血圧値 117/75/60 酸素飽和度 % 体温 ℃ 体重 68.6キロ
この前、りえちゃんの舞台、『アンナ・カレーニナ』を観ました。
記事はこちら。
0600 起床 気分快 晴 『アンナ・カレーニナ』を観ます。梶原善さん、楽しみです。りえちゃんもね。 - にこたろう読書室の日乗
0600 起床 気分快 晴 「アン・カレ」から考えること。「愛すること」を定義します。3時間45分を引っ張る熱量は見事。 - にこたろう読書室の日乗
この舞台、とても良かったのですが、あれ以来ずっと気になっている言葉があります。
「赦す」という言葉。「許す」とも書きますね。
交響曲の循環モティーフのように、この長い物語の中で、いろいろな形であらわれ、絡み合い、変奏され、逡巡し、燃焼する激しい感情。
僕なんかは、日頃、こんなに激しい「赦し」の現場に直面することはまずありません。
それは、これまで僕が、甘いのんきな日常を生きてきたせいなのかしら。
みんなは違うのかな。
そういえば、これまでの人生、真剣に、赦したり、赦されたりしたことが、あまりないかな。
(でも、許してもらった事例はけっこうあるな。僕が許していないだけか。自己中な人間だったのか。これは悔い改めるべきことかも。)
そういえば「赦す」と「許す」はどうちがうのかな。
そんなことを、考えるのです。
『アンナ・カレーニナ』では、「赦し」は重要なテーマの一つです。
様々なキャラクターたちが相互に赦しを求めたり、与えたりすることで、道徳的な問題や人間関係の葛藤を描いています。
メインは次の二つ。
①アンナは、夫であるアレクセイとの不幸な結婚生活から逃れ、伯爵アレクセイ・ウロツキーと恋に落ちます。しかし、社会的な制約や道徳的な責任感から、アンナはその関係を断ち切ることができず、彼女の人生は壊れていくことになります。
物語の終盤で、アンナは自殺してしまいますが、その直前にアレクセイと再会し、お互いに赦し合います。アレクセイは、アンナに対して怒りや憎しみを抱いていたにもかかわらず、最後の瞬間に彼女を許し、アンナも自分自身と彼女を裏切った恋人ヴロンスキーに対して赦しを乞うたのです。
②アレクセイ・カレーニンは、アンナとの不幸な結婚生活の原因となった自分自身の無力さや欠点を受け入れ、自分自身を許すことを学びます。
『アンナ・カレーニナ』における赦しのテーマは、人間の心の闇や人間関係の葛藤を描きながら、自分自身や他人を許すことが人生において重要な価値であることを示しています。
「ゆるすこと」とはなにか、を考える場合、「赦す」と「許す」はどうちがうのか、という風に対比して考えたほうが良いかもしれません。
「許す」とは、過ちや失敗をした人に対して、その過ちを受け入れ、それを許すことを意味します。つまり、何かが起こった後で、それを許すということは、その行為に対して罰を与えたり、責めたりしないことを示します。
一方、「赦す」とは、「許す」よりも強い意味合いを持っている感じがします。それは、人が犯した罪や過ちに対して、怒りや憎しみを持っている状態から、それを解放することを指します。つまり、「赦す」とは、人が罪や過ちを犯したことに対して怒りや憎しみを持っていた場合でも、自分のその感情を手放し、相手を許すことを意味します。
「ゆるすこと」を定義します。
「許す」とは過去の過ちを受け入れ、それを許容することを意味し、「赦す」とは、その過ちに対する感情を手放し、相手を完全に許すことを意味します。
「赦す」ということは、自分のあるいは他者の、過去にはもうとらわれない、という覚悟をもつこと。そしてそれは、自分を、そして他者を「救う」ことにもなる。
つまり、「ゆるすこと」とは消極的な諦めの感情ではなく、もっと強い、前向きな覚悟の表出である。
ついでに、思い出すのは、僕が去年の入院中に、ベッドの上で観た映画『戦争と平和』です。
これも原作は同じくレオ・トルストイによる小説であり、人間の行動と道徳的な価値について深く探求しています。
僕が観たのはナターシャがヘップバーンのヴァージョンでした。
脳幹出血でこのまま死ぬとしたら、これが人生の最後に観た映画になるんだなあ、と思いました。
(じつは、リュドミラ・サベーリエワのほうが僕は好みです! あの『ひまわり』でマーシャを演じた人)
この作品でも、「赦し」は重要なテーマの一つであり、人間の道徳的な成長や平和の実現に欠かせないものとして描かれています。
赦しの本質として、トルストイは人間が自分自身や他者を許すことで、内面的な平和や精神的な成長がもたらされるということを示しています。
赦しをすることで、過去の過ちや悲しみに縛られずに前進できるようになり、自分自身や他者に対する怒りや憎しみを解放することができます。
また、トルストイは赦しの本質において、他者を許すことで自分自身も許されるということを強調しています。つまり、自分自身を許すことと他者を許すことは密接に結びついており、互いに依存しあうものだということです。
最終的に、トルストイは赦しを通して、人間の心の平和と真の愛を実現することができると考えています。赦しは、個人的なレベルから始まり、家族やコミュニティ、国家レベルにまで拡大することができるということです。
「自分を赦すことは、簡単なことではないが、自己の成長と幸福にとって極めて重要なステップである」と、トルストイはこの2大作品をもって、主張しているのでしょう。