にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 気分快 曇 舞鶴・北滋賀遠征記録④海軍記念館を訪ねる

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昨日は寒かったですね!

最高気温14℃、最低気温13℃。

すでに冬の雰囲気です。

今朝は、今のところ外気温が15℃です。

 

舞鶴・北滋賀の旅の記録の続きです。④は海軍記念館を訪ねる、です。

 

【10月1日(土)その1】

 

舞鶴、二日目もとても良いお天気です。

この週末は、奇跡的に秋晴れの良いお日和。

ホテルの部屋の窓から見える、東舞鶴駅のホーム。

朝食はホテルの洋食セット(パンとサラダと卵=500円)で、リーズナブル。

街中ではなかなか店が開いてないので。

 

これから、碁盤目の市街を歩いて北上し、港まで行きます。

途中、軍艦の名前がついた横筋を渡ります。

ちょっとにぎやかなアーケード。
呉や佐世保もこんな感じでしたね。

軍港の町あるある。

 

昨日の遊覧船乗り場に着きました。

こんなのがある。

「いすず」は、昭和34年度計画乙型警備艦1211号艦として、三井造船玉野造船所で1960年4月16日に起工され、1961年1月17日に進水、1961年7月29日に就役し、舞鶴地方隊に直轄艦として編入されました。

1992年3月25日、除籍。

僕とほぼ同じ年の生まれだ。君は現役30年、引退して30年。

ここに錨だけ残して鬼籍に入ったのですね。お疲れ様です。

僕はかろうじて、まだここに生きているよ。

 

レンガ倉庫が建ち並ぶ一帯を過ぎます。

この3Dハッシュタグは夜間ライトアップされます。

これはイメージです。

横浜、函館、小樽、呉、佐世保・・・各地に古いレンガ倉庫が残っていますが、舞鶴がなかでも一番古いみたいです。なので、世界各地から歴史的レンガサンプルを集めた「赤れんが博物館」があります。

ここは明日、見ましょう。

 

ここから自衛隊の艦艇がずらっと係留されている「北吸係留所」の桟橋沿いの道を行きます。

入れる予定でしたが!

まあ、海上から見たから良しとしましょう。

 

この先の丘の上一帯が、舞鶴地方総監部第一庁舎(旧海軍機関学校庁舎)です。

舞鶴鎮守府の中心部ですね。

今日はここの、海軍記念館が一般公開されていますので、見学します。

昔の大講堂で、今は海軍記念館としても一般公開されています。

舞鶴の軍港としての歴史はこんな感じ。

 

明治19年 仁礼景範海軍中将が軍艦「金剛」にて舞鶴湾を視察
  20年 仁礼中将と肝付兼行海軍水路部長が舞鶴を視察し鎮守府予定地に指定
  21年 西郷従道海軍大臣伊藤博文が軍艦「浪華」等6隻を率いて舞鶴を視察し
 鎮守府設置を決定
  22年 第4鎮守府舞鶴)設置の勅令公布
  30年 軍港工事開始
  34年 鎮守府開庁(初代司令長官 海軍中将 東郷平八郎
  36年 海軍工廠開設

大正12年 鎮守府廃止、要港部となる  海軍工廠廃止、工作部となる
  14年 海軍機関学校を江田島から移設

昭和 5年 海軍機関学校校舎竣工(現舞鶴地方総監部)
   8年 海軍機関学校大講堂竣工(現海軍記念館)
  11年 海軍工廠復活
  14年 鎮守府復活
  20年 終戦


ざっくりまとめると。

 

①明治期:中国(清)とロシアを仮想敵として、日本海での戦闘に備えて軍港を建設し鎮守府を置く。東郷平八郎を司令長官とする艦隊を配備して、ぎりぎり日露戦争日本海海戦)に間に合う。世界史上、もっとも模範的な海戦の勝利?

②大正期:ワシントン条約ロンドン条約などの海軍軍縮条約が成立したため、一環として舞鶴鎮守府から要港部に格下げ。仮想敵国としてのアメリカと対峙する太平洋岸が重視される。naval holiday!

③昭和期:軍縮条約を破棄し、再び世界戦争の危機が高まると、鎮守府に再昇格。関東大震災で被災した機関学校が、築地→横須賀→呉→舞鶴と移転してくる。

④呉の江田島には士官学校が置かれ、海軍のソフトウェア面で中枢を担う人材が育成されたのに対し、舞鶴には機関学校が置かれ、海軍をハードウェア面で支える技術や人材が育成された。

 

記念館(講堂)の入り口には、東郷元帥。初代のボスですね。

この講堂は、終戦アメリカ軍に接収されて、将校倶楽部のダンスホールとして使われたみたい。そのとき演壇が底上げされて、楽団を載せたそうです。

昭和8年、昭和天皇は福井で行われた陸軍特別大演習に親閲した後、お召列車でそのまま舞鶴に巡行し、要港司令部・機関学校・要塞司令部等を視察しています。

 

アルバムにはこの建物が写っていますね。

関係者全員感激して、巡行記念の神社(神明社)を建てました。

ちょっと下に見られていた舞鶴の名誉回復、という気概があったのでしょう。

神社はもうありませんが、記念碑が残っています。

 

もう一つ、面白い展示品はこれ。

二つの「鐘」(時鐘)。

 

右は自衛隊護衛艦「ながつき」のもの。

左は帝国海軍駆逐艦「長月(2代)」のもの。

 

その経緯は、こんな感じ。

 

護衛艦「ながつき」に装備されていた時鐘は、コロンバンガラ島ベネット入江に擱座した先代の旧海軍の睦月型駆逐艦の8番艦「長月」に装備されていた時鐘である。

戦後「長月」は解体されたがその時鐘は現地人が保管しており、その後、日本に持ち帰られたものを当時の呉地方総監・筑土龍男海将の尽力により海上自衛隊に引き渡され、1970年11月17日に本艦に装備された。

本艦の退役後、駆逐艦「長月」の時鐘と護衛艦「ながつき」の号鐘は共に舞鶴の海軍記念館に保存されている。

 

旧帝国海軍と現行の海上自衛隊は、物心両面で、いろいろな意味で繋がりがあるのですね。

 

尺が伸びているので、今日はここまで。