にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0600 起床 気分並 晴 今日はアメリカのIndependence Day。「建国を記念する日」っていうのも、いろいろですね。そして安倍さんが、大変なことに。

血圧値 126/80/73 酸素飽和量 98%  体温36.1℃ 体重 67.6キロ

気温は全国的に平年より高く、夏らしい暑さとなりそうです。
東京都心は昨日とほとんど変わらない見通し。湿度が高く蒸し暑い。

カラっとした夏にはならないなあ。なかなか。
でも、雲の感じは良いかな。

7月4日("Fourth of July")は「アメリカ合衆国独立記念日」(Independence Day)。

銃乱射事件も起きているけど。

「建国を記念する日」っていうのも、いろいろですね。
明確に決められない場合も多いし。
つまり、わかりやすい国と、はっきりわからない国がある。
普通は分かりにくいかな。だからいろいろ議論が分かれる場合が多いのですね。


わかりやすい例では、旧植民地国の独立記念日、共和国創立記念日革命記念日建国記念日と定めている国です。
いずれも自国民の民族的解放や、近代国家、社会主義国家としての建国を記念した日ですが、日本と韓国は、古代の建国説話に基づく建国記念日をしています。

日本:建国記念の日(旧紀元節) 2月11日
大韓民国:開天節 10月3日

日本では、実際の建国日が明確でないため、建国神話をもとに、建国を祝う日を定めています。

古事記』や『日本書紀』の日本神話に登場する人物で初代天皇とされる神武天皇の即位日である紀元前660年1月1日 (旧暦)を新暦に換算した2月11日を「建国記念の日」としました。
神武天皇は、日本神話に登場する天照大神の子孫であるとされていますが、実在していたかは定かでなく、教科書にも掲載されていません。
ただ、その東征伝説は、なんらかの歴史的事実を反映している、と考えることができます。

1873年(明治6年)に、『2月11日』を日本国の建国の日として「紀元節」と定め祭日とし、翌年から適用されました。
進出してくるヨーロッパ勢力に対抗できる、近代国家としての日本の出発を宣言するためには、国家の始まりを規定する必要があったからですね。

第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)が日本文化から国家神道を徹底的に排除しようとする過程で廃止されました。
その後、復活の動きが高まり、「建国記念の日」として、1966年(昭和41年)に国民の祝日となり翌年から適用されました。

いろいろな切り口から、この問題は研究が進んでいます。とても興味深い問題ですね。

法律で定められた「建国記念日」(祝日)がない国家にイギリスがありますが、伝統としてイングランド守護聖人・聖ジョージを記念したゲオルギオスの日(St. George’s Day、4月23日)が宗教的な国家の日としてしています。

いま、普通に「イギリス」と呼びましたが、こういう名前の国は存在しません。

今日、ジョンソン首相が辞意を表明しましたね!
コロナ宴会がきっかけというのも、なんだかなあという感じですが。

United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国

「イギリス」は4つの国からなる連合国です。
イングランドスコットランドウェールズ北アイルランドの4地域で構成され、おのおののエリアや街が独自の特徴を持ち、ユニークな文化を育んできました。

たまたまイングランドが政治経済的に優位だったため、明治期の日本人はイングランド=イギリス=大英帝国、みたいなイメージでひとくくりにしたのですね。

そろそろこの「イギリス」という呼び方を何とかしたほうが良いと思いますが、世界史の教科書をはじめとして、この「間違った通称」は払拭されていません。
僕は毎回、授業で訂正しているのですが。

大変!

なんと、安倍晋三元首相が奈良で街頭演説中に撃たれ、心肺停止に!

何が原因なのだろう。

なんか時代がどんどん巻き戻っていくような情勢が続きます。

残念ながら、亡くなりました。
他人事ではありません。
死ぬのは、やはり辛いことだと思います。

政治家へのテロ事件は、過去、数多く起きています。
まとめておきます。

【戦前】

1921年 原敬・首相の東京駅での刺殺事件。
1930年 浜口雄幸・首相もやはり東京駅で銃撃され、一命を取り留めたが、首相を辞任。
1932年 5月15日  五・一五事件犬養毅首相が首相官邸を襲撃した海軍青年将校らに暗殺される。

【戦後】

1960年7月 安倍氏の祖父である岸信介・首相が内閣総辞職前日、首相官邸から出てきたところを元右翼団体メンバーだった男に登山ナイフで左太ももを刺され、重傷を負った。
同年10月 社会党委員長の浅沼稲次郎氏が日比谷公会堂で開かれた総選挙に向けた演説中に、演壇に駆け上がってきた右翼少年に腹部を刺されて死亡した。
1975年 三木武夫・首相が佐藤栄作・元首相の国民葬の最中、日本武道館の西玄関前で遺骨を出迎えるために待機していたところを右翼団体の男に顔を殴打された。
1984年 宮沢喜一・元首相は、宗教団体を名乗る男に都内ホテルに呼び出され、面会したところ灰皿で殴られる事件に遭った。
1989年 山口鶴男社会党書記長が滋賀県での演説会で右翼の襲撃を受け、首を殴打されたが、犯人が拘束されるとそのまま演説を続けた。
1992年3月 金丸信自民党副総裁が栃木で演説中、右翼団体構成員の男に銃撃された。金丸氏は無事だったが、その直後に東京佐川急便からの5億円の闇献金事件が発覚し、検察の捜査を受けて副総裁を辞任。
2002年 民主党石井紘基・代議士が東京・世田谷区の自宅駐車場で山口組右翼団体代表の男に柳刃包丁で左胸を刺されて死亡。
2007年 長崎市伊藤一長市長が暴力団幹部に射殺される。