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雨が降って、寒い朝ですね。
なんとなく発生場所が不気味ですね。
東大寺ピンポイント巡行ブログ、最終回です。
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さて、今日はもう時間があまりありませんので、最後に「戒壇堂」を訪ねましょう。
前回の西の京巡行で訪れた唐招提寺関連のブログで触れた、鑑真さんの造った戒壇のあった場所ですね。
0600 起床 気分快 晴 西の京弾丸巡行⑤もう一人の求法大旅行者について。唐招提寺を訪ねる。「エンタシス」はやって来なかった? - にこたろう読書室の日乗
行ってみて分かりましたが、鑑真の造った戒壇は残ってないのですね。
代わりに「戒壇堂」という建物が建ってます。
現在の建物は大仏殿同様、江戸時代のものであるが、聖武や孝謙が受戒した大仏殿前の土壇をこの地に遷して戒壇堂を築き、伽藍を造営したのが戒壇院の起こりらしい
戒壇堂は天平勝宝6(754)年、聖武天皇や光明皇后が中国・唐の高僧・鑑真から受戒した大仏殿前の戒壇を移設したのが始まりとされます。
何度も火災に見舞われ、現在の建物は江戸時代に再建。
2020年から保存修理と耐震化工事が行われてきたのですが、ちょうどこの10月1日に工事が終了したのを受け、公開が再開となりました。
この建物、内陣の中央に木製の多宝塔のミニチュアのようなものがあるのですが、その周囲を取り囲んでいるのが、超有名な「四天王像」。
日本に多くの四天王像があるなか、文芸評論家の亀井勝一郎は「四天王の美は、戒壇院を頂点とする」(大和古寺風物誌)と評しています。
眉を寄せて口を真一文字に結んだ持国天、口を開けて怒りをあらわにする増長天が動ならば、憤怒を内に秘めた広目天と多聞天は静。いずれも唐風の甲(よろい)をまとい、邪鬼を踏みつけて立っています。
創建時の戒壇堂に安置された四天王像は金銅像で、現代には伝わっていないのです。
今ある四天王立像は8世紀の中ごろに造られたらしい。
最近の研究では東大寺法華堂の執金剛神や日光、月光両菩薩とともに、法華堂本尊の不空羂索観音の護法神として法華堂にあったことがほぼ確実視されているそうです。作者は不明。
ちょうどこの仏様たちの再公開に間に合ったので、この辺で今回の東大寺巡行を締めくくりたいと思います。
この後、近鉄奈良駅に戻り、近鉄急行等を乗り継いで京都駅に戻ります。
新幹線ホームの地下のお店で、こんな感じのお食事。
このお酒は美味しかったなあ。
なんといっても、内視鏡検査の影響で丸二日以上、断食修行をしてましたからね。
ここでちょっと一息つきました。
悟りをひらけそうです。
ご馳走様でした。
ということで、今回のピンポイント東大寺巡行は、これでおしまい。