にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0430 起床 気分快 雨 弥勒菩薩はいつから半跏思惟するようになったのか。

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雨が降ってます。昨日の夜はずいぶん寒かったですね。
もうすぐ、クリスマスです。しかもイヴが土曜日!

日曜は出かけますが、土曜はクリぼっちになるかも。

 

寂しい晩年だ。

なので、頂いた笹かまぼこでも、食べましょう。

 

 

さて。

 

弥勒菩薩=半跏思惟スタイル

 

日本では常識的なイメージですが、いつからこうなったのか。

ちょっと細かい話ですが、一応押さえておきましょう。

 

半跏思惟像という形式の仏像は、紀元1~3世紀のガンダーラ仏教のころからつくられていたらしい。

釈迦が思索する姿を表し、釈迦の名前から当時は「シッダールタ太子像」と呼ばれていたそうです。

 

松岡美術館のこの像は、「菩薩」としています。

たしかに、「半跏思惟」風に見えますね。

菩薩半跏思惟像 ガンダーラ  3世紀頃

 

このあたり、僕はあまり詳しくありません。

 

こういうポーズのルーツを古代エジプトや地中海地域に遡って考察している論文はこちら。

 

参考:マクロースキー 芽衣子「ガンダーラにおける半跏思惟像の発生と展開」

金沢大学文化資源学研究 2012-03-15

金沢大学学術情報リポジトリKURA (nii.ac.jp)

 

要点はこんな感じ。

 

ガンダーラに見られる半跏思惟像の源流は古代ギリシャ・ローマに求めることが可能である。
② そのポーズは「嘆き」と「頬杖」の二要素に大別することができるが、「嘆き」のポーズはその形を変えることなくガンダーラにそのままもたらされる。
③ それに対し、いわゆる「頬杖」のポーズは「嘆き」の要素を抱きつつも、「思惟」という心理的側面を強く持つものである。
④ さらに、その多くが死と深い関わりを持ち、その「嘆き」と「思惟」において「此岸」と「彼岸」とをつなぐ役割を有するのではないか。

 

カウンティ博物館の像

 

ただし、これには異論もあるようです。

この思惟ポーズは「心配・不安・気遣い」などの記号であって、金持ちの寄進者や支援者を理想化した肖像ではないかと。

 

参考:『大乗仏教興起時代』(グレゴリー・ショペン教授・著)

この本は恐ろしい本で、もしこの研究の内容を承認すると、「大乗仏教の興隆は紀元前後ころという従来の説は、完全に葬り去られる。4世紀になるまで大乗教団とよばれる集団はインドには存在しなかった。仏教経典ばかりでなく、碑文研究や考古学的証拠を縦横に駆使した緻密な学説は理路整然として十二分に説得力がある」という事態になります。

興味深い。

 

さて、そのような半跏思惟像が、中国を経て朝鮮半島に伝わると、同じポーズの仏像が弥勒菩薩像と呼ばれるようになります。そして日本では次第に如意輪観音とか救世観音と名前を変え、地域や時代によって名称が変化していきます。

 

弥勒菩薩がこのスタイルをとるようになるのは、おそらく、朝鮮半島三国時代です。とくに百済新羅において多くの作例が残っています。

 

朝鮮三国時代に多くの半跏像がつくられた理由は分かっていませんが、その理由を新羅の「花郎(ふぁらん)」と、これを中心とした青年貴族集団の熱狂的な弥勒信仰であると考える説もあります。

花郎」とは「美貌の青年」を意味し、弥勒の生まれかわりとされたらしい!

 

これもなかなか面白いことですね。

 

これはのちの武闘集団の話ですが、ジャニーズ系だから、ちょっと違うのかな?

 

朝鮮における半跏思惟像の造像は6世紀後半に遡ります。

 

現存している初期の作例はどれも小さなものですが、6世紀末頃になると、宝塔をあしらった、宝冠を持つ「旧総督府博物館の金銅像(韓国・国立中央博物館)」のような、大型の像がつくられるようになりました。

 

(左)国宝 半跏思惟像(奈良 中宮寺門跡)、(右)韓国国宝78号 半跏思惟像(韓国国立中央博物館、同博物館提供)

 

6世紀に韓国でつくられた像と、その影響を受けて7世紀に日本でつくられたことがはっきりしている像。

百済から習った仏像づくりを50~60年かけて日本化した」のが中宮寺門跡の像であり、両方の像を見比べることで、古代の日本と朝鮮半島の関係はきわめて緊密で往来も盛んだったことに気がつきます。

 

一方、7世紀前半に制作されたと考えられている「旧徳寿宮の金銅像」は、古代朝鮮における仏像の最高傑作のひとつとされていますが、興味深いことに、日本の広隆寺(京都)の木造弥勒半跏像と瓜二つの像としても知られています。

 

三国時代、韓国国立中央博物館蔵、大韓民国指定国宝第83号

 

広隆寺「宝冠弥勒」(国宝)

 

この像の由来が問題ですが、制作時期は7世紀とされますが、制作地については作風等から朝鮮半島からの渡来像であるとする説、日本で制作されたとする説、朝鮮半島から渡来した霊木を日本で彫刻したとする説があり、決着を見ていません。素材がアカマツ材である、ということも渡来仏である可能性を示唆しますし。

 

アジアにおける、弥勒信仰の優位性についてはこの本が面白い。

 

 

韓国・中国・中央アジア・ヴェトナム。

アジアが、なぜ弥勒信仰を必要としたのか、という歴史認識をベースに、アジアの歴史性と弥勒信仰との関連を解き明かしています。

この視点は、これまであまり光を当てられてこなかったもので、新鮮です。

 

そして、弥勒の道をたどる旅は、釈迦よりもはるか昔の、おそらく西アジアの歴史の奥深くまで、続いているのです。

 

ヒントは、「ミトラ信仰」でしょうか。

 

これについては、また別の機会に。