血圧値 128/83/65 酸素飽和度 98% 体温 36.4℃ 体重 67.8キロ
夜はとても涼しくなりました。
なので、先日はベランダでお月見の練習。
そろそろ十五夜ですからね。
この夜は、上弦の月をちょっと越えたくらい。
肌寒いくらい、というのがこんなに気持ちが良いとは。
変な時代になっちゃったなあ。
「毎日、暇でしょう? 何してるんですか?」とよく聞かれます。
そこそこやりたいこと、やるべきことっていうのもあって、なにかと「忙しく」していますよ。
このブログ、「にこたろう読書室の日乗」も、去年の5月1日の開始以来、今日までで516回の連載を数えます。
これを通読していただくと、少なくとも「毎日暇」で困っているわけではないらしい、ということがお察しいただけるのですが、それこそ、「そんな暇はない!」というかたがたが大多数でしょうから、これは仕方がありませんね!。
そもそも他人の個人の「日乗(日常)」などというものは、どなたか人さまのお役に立てるようなものではありません。
じゃあ、なんで僕は、生きているんだろう。
なんでかな?
まあ、そう思うことは多々ありますね。
「なぜ?」という問いには「原因」だけでなく「目的」もある、ということなのでしょう。
「なぜ生きてるんだろう?」と問うとき人は、原因や理由(「なんのせいで?」)よりも、むしろ目的、あるいは意味(「なんのために?」)を問うているのです。
「君たちは、どう生きるか」
けっこう虚を突かれる質問ですね。
究極、これなのか!
人生は、ある時点を越えると、急に視野というか、奥行きが深くなりますね。
これはたぶん、いわば時間の遠近法の、消失点が見えてくることだ、と思います。
西洋ルネサンス期以降に、確立された「遠近法」の理論。
消失点(vanishing point)とは、透視図法(遠近法)において、視点を通り、描く直線と平行な直線が画面(又はその延長面)と交わる点である。
モノを構成する平行線は、遠くまで伸ばすとある一点で交わる。その点をヴァニシング・ポイントと呼ぶ。
実際の風景でも同じですね。
ルネサンス期の画家ピエトロ・ペルジーノが《聖ペテロへの天国の鍵の授与》(システィーナ礼拝堂・1481年から1482年)で透視図法を用いた例は、こんな感じ。
「消失点」を見失うと、絵が歪みます。
なんか不安定で落ち着かない感じの絵があるとしたら、これが原因。
人生もまた同じ、ということでしょうか。
「晩年」をもう一度定義します。
晩年とは、人生の遠近法の、消失点が見えてくるころ、のことです。
ちなみに、前回の定義はこちら。
0600 起床 気分快 晴 「晩年」を定義します。 - にこたろう読書室の日乗
このブログの「検索」で、「晩年」というキーワードを探していただくと、僕にとってこの言葉がけっこう重要な意味を持っているらしい、ということがわかります。