にこたろう読書室の日乗

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0600 起床 気分快 曇 神奈川・黒川谷戸巡行【見て・歩いて・よろこぶもの】④夢の終焉、行き止まりの鉄路。多摩ニュータウン開発計画の状況について。

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多摩ニュータウン開発計画」と行き止まりの鉄道2路線の関係について。

もう一度、あの地図を貼ります。

 

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東京都は1963(昭和38)年10月、多摩ニュータウン開発計画の検討を開始。

おお、僕が4歳のころだ!

そこで、ニュータウンの計画地付近で鉄道路線を運営していた小田急、京王、西武の3社は1964(昭和39)年、ニュータウンに乗り入れる鉄道路線を計画しました。

 

こんな感じ。

 

小田急は、小田原線喜多見駅(東京都世田谷区)から多摩ニュータウンを経て神奈川県の城山町(現在の相模原市西部)までの多摩線を計画。

⓶京王は、調布市内の調布~京王多摩川間を結ぶ支線を「相模原線」として、多摩ニュータウン、城山方面に延伸することにしました。

③西武は多摩川線の活用を計画します。同線は国鉄(現在のJR東日本中央本線武蔵境駅(東京都武蔵野市)から是政駅東京都府中市)までを結ぶ路線。途中の北多磨駅(現在の白糸台駅)で分岐し、多摩ニュータウン経由で城山方面に向かうルートでした。

 

いずれも3社の計画が城山方面を終点としていたのは、多摩ニュータウンから西へ約10km進んだところに城山ダムが建設(1964年完成)されたため。

このダムでできた人造湖津久井湖)を観光開発して鉄道を整備すれば、ニュータウンの住民だけでなく観光客の利用も見込めると考えられたのです。

 

城山ダムって、これね。

僕はまだ行ったことがない。

そんなに面白いところなのか。

 

城山ダムの画像

 

結論を言うと、西武は多摩ニュータウンへの乗り入れ計画を中止(西武多摩川線は、都心に至る西武の新宿線池袋線とつながっておらず、武蔵境駅国鉄中央本線に乗り換えることとなり、ラッシュ時の混雑が非常に激しいという難題を抱えていたため)。

 

小田急と京王の計画のみ具体化し、1975(昭和50)年までに小田急多摩線新百合ヶ丘小田急多摩センター間と京王相模原線の調布~京王多摩センター間が完成したのです。

 

ここで大問題が発生。

 

30万~40万人の居住者数を目論んでいた「多摩ニュータウン」が、20万人いかないかという、まさかの失速。

さらにバブル崩壊の追い打ち。

鉄道の利用者も想定を大幅に下回っています。

加えて東京都の主導で計画されたニュータウン構想では、民間企業による開発が制限されていました。

 

 

こうしたこともあって、小田急・京王の2社はニュータウン以西への計画を縮小。

 

小田急多摩線の城山延伸を中止しましたが、小田急多摩センター駅から約2km先に車両基地を建設することになったため、車両基地の手前に唐木田駅(東京都多摩市)を建設。小田急多摩センター~唐木田間を1990(平成2)年に延伸開業しました。

 

京王相模原線は、JRの横浜線と相模線が乗り入れる橋本駅(神奈川県相模原市)までは1990(平成2)年までに延伸しましたが、城山方面への延伸計画津久井湖の観光需要が思ったほど伸びなかったこともあり、中止されました。

 

こうして、夢の終焉、行き止まりの鉄路が出現したのです。

 

小田急多摩線は開業以来、半世紀にわたって赤字のまま。

経営的には京王の勝ちですが、それほど儲かっているわけではない。

 

営業係数は、小田急多摩線が178(コロナ禍前の2013年度)、京王相模原線が91.5(2015年度、これはコロナ禍参考)です。

 

この営業係数とは、100円の営業収入を得るのに、どれだけの営業費用を要するかを表す指数。主に鉄道路線やバス路線の経営状態を表す指標として使われます。1000未満であれば黒字、超えれば赤字である。 

 

行き止まりの線路は、夢の終焉なのか。

その先に続く明るい未来は、これからやってくるのか。

 

一度その場所に立って、考えてみたいものですね。

 

小田急多摩線の終着駅から、一級河川の源流でゆっくり森林浴時間 | コラム | 鉄道チャンネル

 

写真は、唐木田駅の線路の終端。

空しく広い電車置き場。

左の端が本線の先端。