にこたろう読書室の日乗

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0600 起床 気分快 晴 三浦荒崎巡行【見て・歩いて・よろこぶもの】⑫その3 あの白い家の正体。最後の海軍大将、井上成美の戦後を訪れる。

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荒崎のバスの終点から、細い坂道を登ります。

数分で、こんなしめ縄が。

坂を登った先の分岐のところに、なにやら石像群が見えます。

「観音像の庚申塔」。

 

道しるべを兼ねた、庚申様ですね。

例の「青面金剛」も。

ほんと、最近この仏様とご縁があります。

 

右側の細い坂道をたどると、丘の上の平坦な畑地帯に出ます。

あの、白い家が見えてきます。

ここが門の跡なのかな。

 

今は無人です。

カフェ・アルファではありません。

 

井上成美記念館にいく: 追い風にのって

一時期、記念館として公開されていた時期もあるのですが。

これは、今はもうない張り紙です。

 

ちょっとだけ、失礼して、外観とお庭を拝見しています。

後ろを見ると、相模湾の絶景です。

 

正面に遠く伊豆の大島、左下の岬に長浜、三戸、諸磯。

眼下は、白波くだける荒崎海岸。

 

 

晴れ渡る空と海。

太平洋の果てまで、どこまでも続きます。

戦後、この場所に隠棲され、この海を見ながらその波乱万丈の生涯を終えられた人物。

今回、僕が荒崎を訪れた目的の場所が、ここなのです。

 

井上成美(いのうえ しげよし/せいび) 帝国海軍最後の海軍大将。

渾名    三角定規、剃刀。
生誕    1889年12月9日 宮城県仙台市
死没    1975年12月15日(満86歳没)神奈川県横須賀市

所属組織     大日本帝国海軍
軍歴    1906年 - 1945年
最終階級    海軍大将
墓所    多磨霊園

 

陸軍が主導する独伊との三国同盟に徹底して反対し、戦時中の海軍兵学校校長時には、適性語である英語教育を「敵を知る必要がある」ということでむしろ奨励。そして戦後には田舎で英語を細々と教えながら贖罪と清貧の生活を貫いた硬骨の人物。あまりにも正論すぎた人。

 

日本の歴史を、そして今を考える上で、井上成美の功績と生き様を、もう一度とらえなおすことの意義を、僕は感じているのです。

 

その出発点が、この小さな白い家なのです。

 

井上成美に関しては、稿を改めて考察します。

おしまい。