にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分快 晴 【見て、歩いて、よろこぶもの】ある忙しい一日➁ 市川・本八幡界隈へ。荷風ロードを歩いてみよう。

血圧値 118/75/71 酸素飽和度 98% 体温 36.3℃ 体重 65.8キロ

 

今日も、良いお天気ですね。

 

前回の続きです。

 

 

都美術館を出て、総武線に乗ります。

 

総武本線というのは、もともと両国駅が始発ターミナルだったので、あそこで降りて感慨にふける、というのが良いのですが、今日は時間が無いので、そのまま行きますよ。

 

両国駅。懐かしいなあ。

僕は最後の蒸気機関車で、この駅から房総半島に海水浴に行った記憶があります。

 

0600 起床 気分快 曇 鉄道開業から150年。子供の頃、SL(現役)に乗って海に行ったなあ。 - にこたろう読書室の日乗

 

荷風京成電車とかバスを多く使ったみたいだけど。

もちろん国鉄省線)も乗ってます。

 

なので、本八幡駅で下車。

この駅は、僕は多分初めて降りるのです。

 

 

本八幡駅にはJR総武本線と都営新宿線の2路線が乗り入れています。

さらに本八幡駅から徒歩で5分ほどの所には京成本線京成八幡駅があります。

 

葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)は、千葉県市川市八幡にある神社で、旧社格は県社。「八幡」の町名の由来となる場所である。

 

なので「もとはちまん」と呼んでも良さそうなものですが。

 

全国各地に「八幡」はありますが、読みかたは色々です。

北九州市の八幡……「やはた」が正しい。
京都の八幡市……「やわた」が正しい。
近江八幡……「はちまん」が正しい。

 

八幡神は日本独自の神格で、武将神とされますが、その由来は複雑。

こんな感じ。

 

「八幡」の文字が初めて出てくるのは『続日本紀』であり、その記述は天平9年(737年)の部分にみられる。読み方は天平勝宝元年(749年)の部分にある宣命の「広幡乃八幡(ヤハタ)大神」のように「ヤハタ」と読み、『日本霊異記』の「矢幡(ヤハタ)神」や『源氏物語』第22帖玉鬘の「ヤハタの宮」のように「八幡」は訓読であったが、いつの日にか神仏習合して仏教系の読み「ハチマン」、音読に転化したと考えられる。

 

ふーむ、ヤハタが先なのか?

ここでは深入りはよしましょう。

 

 

並行して走る京成電鉄の駅のほうに向かいます。

 

 

この踏切を越えて、数分の住宅地が、荷風終焉の家なのですが、ご系列の住む普通の民家ですので、あまり騒がしく立ち入らないようにしましょう。

 

荷風の書斎が、ここから移築されて、近くの市役所に保存されているようです。

今回は観られなかったけど。

 

 

今度行ってみよう。

 

 


踏切を越えて線路沿いに右側に行くと、例の「葛飾八幡宮」が。

 

16時30分を過ぎたので、シャッターみたいなのが降りてます。

神社に閉店があるのか?

 

 

開いてるときに、また来ましょう。

 

京成の駅前に戻ります。

「大黒屋」の看板のお店が。

 

「天ぷら・寿司・うなぎ 大黒屋」

 

知る人ぞ知る、荷風最晩年のマイダイナー。

 

0600 起床 気分快 晴 人間、ものを食べているうちは生きている。だからそれをブログに書くこともある、ということについて。 - にこたろう読書室の日乗

 

昭和20年代末~昭和30年代初期の大黒家

 

 

最近、閉店されて、市進予備校のカルチャースクールになってます。

一度、食べに来ればよかったな。

 

永井荷風講座とかもあるのかな。

 

大人の学び舎 大黒家 – 知りたかったこと。やってみたかったこと。文化人も愛した『大黒家』で、新しい学びの体験を。

 

この大黒屋さんのすぐ裏手が荷風終焉の家で、ここから商店街を辿って、「白幡天神社」に向かいます。ここが「荷風ノ散歩道」のひとつです。

 

神保町で朝買った資料が役に立ってますね、泥縄っぽいけど。

 

当時の駅前のイメージは、こんな感じ。

 

 

山本高樹さんの雰囲気のあるジオラマは、こんな感じ。

20200224.jpeg

 

山本作品には、昭和の幻影のシンボルとして、荷風がライトモティーフのように、随所に出現します。

 

 

この作品集は凄いです。ジオラマのセンスと完成度。

荷風へのオマージュ。

 

 

 

さて、現実の街並みに戻りましょう。

大黒屋さんの角を曲がると、荷風が買い物したり、散歩したりした、商店街。

まさに、昭和の街並み。

 

 

いい感じにカーヴする商店街は荷風さんにちなんでますね。

 

 

由緒ある小学校。

 

 

居候先のラジオとか三味線のうるささに閉口した荷風が、逃れてきて一息ついた「白幡天神社」の界隈。

鳥の声とか聞きながら、「ユーゴ―の詩集」なんかを読んだらしい。

 

この近くに、幸田露伴が住んでいました。

露伴は『墨東奇譚』を読み、「涼しい文章だよ」と褒めて、娘の文さんに唯一読むようにに勧めたのがこの小説だったそうです。

 

 

境内の片隅に荷風先生の碑文があります。

 

永井荷風記念館」のようなものはまだどこにも建てられていないのが、残念といえば残念ですが、いかにも荷風らしい人生の終え方、ともいえて、これはこれでよいのかな、と思うこのごろです。

 

もうすっかり日も暮れてしまいました。

今日のところはこの辺で切り上げて、京成電車で帰りましょう。

 

菅野はまた次の機会に。