にこたろう読書室の日乗

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0600 起床 気分快 晴 斑鳩4聖地弾丸巡行【秘仏に会いに行こう№02】その4 中宮寺の如意輪観音は、弥勒菩薩だよ。ここのところ聖徳太子様に引き寄せられている感じがしますね。「ChatGPT」くんとの問答付き。

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さて、夢殿をあとにして、ほんの数分で、中宮寺に到着します。

ほぼ、お隣と言ってよいところ。

 

 

この辺りの雰囲気は、中学生の時来たのと、まったく変わっていないなあ。

 

 

中宮寺飛鳥時代、現在地より約500m東方に創建されました。旧地の発掘調査で四天王寺式伽藍配置であったと判明しています。この遺跡は発掘調査ののち、綺麗に保存されていますので、帰りに寄って、見てみましょう。

 

法隆寺中宮寺は僧寺・尼寺の関係にあったと考えられます。

聖徳太子とその母・穴穂部間人皇后に関りがあります。

 

さて、そのご本尊は、こちら。

 

 

 

 

菩薩半跏像(伝如意輪観音) 国宝

 

京都広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像と並び称される飛鳥仏の傑作。

如意輪観音としてあがめられているが、如意輪観音であるのか、弥勒菩薩であるのか、あるいは聖徳太子の思惟の姿を彫り込んだものであるのか、定かではない。

現在は全体がつややかな漆黒に輝いているが、元々はどのような姿であったのかも不明。

 

またしても、謎めいている仏様ですね。

 

ただし、よく見ると、宝冠を頂いていた痕跡や、手首には宝飾の痕跡が認められるので、かなり荘厳な衣装を着けた、菩薩像であったと思われます。

 

現在のモダンなトルソーのような雰囲気は、経年の変化による、幸運な偶然の賜物でもあるでしょう。

 

僕は弥勒菩薩だと思います。

 

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ただ、中宮寺の実態も、聖徳太子(本名については同時代史料には残っていないため、厩戸皇子厩戸王など本名は厩戸と言われることも多いが、これは第二次世界大戦後に推定された名前です)自体の存在も、じつは良くわかっていないので、すべては古代の霧の中です。今後、いろいろ解明されるかもですが。

 

今回の巡行の、もう一つのテーマはこの「聖徳太子」なのですが、これについてはまた別稿で考えたいと思います。

 

「太子建立七大寺」という伝説があります。


四天王寺法隆寺中宮寺中宮尼寺)、橘寺、蜂岡寺(広隆寺)、池後寺(法起寺)、葛木寺(葛城尼寺)は『上宮聖徳法王帝説』や、『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』によって聖徳太子が創建した七大寺と称されているのですが、どこまでが史実であるかどうかは不明です。

 

下線部のお寺は僕が連続的に訪れている場所ですが、なんとなく聖徳太子様に引き寄せられている感じがしますね。

ちょっと怖い。

 

全部聞き分けられた上で大した回答がない聖徳太子 │ ジョンソンともゆきの漫画ブログ

 

このお寺には、もう一つの宝物として、日本最古の刺繍遺品として知られる「天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)」があります。

(これは入試必出だけど、マーク式テストでは、漢字で書けなくても良いのね!)

 

推古天皇30年(622年)、聖徳太子の妃である橘大郎女が、太子薨去ののち、宮中の采女に命じて、太子が往生なされている天寿国のありさまを刺繍させたものです。

 

現物は絹の刺繍糸とかの劣化が激しいので博物館にあり、ここには複製が飾ってあります。昔来た時もそうだったのかな。

 

さて。中宮寺をあとにして、のどかな田園地帯を北に向かって歩きます。

法輪寺を目指します。

ここも、昔、歩いたなあ。

 

ちょっと、追加。

 

今、話題の人工知能「ChatGPT」くんに、質問してみよう。

 

Q:中宮寺は誰が建設したの?

 

A:中宮寺は、平安時代天皇である嵯峨天皇の皇女である宮城女王が建立したとされています。宮城女王は、嵯峨天皇の第六皇女で、延暦寺の僧侶であった行基の弟子でもありました。中宮寺は、京都市左京区に位置し、世界遺産に登録されています。中宮寺は、美しい庭園や建築物があり、多くの観光客に人気のあるスポットとなっています。

 

Q:奈良の中宮寺だよ。

 

A:おっしゃる通りです。ご指摘いただきありがとうございます。奈良県桜井市にある中宮寺は、飛鳥時代聖徳太子が建立したとされており、奈良時代には聖武天皇によって再興されました。聖徳太子ゆかりの寺院としても知られています。また、国宝の多くが保管されており、多くの観光客に訪れられています。

 

Q:聖徳太子のお母さんの家をお寺にしたのではないの?

 

A:おっしゃる通りです。聖徳太子が創建した中宮寺は、聖徳太子の母親である穴穂部間人皇女の宅地を寺に改めたものとされています。穴穂部間人皇女は、聖徳太子が生まれる前に亡くなりましたが、聖徳太子は母親に深い敬愛の念を抱いていたとされています。そのため、中宮寺には聖徳太子が母親に捧げたとされる「間人皇女御霊殿」があり、多くの参拝者に訪れられています。

 

Q:中宮寺の歴史についての参考文献を教えてください。

 

A:中宮寺の歴史に関する参考文献をいくつかご紹介します。

①『日本歴史地名大系 奈良県の地名』(平凡社、1990年)- 中宮寺を含む奈良県の歴史的な地名や寺社に関する詳細な解説があります。

②『日本の寺院 24 中宮寺』(小学館、1992年)- 中宮寺の歴史的背景や建物、仏像などについて、写真やイラストを交えて詳しく紹介しています。

③『奈良の中宮寺聖徳太子ゆかりのお寺』(奈良新聞社、2015年)- 中宮寺の歴史や文化財、境内の植物や動物などを紹介した豊富な写真集です。

④『聖徳太子中宮寺』(岩波新書、2006年)- 中宮寺の創建に関する聖徳太子の思想や文化的背景について解説しています。

以上が、中宮寺の歴史に関する参考文献の一部です。他にも、多くの書籍やWebサイトがありますので、興味がある方はぜひ調べてみてください。

 

ふふふ、なかなかやるな!

妙に対話がなめらかだ。

良くしゃべるGoogle先生、という感じ。

 

この本も探して来たら脱帽するけどな!

 

Q:大橋一章さんの『斑鳩の寺』は参考にならないの?

A:大橋一章さんの『斑鳩の寺』は、奈良県斑鳩町にある寺院を紹介した書籍です。寺院や仏像、歴史的な建造物に関する写真や解説が豊富に掲載されており、奈良県を訪れる観光客にとって有益な情報が含まれています。

ただし、『斑鳩の寺』は、学術的な研究書としての位置づけではなく、あくまでも一般読者向けの書籍です。そのため、深い専門知識を必要とするような内容や、学術的な議論や論証が掲載されているわけではありません。

また、書籍は1983年に出版されたものであり、近年の調査成果や研究動向に基づいた最新情報が反映されているわけではありません。

したがって、『斑鳩の寺』はあくまでも参考書の一つにすぎず、奈良県の寺院や仏像、歴史的な建造物に関するより深い理解を得るためには、より専門的な書籍や学術的な論文などを参照することが望ましいでしょう。

 

ああ、そう!

もういいよ!

自分で読んでから、答えなさい。

 

以下次号。