にこたろう読書室の日乗

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0600 起床 気分快 曇 【夢十夜を読み直す話】④『文鳥』はこの小品集の序曲のような小品。死と美女の影が見え隠れします。

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夏目漱石の短編小説『文鳥』は、わずか21ページ(復刻版初版本の場合)の短い作品ながら、漱石の文学的な特徴が凝縮された小説です。

 

夢十夜』の序曲のような小品として、この連作小説の冒頭に置かれています。

なので、こちらを先に読んでおくべきでしょう。

 

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要約すれば、人(弟子の三重吉)の勧めで文鳥を飼うことになり、不器用ながらも可愛がっていたのだが、執筆の仕事が忙しく世話が行き届かずに死なせてしまった話。

なんてこともない日常の寸描みたいなもの。

 

テーマは、日常の中の「死」です。

 

あと、もう一つ、昔の女性との関係がところどころ挿入されて描かれているのが、ちょっとおもわせぶりです。

 

前振りとして、文鳥を勧めた三重吉の彼女についての記述があります。

 

「三重吉の小説によると、文鳥は千代千代と鳴くそうである。その鳴き声がだいぶん気に入ったと見えて、三重吉は千代千代を何度となく使っている。あるいは千代と云う女に惚ほれていた事があるのかも知れない。」

 

そして、唐突にこのエピソードが挿入されます。

 

「昔美しい女を知っていた。この女が机に凭れて何か考えているところを、後から、そっと行って、紫の帯上げの房になった先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫で廻したら、女はものう気に後を向いた。その時女の眉は心持八の字に寄っていた。それで眼尻と口元には笑が萌していた。同時に恰好の好い頸を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分はふとこの女の事を思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上でいたずらをしたのは縁談のきまった二三日後である。」

 

文鳥はもう留り木の上を面白そうにあちら、こちらと飛び移っている。そうして時々は首を伸して籠の外を下の方から覗いている。その様子がなかなか無邪気である。昔紫の帯上でいたずらをした女は襟の長い、背のすらりとした、ちょっと首を曲げて人を見る癖があった。」

 

「昔紫の帯上でいたずらをした女が、座敷で仕事をしていた時、裏二階から懐中鏡で女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだ事がある。女は薄紅くなった頬を上げて、繊い手を額の前に翳かざしながら、不思議そうに瞬をした。この女とこの文鳥とはおそらく同じ心持だろう。」

 

(イメージです)

 

この「美しい女」との別れの気持が、のちのちの文鳥の死に重なります。

「美しい女」が、この作品の執筆を始める十日前に死亡している日根野れんという女性をモデルとしている可能性があるそうです。この女性は、漱石と異母兄弟として育てられていた人で初恋の人だったという説もあるようです。彼女の結婚生活は、自由が奪われていました。

 

文鳥』 夏目漱石 | 鳥鳥文鳥

 

語り手の「私」は知人から贈られた文鳥を飼い始めます。当初はあまり興味がなかったものの、次第にその可愛らしい姿やしぐさに愛着を感じます。文鳥が自分にとって大切な存在になっていきます。

 

しかし、文鳥が亡くなったとき、その死に対する自分の感情が思いのほか浅薄であることに気づきます。最終的に、彼の心には一抹の虚しさが残ります。

文鳥の死に直面した主人公は、これまで感じたことのない感情や喪失感を覚えます。

 

ただ、このとき主人公は死んだ文鳥をじっと見つめ、次に冷たくなった文鳥を放り投げ、処分を命じます。漱石のやるせなさと、日根野れんの夫への怒りのようなものを感じさせるニュアンスの文章ですね。

 

 

小さな存在でありながら、文鳥との短い交流が主人公に深い影響を与えたことが、物語の終わりで示されています。

 

不器用ながらも必死に育てる姿は可愛らしいくらい、文鳥の死を責任転嫁しなければ受け入れられなかった、独りよがりだけど真っ正直な悲しみ。

 

文鳥が死んだ後、その悲しみもすぐに忘れ去られるかのような描写は、人間の自己中心的な性質、孤独感や、他者との関わり方への疑問が鮮やかに浮き彫りにされています。

 

「私」は文鳥を飼うことで一時的に満足感を得ますが、その愛情は自己満足の域を出ません。文鳥が死んだ後、その悲しみもすぐに忘れ去られるかのような描写は、人間の(というか漱石の)自己中心的な性質を鋭く浮き彫りにしています。

 

とくに、凍った透明の硝子板を隔てて見つめているような、冷徹な女性を視る眼が、こわいなあ。