にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分快 曇 西の京弾丸巡行③「玄奘三蔵院伽藍」を訪ねる。お師匠様の遺骨があります。

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いやー、しかし昨日は凄い雨でした。

お陰で、今朝は涼しい。外気温22℃。

 

関東は、きょう23日(秋分の日)は午前を中心に雨が降りやすいですが、あす24日(日)は晴れて行楽日和に。

日本海側から秋の乾いた空気に入れ替わり、最高気温30℃以上の真夏日エリアもカラッとした暑さ。

朝晩はグッと秋めき、東京都心でも20℃前後で涼しいくらい。

なんだそうですよ!

 

さて。

前回お話した薬師寺のエリアは「白鳳伽藍」と呼ばれています。

 

由来は、こんな感じです。

 

昭和43年(1968)、管主高田好胤和上の発願で、写経勧進などによる白鳳伽藍復興が開始されました。高田管長は、全国を行脚し、昭和51年(1976)に目標を達成し、金堂が落慶されました。現在では、西塔、中門、回廊、大講堂、食堂(じきどう)など白鳳伽藍の主要な堂塔はほぼ復興され、いにしえの大伽藍がよみがえっています。

 

これは50年前に修学旅行で来たときは、ありませんでした。東塔と金堂と東院堂はあったけど。

 

 

「白鳳伽藍」を出て、北に向かうと。

こんな看板があります。

 

 

境内右三分の二を「白鳳伽藍」といい、左を「玄奘三蔵院伽藍」といいます。

 

 

玄奘三蔵院伽藍」ってなんだ?

 

薬師寺の宗派は法相宗です。法相宗の発端を築いた玄奘三蔵の頂骨(頭の骨)が奉安されている、玄奘三蔵の遺徳を顕彰するための伽藍です。

平山郁夫画伯の手による大唐西域壁画が奉納されていることでも知られています。

 

今回のもう一つの目的は、この「玄奘三蔵院伽藍」を観ることです。

昔はなかったからね!

 

世界史の教科書でも有名な、玄奘(げんじょう)。筆記試験では漢字注意!。

 

三蔵法師」は一種の敬称。経蔵・律蔵・論蔵の三つの蔵のお経全部に精通した高僧。 仏典の翻訳に従事したすぐれた僧。 くらいの意味です。

 

玄奘は629年に国禁(当時、唐王朝は国境出国を禁止していました)を犯して陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還しました。以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となりました。また、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著したことでも知られています。

 

ヨシノマホ🦌奈良クリエイター on X: "【歴史メモ】玄奘三蔵 ・唐代中国の訳経僧。 ・俗名は陳褘。  ・629年にインドに向かい、645年に経典や仏像などを持って長安に帰還。 ・道昭は唐で玄奘に教えを受けた。 ・道昭の弟子とされるのが行基。 3月5日は 玄奘の新暦での命日 ...

 

西遊記』のモデルになったので有名になりました。「お師匠様」ね。

 

西遊記 1st Season-vol.2:堺正章,夏目雅子,西田敏行,岸部シロー(DVD5枚組/送料サービス)

いやー、懐かしいなあ。

 

玄奘三蔵の求法の旅の目的は「唯識」の教えを究めることでした。その教えは玄奘三蔵の弟子である慈恩大師により、「法相宗」として大成し、飛鳥時代の道昭僧都などにより日本に伝来しました。薬師寺法相宗だから、ここで繋がっている。

 

 

向こうに見えるのが「白鳳伽藍」。

振り返ると。

 

 

伽藍中央に「玄奘塔」。

 

ここには、玄奘三蔵の頂骨(頭部の遺骨)が納められています。なぜそうなったかといういきさつは、この前の戦争がからんでいます。こんな感じ。

 

日中戦争時の1942年(昭和17年)12月に日本軍が南京で発見した玄奘の遺骨の一部が戦後埼玉県さいたま市慈恩寺に奉安されることとなり、1953年(昭和28年)5月に十三重の花崗岩の石組みによる霊骨塔・「玄奘塔」が落慶

1955年(昭和30年)に日台友好のため、台湾に分骨され、現在は日月潭玄奘寺に奉安されている。

1981年(昭和56年)には、玄奘の属する法相宗薬師寺にも分骨されており、現在は境内の玄奘三蔵院に奉安されている。

 

ずいぶん前ですが、この埼玉の慈恩寺に行ったことがあります。岩槻の大字慈恩寺町というところにあります。その当時、中国からの要請で、返せ返さない問題が起きていたように記憶しています。結局、薬師寺にも収まったわけですね。まあ、良いのかな。

これはそこの玄奘の遺骨を納めた十三重の塔。

前の銅像二宮尊徳ではないですよ!

 

2019年5月に中国・西安(唐の時代の長安)を観光し、大慈恩寺を訪れました。そのときの旅行記もアップしております。<br />https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11493723/<br />帰国してから日本国内にも玄奘三蔵法師のご遺骨が祀られていることを知り、興味を持っておりました。<br />しかも、私の住む埼玉県にそのお寺があるというので、いつでも行けると思いつつ時間だけが過ぎておりました。<br />今回、近くまで行く用事がありましたので、岩槻の慈恩寺を訪ねました。<br />公益社団法人さいたま観光国際協会のHPを拝見すると、『慈恩寺は、華林山最上院ともいい、天長元年(824年)に慈覚大師によって開かれた天台宗の古刹です』とありました。<br />関東から東北にかけては慈覚大師円仁が開基したお寺が大変多く、その真偽はともかくとして古いお寺であることは間違いないでしょう。<br /><br />最寄り駅は、東武アーバンパークライン(野田線)の豊春駅ですが、歩くと30分はかかるでしょう。無料の駐車場(20台位)があり、また、東武アーバンパークラインの岩槻駅と東岩槻駅からコミュニティバスも利用できるようです。駐車場横にバス停がありました。<br /><br />玄奘三蔵法師のご遺骨については、諸説あるようですが、ここでは公益社団法人さいたま観光国際協会のHPから引用して紹介します。<br />『三蔵法師の遺骨は、宋の時代に長安(現西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になりましたが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)しました。<br />頭骨は、当時の南京政府に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されたのです。<br />日本へ渡った頭骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、折しもその頃の東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開しました。<br />第2次大戦後、日本の仏教界が正式な奉安の地を検討した際に、三蔵法師と縁の深い慈恩寺が奉安に最適の地とされ、昭和25年に13重の花崗岩の石組みによって玄奘塔が築かれました。<br />その後、慈恩寺から台湾の玄奘寺(昭和30年)や奈良の薬師寺(昭和56年)へも分骨されています。』<br /><br />1月というのに日差しが暖かく、青空の下で三密を避けて参拝しました。<br />コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過してから旅行記を公開しています。<br /><br /><br />

 

さて、薬師寺です。

玄奘塔」の向こう側に、これがあります。

 

 

今回の重要な目標の一つですが、尺が伸びているので、以下次号。