血圧値 133/87/80 酸素飽和度 99% 体温 36.3℃ 体重 67.6キロ
先日、鶴見線沿線をふらふらしたきっかけで、日本とブラジル、について考えるようになりました。
あまり体感してこなかったけど、僕たちとブラジルとは、とても長く深い因縁があるのです。
今僕のたっている地面から、真下に穴を掘って、地球のコアを貫通していくと、ブラジルに出る、とよく言われます。
厳密に言えば、ちょっと違いますが。
東京の位置はおよそ北緯36度、東経140度ですから、東京の反対側の地点はおよそ南緯36度西経40度。ウルグアイの沖合い、アルゼンチンのブエノスアイレスの東、かな?
日本の真裏に最も近い国は、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンであることに違いはありません。日本の真裏の国、中南米の国々。
ブラジルへの移民は1908年、笠戸丸で海を渡った781人が始まりです。今では約200万人の日系人がブラジルで暮らしています。
日本から中南米に渡った移住者たち。移住は単に"出稼ぎ"ということだけでなく、相手国の国づくりへの貢献につながっていきました。
実際、日本人は原始林を開拓し、農業を振興し、町をも興していきました。
また、ブラジルで生まれた2世、3世への教育を重視し、やがて彼らは政界や官界に進んだり、医師や弁護士、教員、芸術家など広範な分野の職に就くなどしてブラジルの発展に貢献しました。
横浜市には「JICA横浜 海外移住資料館」があります。
初めて知りましたが、こんな感じ。
2002年の開館で、文化人類学者の梅棹忠夫氏が特別監修として関わった。もともとJICAの前身組織の一つが戦後の移住事業に携わっており、横浜は移住船出港地だった。
ここでは日本を旅立った人々が移住先でどのように文明づくりに参加し、その地に貢献してきたかが総覧できる。100年以上前の移住者たちが「国際協力」の先駆者として、それぞれの国で信頼を得てきたことが見えてくる。
ここは行ってみなくちゃ。
なぜ、鶴見にブラジルの人と、沖縄の人がオーバーラップしているのか。
このちょっと不思議な取り合わせを整理すると。
明治時代に日本から海外への移住が始まり、多くの日本人が南米へ移住しました。ブラジルはその主たる目的地です。
また、沖縄からも南米へ、そして鶴見に仕事を求めて多くの人が移り住みました。
明治から昭和にかけて第二次産業が盛んになり、東京大田区から川崎市や横浜市は工業地帯、特に鶴見区は浅野財閥により積極的な開発が行われます。
そして、時代は平成に移り、「出入国管理および難民認定法」が改正・施行され、日系三世までの人なら、日本で働きやすくなりました。
その結果、沖縄から南米に移住した人の子供や孫が、沖縄から鶴見に移り住んだ親戚などを頼って来日し、鶴見に移り住むようになったのです。
こうして出稼ぎの人々が祖となり、今でも世代を超えて住み続けているため、鶴見にこのような沖縄の街・南米の町ができた、というわけです。
いやあ、壮大な物語ですねえ。
あと、ついでに言うと。
東京中心の東西の方位を拾い上げて線で結ぶと、下図のようになる。(これはかつて2006年1月センター試験地理B第1問に出た問題。)
アメリカが日本の東というのは間違い、ヨーロッパが日本の西というのも間違いである。
インドは東京の西にある。しかしインドから見て、日本が東というのは間違い。世界地図の小スケールにおいては、西の反対は東ではない。東の反対は西ではない。
不思議です。