

当時の絵葉書。

 

 

当時の人は、電車が橋梁を渡ってビルに発着するさまを、「まるで空母に発着艦する艦載機みたいだ」と表現したそうです。関東大震災からの復興のシンボルとして誕生しました。

 

どの空母かなと考えたのですが、飛行甲板が高い独特なシルエットから、「龍驤(りゅうじょう)」かな、と思うのですが。

お目見えした時期もだいたいかぶるし。まあ、いいけど。

 


進水日 昭和6年/1931年4月2日

竣工日 昭和8年/1933年5月9日

 

ミッドウエー海戦時には、アリューシャン方面を攻撃する別働隊に組み入れられたため無傷で帰還。同年8月の第2次ソロモン海戦では翔鶴、瑞鶴とともに第1航空艦隊に配されて機動部隊の主力に数えられたが、他の空母と離れて航行しているところを米軍機に発見され、集中攻撃を受けて沈没した。

龍驤は搭載機が少なく、この時もわずか9機の直掩機(ちょくえんき=空母を敵攻撃機から守る役目の戦闘機)しかいなかったことが最期を早めたとされる。

 

松屋浅草」、現在は、開業時の姿に復元されました。

あとで観に行きます。

 

東武浅草駅 - 新・空と鷹と鉄の間に さん

 

博物館を出て、歩いて浅草へ向かいます。

荷風の通った道。

 

じつは今回は、旧玉ノ井方面の細かい散策は、時間の都合で割愛します。

また、別の巡行を計画したいと思います。

だいたいの下見、というのが今回の目的です。

 

荷風や、滝田ゆうが関係する旧玉ノ井の遊郭街、そしてそれが焼けたため、北側に移転した新玉ノ井赤線。

これは博物館のある東向島駅(旧玉ノ井駅)の北東側に展開するのですが、戦後の同じ時期、南西側にも新しく赤線街が発生します。

おもに進駐軍相手のものでしたので、英語で「ピジョンストリート」、のちに訳して「鳩の街」と呼ばれるようになります。

 

位置関係は、だいたいこんな感じ。

 

(この地図、とても綺麗に描けているんだけど、黄色い円はもう少し上まで、「東向島」の文字列の斜め上の道辺りまでひろげたほうが良い。その道がいまの「いろは通り」で、新・旧玉ノ井の境界線だから。自分で描いてなくて文句を言ってすみません。)

 

鳩の街赤線街(東京都墨田区)|おいらんだ国酔夢譚|

 

この突き当りの路地が、鳩の街商店街の北側の入り口。

 

 

この道に並行する裏路地とか、本格的な赤線地帯だったのだと思います。

今はもうあまり、面影がない。

 

さて、南のゲートからでて、浅草方面に向かいます。

 


スカイツリーが道しるべになるので、方向を間違えることはありません。

常に左に見る。

 

秋葉神社があります。

 

 

この神社は『墨東奇譚』にも出てきます。

主人公の男は、電車で浅草に出て、雷門前から乗合自動車の「寺島玉ノ井」行に乗って、秋葉神社前を通って、東武鉄道玉ノ井停車場で降りる、と書いてあります。

そこから迷路のような遊郭街を歩いているときに雷雨に合い、傘に飛び込んできたお雪さんと偶然出会うのです。

 

そのあたりは、別の機会に探訪しましょう。

今日はもう日が暮れます。

その前に、吾妻橋のたもとで、隅田川を渡る鉄橋と、「松屋浅草」を見なくちゃ。

 

 

北十間川を渡る源森橋から見るスカイツリー東武線高架。

トラスのアーチ構造が美しい。

 

この「鉄製のボルトとナット」の発明が、じつは近代ヨーロッパで産業革命が発祥する「進化のキー」なのです。

単に「鉄の機械」が産まれた、というだけではない。

このアイテムが、後ろに見えるスカイツリーをも支えています。

 

Image

 

例えば、これは戦艦陸奥で装甲板固定に使われたアーマーボルト「M95」(大和ミュージアムの特設展示)。大きいですねえ。

 

ということで、吾妻橋の手前から、夕暮れの隅田川畔に出ました。

もうすぐ陽が落ちます。

 

 

右奥の白い鉄橋が東武線。

そうなんですよ、川沿いに高いビルがたくさん建ってしまって、松屋さんが良く見えないのです。

 

 

一番低く、かろうじて白い建物のアールデコのデザインが見えるかな。

 

荷風先生にならって、天丼とお新香と日本酒一合、という夕ご飯を食べに浅草の街に寄りましょう。

 

今日は、「大黒家」にします。

ほかにもいろいろあるけど。

 

茄子のしぎやきも美味しそうだったので。

 

 

おお、しっぽが飛び出てる。

海老だけではなく、いろいろな具材の天婦羅が載ってます。

たまには塩分の補給!

 

 

天丼の衣の色と、電灯色が良くマッチ。

大正浪漫カラーは、お醤油の色だったのね。

列車の天井燈もね。

 

良いなあ。

 

 

東向島・玉ノ井巡行・全5回、これにて一旦おしまいです。

年内に終結できて、良かった。