血圧値 133/85/79 酸素飽和度 98% 体温 36.2℃ 体重 67.8キロ
今日は、いよいよ王将戦第3局。
まだ対局が始まらないし、2日制だから、決着がつくのは明日の午後から夜にかけて。
この前みたいに、お昼前に終わってしまいそうになって、両者とも気を使って長考して時間を消費してみたり、なんていうこともあるかも。
というわけで、ちょっと前のことですが、「荷風セット」を食べるの第3弾。
0600 起床 気分快 晴 【荷風セットを食べる】№01 目黒 鷹番 朝日屋 20231230 - にこたろう読書室の日乗
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「松月庵」、とても懐かしい名前。
僕が生まれた、目黒の清水町というところに、この名前のお蕎麦屋さんがあって、うちの店屋物の出前は、たいていここか、その近くの町中華の「三喜」という店でした。
清水町は現在の町名では目黒本町。消滅したのは1966年(昭和41)。僕が7歳の時か。
由来になっている清水池は、今も清水池公園内に残っています。
僕の公園デビューは、たぶんここです。
今は、実家ともども、もうありません。
まあ、60年近くも前の話。
学芸大学駅の西口を出て、都立大学方面へと線路沿いに行ったところにある「松月庵」に行きました。
存在は昔から知ってますが、訪れるのは初めて。
「荷風セット」を食べる。
昭和のたたずまい。
まるで、「僕の松月庵」と瓜二つです。
カツ丼を発注。
待ってる間に、まずは、お酒熱燗と卯の花を注文。
癖の強い箸袋です。
まったりとした、この待ち時間が良いですねえ。
ちなみに、お蕎麦屋さんでお酒というと、かなりの鉄板でこの菊正ですね。
いつから始まった風習なのかな。
神田「やぶそば」に置いている日本酒は、創業以来、菊正宗一筋。
この辺りがルーツかも。
卯の花、ほんのり甘くて、お酒に合います。
着丼!
お新香とお吸い物付き。
「荷風セット」の条件クリアです。
良い感じ。
豚肉に黒胡椒を叩いていますね。
あり、かな。
思うのですが、最近はグリーンピースってものはトッピングしないのかな。
昔は、標準実装で、子どもは嫌いだったりしたんだけどなあ。
昭和のトレンドだったのか。
ところで、「松月庵」って、東京近郊のいたるところにありますよねえ。
「東京松月庵麺類協同組合」という暖簾会のホームページ(これは今、どこを探しても出てきません)によれば、2010年の時点で、東京・埼玉・神奈川・千葉に108店舗あったようです。
一般的な松月庵の商標です。
「松に月」のロゴ。これは東京松月庵麺類協同組合に属しているという証。
正統なる松月庵系です。学芸大松月庵はこの商標を用いていません。
ちょっと違う系譜なのかな。
この「松月庵の起源」問題については諸説あり、検討を要します。
よく引用されるのは次の話。
松月庵の創始者は壁谷(かべや)一族。大正末期から昭和初期あたりに、愛知県蒲郡市から壁谷性の青年が上京してきて、そば屋を始めます。これが当たり、壁谷氏は一族を東京に呼び寄せ、一族や従業員たちをどんどん暖簾分けさせます。結果、東京を中心に松月庵がたくさんできました。
現在のすべての松月庵が壁谷一族というわけではありませんが、壁谷一族の流れを組む店主も多いようです。
他にも、こういう説が。
蕎麦屋「松月庵」の創業者は愛知出身の「松山竹助」とされ大正9年(1920年)に上野動物園裏の門前で創業が始まりと記録されている。
店は現在既に閉店しているが、その系列店が現在の上野池之端「松月庵総本店」に繋がるようた。川崎大師前の「松月庵」との関連性は不明。
上記の「川崎大師前の」「松月庵」に至っては、「1884年(明治17年)、川崎大師平間寺のお膝元に創業した川崎大師 松月庵」とうたっているので、けっこう混沌としています。いずれまた、考察する機会があるでしょう。