にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分快 晴 スヌーピー幻想。「白い犬」はあなたをたすける、という話。

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昨日のブログで触れた「スヌーピー」は、可愛い白いビーグル犬でした。

 

これを書いていて、思い出したことがあります。

 

じつは、日本には古くから、イヌを「人をたすける良き動物」と考えてきた歴史があります。しかもそれは「白い」犬、なのです。

 

日本の古い記録、『日本書紀』に書いてある有名なエピソード。

 

日本武尊信濃国に進まれた。この国は、山が高く谷は深く、青々とした嶺が幾重にも重なり、人は杖をついても登るのがむずかしい。巌は険しく、石の坂道がめぐり、高峰は千々に連なり、馬も歩を進めることができない。しかし日本武尊ヤマトタケル)は霞をかき分け、霧を凌ぎ、はるかに大山を進まれた。

やがて嶺に着き、空腹となったので山中で食事をとられた。その時、山の神は王を苦しめようとして、白鹿に姿を変えて王の前に立った。王は不思議に思い、一つの蒜(ひる)を白鹿に弾きかけると、(それが)眼に当たり、鹿は死んだ。すると、王はたちまち道に迷い、出口が分からなくなられた。

その時、白い狗が現れ、王をご案内するような様子をみせた。その狗について行かれると、美濃にお着きになった。

(『日本書紀景行天皇四十年是歳)

 

遭難しかけたタケルを救うのは「白い犬」なのです。

襲ってきたのは山の神の変身した「白い鹿」です。

タケルを死に導くのも生へ導くのも、「白い」動物だったのです。

「白」は、生と死にかかわる、不思議な色です。

 

ここで注意しておくべきことは、登場するのが「白き狗」=白犬であって、オオカミではないということです。

 

古事記』にこの逸話と対応する段は、中巻・景行天皇の章での皇子倭健命(日本書紀日本武尊)が、相模國(神奈川県西部)の足柄山で休憩をし、食事をとった時、「山鬼」が倭健命を惑わせんと白い鹿に変じてあらわれ、これを食べかけの蒜を投げつけると死んでしまった、という逸話です。

 

ここで倭健命はなぜか亡くなった恋人を唐突に思い出し「吾妻(あがつま)よ」と嘆いたことから、関東周辺の東国を「吾妻=あづま」と呼ぶようになった、という地名縁起譚が語られるのみで、オオカミどころか白い犬すら登場しません。

 

埼玉県秩父市三峯神社や東京都の武蔵御嶽神社など、オオカミを「大口真神」として描いた御札を害獣、火災などの災難除けとするオオカミ信仰があるのですが、これは歴史的には、比較的新しいもののようです。

 

そういえば、三峰神社でもらえる「白いお守り」。

昔、行ったことがあります。

秩父の凄い山の奥にある神社です。

 

浅田真央さんが持っていることで人気になり、この白い氣守を持っていることでご利益があったという人が多くいるそうです。

 

ここにも「白」のイメージが登場します。

 

こちらは、三峰神社ヤマトタケルの「やぁ!」という銅像

 

さて。

 

それとは別の系統で、「犬」をめぐるいろいろな信仰の物語がある、ということです。

日本の「おいぬ様」信仰の根源にあるのはオオカミではなく、やはり白い犬だったようです。

 

関東地方周辺には広く「犬供養」という習俗があり、飼い犬や身近な野良犬などが難産で死んだり死産だったりすると、卒塔婆を立てて犬の魂を供養し善徳を積むことで、人が出産の際に安産となるという信仰がありました。

 

このように、飼っている犬が死ぬと世話になった飼い主に福をもたらす、というモチーフは、古来多く知られています。

 

「桃太郎」や「花咲か爺」などの民話は、「白い犬」が登場し活躍する、もっとも有名なものでしょう。

 

死ぬことで人に福徳をもたらす、これらの不思議な犬の正体は何なのでしょうか。

 

これも、有名。

 

そういえば、よくしゃべる「おとうさん」なんていう犬もいますね。