にこたろう読書室の日乗

死なないうちは生きている。手のひらは太陽に!

0540 起床 気分快 曇 「知の巨人」はアナログのカオスの海から、情報を見逃さずに掬い取る、と言う話。

血圧値 115/78/74  酸素飽和量 98% 体温 36.4℃ 体重 67.4キロ

ヒトが、こんなにも「検索」をするようになったのは、何年前くらいからなのかな。
それも「紙」の辞書じゃなくてインターネット検索。

これはかなり凄いこと。
また、これはかなり危いことでもある。

電池切れとか圏外困るし。スマホ失くしたらパニック。
この前、脳出血でひっくり返って救急搬送されたとき、スマホ握ってなかったらどうなったろう?

このことは人類の在りかた、人の定義を変えたのではないか。
ひょっとしてみんな、ちょっと賢くなった?

「検索をするサル!」

なら、「情弱」とは何か。

「検索できないサル!」

こんな感じ。

情弱とは、情報資源に満足に「アクセスできない人」や、情報を充分に「活用できない人」を指す俗称である。
二つの側面、環境と能力の問題。

①本来の意味:「情報弱者」の略称
情報環境が良くない場所に住んでいたり、情報リテラシーメディアリテラシーに関する知識や能力が十分でないために、放送やインターネット等から必要な情報を享受できていない人。
これは情報格差の問題。
コンピュータやインターネットが発達・普及している、現在の高度情報化社会においては、得られる情報の量や質の差が、社会的、経済的な格差を生みやすい。
この格差において不利な側に位置する人が情弱と呼ばれる。

②揶揄して言う意味:インターネット上などでは別の意味で用いられる
各種の情報に疎くて上手に立ち回れない人を揶揄して言う言葉。
インターネットは利用できるものの、ITリテラシーが低いために、自分で検索を行わず、Q&Aサイトや電子掲示板などで初歩的な質問をするようなユーザーに対して、ののしる意味で用いられる場合も多い。

さて。

「情報」を鬼のように集め、それに基づいて思考・行動・批評し、良い仕事をした人の一人、「知の巨人」立花隆が亡くなって(2021年4月30日 80歳没)、ずいぶんになります。

こういう人。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%9A%86#%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%89

ジャーナリストの条件について論じた立花さんの文章のなかに、「それは何事についてもすぐに半可通になれる能力」を持っていることだという一節があったと思います。
とにかくテーマを次から次へと変えてしかも専門家を超える独自の視点を持ち得ていました。
これはアウトサイダーゆえに、インサイダーの専門家には持ち得ない視点、他の分野との関係性という点からその問題を掘り下げられたからでしょう。

ジャーナリズムは、好奇心のかたまりのような素人が良い、と彼は言っているのですね。
特定のジャンルのしがらみに捕らわれない視点、というのかな。「士大夫」の生き方か。

彼が、「近ごろ流行りの断捨離ブーム」について、「ごちゃごちゃの部屋は、片づけない、本は捨てるな!」、とTVのインタビューかなにかで怒っていたのを思い出します。(出典忘れました。)
上の写真を見直すと、なんとなく雰囲気が伝わります。

眼に見える、自由に触れる、いつも身の周りにある、情報のカオスの中からこそ、奇跡の偶然のようなアイデアとの出会いがある、と言いたかったのでしょう。
情報やデータ同士が偶然に出会ってお互いが誘発する新しいイメージ。これを見逃さずに掬い取る自分の感性。これを大事にしよう、と。

一理あると思います。
僕も今、そのカオスを片付けているから。

僕の今回の3か月の入院中、情報は限られました。
スマホとノートPCによるインターネット回線。壁のTV。数冊の本と雑誌。

外の世界は未曽有の大変化・大激震!
(コロナ感染症の拡大、プーチンウクライナ侵攻、北京オリンピック、知床観光船遭難、幼女遺骨発見、群発地震、著名人の自殺、などなど)

何とかついて行けたのは、限られた情報にかえって集中ができたからでしょうか。
でも、視野の狭さ(複視になったし、耳も変!)、もどかしさからくる、漠然とした不安を抱いたのも事実です。
終身刑(日本の無期懲役はちょっと違うけど)とかになったら、これが死ぬまで続くのかな。それも嫌だなあ。

とりあえずワンルームで、最小限のモノと情報で暮らす。
問答無用でこうなったのですが、3食据え膳で、電波と電気と水が確保されてれば、3か月くらいへっちゃらだし。
お姉さんも優しいし、只ならこのまま一生居てもいいかも。

ミニマムな人たちって、これができてるのかな。
孤島や山奥で、電波圏外でも、できるのかな?

思い出は色あせなくても、思い出の品は劣化していく。
紙のデータは、かさばるし鬱陶しいが、触っているうちに立ち昇るものがある。
モノが思い出を喚起させてくれる。アナログがもつ懐かしさが、心地よい。

この二律背反にどう向き合うか。
やっぱり、歳をとったのかなあ。