にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分快 晴 西の京弾丸巡行⑥鑑真の眠る場所。そして、幾多の夢の眠る場所。 

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何度測っても、体温が低いなあ。

これはこれで良いのか。

 

ついに、ベランダ朝食に、秋空が来ましたよ!

 

 

このまま、爽やかな気候が続くと良いなあ。

 

さて、西の京弾丸巡行も、最終回。

 

 

759年(71歳)、鑑真の境遇を知った心ある人が、彼に土地を寄進してくれました。

 

東大寺を追われた鑑真は、私寺となる「唐招提寺」を開き戒壇を造ります。

「招提」とは「四方」の意味で、仏教の修行のために四方から僧たちの集まり住する所を意味します。唐では、官寺でない寺を「招提」と称したらしい。

 

この非公式な戒壇で授戒を受けても、国からは正規の僧とは見なされなかったのですが、鑑真を慕う者は次々と寺にやって来ました。

 

鑑真はまた、社会福祉施設悲田院を設立し、飢えた人や身寄りのない老人、孤児を世話するなど、積極的に貧民の救済に取り組みます。

薬草園も造りました。

 

この薬草園は今ちょうど再現・再整備されつつあります。

 

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763年3月、弟子の忍基は日本初の肖像彫刻となる鑑真の彫像を彫り上げました。

その2ヵ月後、鑑真は永遠の眠りにつきます。

西に向って結跏趺坐(けっかふざ)、つまり坐禅したまま息を引取ったといいます。

享年75歳。来日から10年、唐招提寺創建から4年目の春でした。

 

見果てぬ夢の、眠る場所。

この小さな門をくぐると、美しい苔の庭。

 

 

この涅槃寂静のしずかな世界の向こうに、鑑真の墓所があるのです。

 

鑑真とそのお弟子さんたち。

玄奘三蔵

平山郁夫画伯。

 

遥か遠くの希望と目的に憧れ、魅入られた人生。

歴史の狭間に交差する、それぞれのいきざま。

 

西の京は、そのような幾多の夢の眠る場所です。

 

今回の僕の短い旅は、ここが終着です。