血圧値 116/74/65 酸素飽和度 98% 体温 36.1℃ 体重 67.9キロ
今朝は曇っているので、ベランダ朝活。
明日から雨模様の予報ですが、ようやく涼しくなるのかな。
パリパリ麺の無限キャベツ、ワインビネガーかけオムレツ、玉葱スープ、Pica Pica の前菜テイクアウト、蜂蜜ヨーグルト、水だしアイス珈琲。
食べ過ぎではないかって?
これからチェロレッスンにでかけて、2時くらいまで何も食べないので、大丈夫!
前の駐車場に早朝から人の出入りがあるので、テーブルと椅子は低い位置にして、「あいつ何か食べていやがるな」、とバレないようにしています😃
それにしても、いつまでこんなに暑いのかなあ。
世界中で、この機械が大活躍。
発明した人、偉いなあ。
調べておこう。
世界初の電気式エアコンが登場したのは1902年のことで、発明したのはアメリカの技術者ウィリス・キャリアです。
ブルックリンにあった印刷会社「サケット・ウィルヘルム・リトグラフ&パブリッシング・カンパニー(Sackett-Wilhelms Lithographing & Publishing Company)」から、室内の湿度を抑える機械を作ってほしい、との依頼を受けたのです。
ただ、この時のエアコンは水の加熱や冷却を利用した「噴霧式」で、現在の一般的なエアコンとは仕組みが違っていました。
やがて1928年になると、アメリカの技術者・化学者であるトマス・ミジリーが、世界初のフロン類であるフレオンを開発します。そして1930年、フロンガスを冷媒として使用した、現在とほぼ同じ仕組みのエアコンがアメリカで開発されたのです。もっとも、このフロンガスはオゾン層を破壊してしまうことが後にわかり、現在は厳しく規制されています。
結果的に有鉛ガソリン、フロンという、環境破壊の代名詞とも言える物質を2つ発明したことになってしまったミジリー。
環境歴史学者のJ・R・マクニールはミジリーのことを「有史以来、地球の大気に最も大きな影響をもたらした生命体」とまで呼んでいます。
ちょっと、可哀そうですね。
日本でエアコンが普及し始めたのは、1950年代に入ってからです。当時はまだ冷房機能しかありませんでしたが、1970年代には暖房機能も備えたエアコンが開発され、1年中使用可能に。
それから約半世紀を経て、現在までにどんどん小型化・高機能化が進み、環境にも優しくなるなど目覚ましい進化を遂げています。
実家に冷房が入ったのはいつだったかなあ。
これは昭和42年(1967年)の記事だから、このころが最初期なのかな。
昭和42年8月1日、冷房付けたら2割増し!
反発必至!
電車にも、付きました。
1970(昭和45)年7月31日、山手線に試作冷房車が導入されたそうです。
僕は11歳だな。
この型番も、もはや珍しいね。
通勤地獄に革命を起こした冷房車ですが、車両の入れ替えや改造には高額コストがかかるため完全普及はかなり後の時代のこと。山手線が全車冷房化されたのは昭和末期の1988年頃と言われています。
それまでは冷房車と非冷房車がまばらに編成された電車だったりすることもしばしば。ホームにて、たまたま冷房車がホームに入ってくると「今日はラッキー!」なんて心の中で叫ぶ時代が続いたものだそうです。
ちなみに、僕は黄色い山手線も知ってます。
鉄道への冷房機導入の起源についてはこういう説もあります。
なんと戦前からある?
昭和11年。南海電鉄が日本で初めて「冷房車」を導入したという記事。
2.26事件の年ですね。
この件は、ここのサイトが詳しいです。
君は、日本初の冷房車を知っているか【南海電鉄歴史紀行】 | ページ 2