にこたろう読書室の日乗

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0530 起床 気分快 雨 碑文谷巡行【見て・歩いて・よろこぶもの】③ 僕の「迷い家」、そして非日常のドアは、はどこにある?

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昨日のミッション、僕の「迷い家」探し、の続きです。

無事に帰ってきましたよ。

 

この写真は昭和35年に撮影されたものだから、僕は1歳ですね。

 

そして、63年後の、今の光景は。

壱の鳥居をさらに進むと。

後ろを振り返ると。

この川は、今は暗渠になっていて、緑道化されて桜並木が植えられてます。

川の名前は「立会川」。

 

目黒台・荏原台・田園調布台の合間に、呑川九品仏川とこの立会川が流れています。

 

東京都目黒区にある碑文谷池と清水池に源を発し、南東方向へ流れる。

品川区の西小山駅荏原町駅西大井駅大井町駅立会川駅付近を通り東京湾勝島運河に注ぐ。

 

今は、下流域以外は暗渠になっています。

 

この近辺の地図は、こんな感じ。

神社の湧き水と、碑文谷公園の弁天池、清水公園の弁天池、という3つの湧水が源流になっていて、途中で合流しています。

 

京浜急行のその名も「立会川」駅あたりからは地上を流れて、勝島運河京浜運河を経て東京湾に注いでいます。

 

詳しい探索記事は、こちら。

地図子、立会川を歩く -1 水源から中原街道まで- - ふと思い立って、プチ冒険 (hatenablog.com)

 

この鳥居の先にある神社は、碑文谷八幡宮といいます。

これは発音が難しくて「ひもんや」と読みます。

碑文谷村の鎮守だったようですが、神仏混交の時代は、近くの円融寺の塔頭で神宮司というお寺だったそうです。
神社としての創建は、今から800年ほど前の元久年間に、畠山重忠二俣川の合戦で北条義時の軍に打たれた後、重忠の守り本尊を家臣が譲り受け、ここに祀ったのが始まりのようです。

境内には碑文谷の地名の由来となった碑文石があります。

 

参道には桜の木が並んでいて、立会川の暗渠からつながる桜の名所にもなっています。

花が咲くと、こんな感じ。

 

この神社の境内でお祭りのときに縁日がひらかれて、そこに僕は子供の頃、祖母や両親に連れられて出かけました。

 

僕が生まれた家は、清水池の近くにあったから、そのときはまだ地上の河川だったこの立会川のほとりを歩いたのですね。あのころはずいぶん遠いと思ったけど、今歩くとあっという間です。

 

 

お祭りという、非日常の世界。

夕闇と雪洞の灯のたゆたい。

道すがら、浴衣姿の可愛い女の子に出会ったりしたのかな。

 

 

その途中の光景が、僕の「迷い家」幻想の元になってるのだと思います。

 

鳥居の近くの路地を曲がると、高木神社という小さな祠があります。

迷い家」はこの辺りにあるのかなあ。

今回、残念ながら「その家」は見つかりませんでしたが、また次回、桜の宵にでも挑戦してみたい、と思います。

 

非日常のドアは、夕方、昼でも夜でもない時間、世界の輪郭がぼやけて、人ならざるものに出逢うかもしれない時間、「たそかれどき(誰そ彼時)」にしか開かないのかもしれません。

 

 

言の葉の庭』のゆきちゃん先生が、『君の名は。』で、古典の授業をしています。

田舎に帰って、またちゃんと先生をやってたんですね!

 

教材は、まさに「たそかれどき」について。

世界一受けたい授業、かな。

 

ついでに言うと、映画のラスト付近に、ひっそり靴職人を目指していたあのタカオがいます。

これは普通、分からないですね。