にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0540 起床 気分並 曇 梅雨は明けたはず? この変な天候で、僕は「かささぎ」に憑りつかれてしまったのか?

血圧値124/75/76 酸素飽和量 97% 体温36.3℃ 体重 67.6キロ

 

台風一過、でもなんか鬱屈した曇り空ですね。

今夜の星空は無理かな。かささぎの橋は?

 

これから読む本なのですが。
「かささぎ」繋がりでご紹介。

1955年7月、サマセット州にあるパイ屋敷の家政婦の葬儀が、しめやかに執りおこなわれた。鍵のかかった屋敷の階段の下で倒れていた彼女は、掃除機のコードに足を引っかけて転落したのか、あるいは……。その死は、小さな村の人間関係に少しずつひびを入れていく。燃やされた肖像画、屋敷への空巣、謎の訪問者、そして第二の無惨な死。病を得て、余命幾許もない名探偵アティカス・ピュントの推理は――。現代ミステリのトップ・ランナーによる、巨匠クリスティへの愛に満ちた完璧なるオマージュ・ミステリ!

 

「数え歌」になぞらえた事件が進行するという、本格推理小説の王道プロットが展開するようですが、その歌の内容が「かささぎ」に関わるものなのです。

こんな感じ。

One for sorrow,
Two for joy,
Three for a girl,
Four for a boy,
Five for silver,
Six for gold,
Seven for a secret, never to be told,
Eight for a wish,
Nine for a kiss,
Ten for a time of joyous bliss.

一羽は 悲しみ
二羽は 喜び
三羽は 女の子
四羽は 男の子
五羽は 銀
六羽は 金
七羽は 永遠に語られない秘密
八羽は 望みが叶い
九羽は キス
十羽は 無上の幸運

 

鳥の数によって意味があるのでした。

 

さて。

 

東アジアの文化では、かささぎは非常に人気のある鳥であり、幸運と幸福の象徴です。昨日触れたように、「七夕の伝説」もその一形態ですね。そうそう、中国の月データ中継衛星に「鵲橋」という名前のものがあるそうです。


ヨーロッパ文化では、かささぎは結婚指輪やその他の貴重品などの光沢のあるオブジェクトを集めると評判で、よく知られている例はロッシーニのオペラ『La Gazza Ladra(泥棒かささぎ)』です。

物語は、実際にパリで起きた事件が題材です。カササギ(鳥)がスプーンを盗み、ヒロインが冤罪を被ります。事件では冤罪を晴らす前にヒロインが処刑されてしまいますが、オペラはハッピーエンドで終わります。

なんか無茶苦茶なストーリーだな。オペラは観たことないけど、序曲はそこそこ有名で、たまに演奏されます。

 

カラヤンは1960年にフィルハーモニア管弦楽団と、1971年にベルリンフィルと、2回録音しています。


両方聴いてみましたが、さすがにお上手。カラヤンはこういう小曲みたいなものを丁寧にかつお洒落に演奏します。手を抜かないのですね。ロッシーニもじつはとてもきっちりとした構成で曲を書く人で、『弦楽のためのソナタ』なんか秀逸。

 

日本ではどうなのでしょうか。

 

日本書紀』には飛鳥時代新羅から「鵲」を持ち帰ったという記述があるけれども、室町時代以前の文献にみられる観察記録には「かささぎ」と断定出来る記述は無いとされているらしいです。現在日本に生存が確認されている種も、その来歴は良く分からない、ということですね。

古代の日本には、もともとかささぎは生息しなかったと考えられる。『魏志倭人伝』も「日本にはかささぎがいない」とわざわざ記述している。現代では「鵲」は鳥類のかささぎを指す文字として使用されているが、古代における「鵲」の意味と読みは特定されていない。

日本書紀』には、飛鳥時代推古天皇6年(598年)、聖徳太子の使者として新羅に渡った吉士盤金(きしのいわかね)が2羽の「鵲」を持ち帰り献上、難波の杜(大阪市にある鵲森宮や生國魂神社などが比定地)で飼ったという記述がある。この日本書紀の「鵲」には万葉仮名が振られておらず、「かささぎ」という読みが初めて登場するのは平安時代中期の『和名類聚抄』である。

 

一応、原典を確認。

 

①『魏書』巻三十「烏丸鮮卑東夷伝」の一部(一般的には魏志倭人伝(ぎしわじんでん)と呼ぶ

種禾稻紵麻蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲
「禾稲、紵麻を種まき、蠶桑す。緝績して、細紵、縑緜をい出す。その地には、牛、馬、虎、豹、羊、鵲なし。」

「稲やカラムシを栽培し、養蚕する。紡いで目の細かいカラムシの布やカトリ絹を生産している。その土地には牛、馬、虎、豹、羊、カササギがいない。」

 

②『日本書紀

たしかに「六年夏四月」のところにそう書いてあり、つづけて「枝に巣を作り、ひなをかえした」とあります。瑞祥、つまりおめでたいことの証しでしょう。

淮南子(普通は、えなんじ、と読む)』(前漢武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179年 - 紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書。難解だがとても興味深いです。)にも、「かささぎが巣を作る」という記述がたくさんありました。

 

鵲の 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けにける

 

奈良時代歌人大伴家持は七夕伝説に取材した歌でかささぎを歌っています。(『新古今和歌集』・『小倉百人一首』に収載。なぜか『万葉集』には入集していない。)

家持は延暦4年8月28日(785年10月5日)に死んでいるから、日本で繁殖したかささぎの実物を見ているかもしれないですが、この歌は冬の光景であり、直接七夕を歌っているわけではない。

霜でおおわれたような厳寒の冬の銀河の、静謐で深閑とした光景に思いをはせる幻視者、家持。この人も、時代を越えて、突き抜けた感性の持ち主だったのですね。

さまざまに姿を変えて、時空を飛び越えていろいろな文化圏に飛来する「かささぎ」は、僕たちにとってとても不思議な、謎を含んだ鳥であると言えるでしょう。

 

どこかの動物園で見られるのかな?

 

情報としては、こんな感じ。

カササギと言えば佐賀県の県鳥であり、佐賀県では鳴き声と黒っぽい色からカチガラスと呼ばれることもあります。生息地は以前は九州北西部の限られた地域でしたが、1990年代に室蘭や苫小牧で観察されて、野鳥界を震撼?させました。
近年、本場の生息地以外での観察例が全国にありますが、『日本の野鳥650』(平凡社)には、港を中心とした狭い範囲での繁殖する例が増加していると記載されています。苫小牧で発見されたカササギはその後も生息数が増加して繁殖も確認、現在200羽近くいるとのこと。
最近の研究では苫小牧周辺に生息するカササギはロシアで生息するカササギと遺伝子が同じで、ロシア船で運ばれてきたとする説が有力です(BirdNewsJapan参照)。

 

なんと、ロシアの貨物船に同乗してくるのね!
横浜では、三渓園の上空高く海側から西へ飛翔するカササギが撮影されているそうです。

 

飼育されている個体は、国内では熊本市動植物園熊本県熊本市)だけで見られるらしい。


行ってみますかね。(今はもう居ないのかな)

 

おお、夏の空、来ましたよ。

 

残念、今年の鵲は見えないかも。