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作品が中途半端で終わってしまうケース、を考えています。
江戸川乱歩がよくやらかした、という話を検証してみょうと思うのですが、前振りとして、音楽の話を先に。
有名なのは、シューベルト。
「未完成交響曲」(交響曲第7番、あるいは8番とも呼ぶ)はシューベルトの最も有名な未完成作品です。なんたってそういう呼び方が「公称」になってるし。

最初の2楽章のみが完成しており、第3楽章はスケッチ程度。
実際はスコアが1ページだけあってあとはピアノ譜だったかな。
なぜ完成しなかったのかは謎のままです。ほかの歌曲にかまけて忘れちゃった、というあたりが実際かも。
ただ、1、2楽章は壮大かつ繊細な名品。カチッとしたソナタは苦手とか言われてたけど、まあ、やれば出来る人、だったはずですね。
壮絶なのはモーツアルト。
やはり「レクイエム(死者のためのミサ曲)」だろうなあ。
モーツァルトの最後の作品であり、モーツァルトの死によって作品は未完のまま残され、弟子のフランツ・クサーヴァ・ジュスマイヤーにより補筆完成された(とされる)。
全曲の半分くらいのところの「ラクリモーサ」の8小節までモーツアルトの書いた譜面が残っていて、あとは不明、という問題。

なので、ここで演奏を止めるか、あるいはジュスマイヤー版をはじめとするいくつかの補筆版で、一応全体の形をつけるか。
実際はその後の2曲「ドミネ・イエス」と「オスティアス」もほぼスケッチができているという説もある。
モーツアルトからいろいろ指示を受けていると主張するジュスマイヤー版に、「ラクリモーサ」の終結部にあったはずの「アーメンフーガ」が無いというのも謎。さらに言えば、モーツアルトの完全なオーケストレーションは第1曲のキリエ・フーガまでである、なんていう説もあるし。
この話題は沼るので、ここまでにしておきます。
あとはさらっと触れます。
☆
ブルックナーは1896年10月11日、死去する日の午前まで第4楽章の作曲に携わったが、午後3時過ぎに息を引き取り、結局全曲を完成させることはできなかったのです。未完成に終わった第4楽章の自筆楽譜は、ソナタ形式の再現部の第3主題部でペンが止まっているらしい。
すごく良い曲なので、3楽章まででもそのまま演奏するのが常識になっています。シューベルトの場合と同じ。
ブルックナーは「テ・デウム」を繋げてやってね、と言ったらしいがみんな無視してます。
マーラーは「第10交響曲」に取り組んでいましたが、これも完成する前に亡くなりました。とくに第1楽章(アダージョ)はほぼ完成しており、後のいろいろな音楽家が残りを補筆しました。
他の楽章に関してはかなりのスケッチ等が残されているため、いろいろな版の「復元版」が存在し、演奏もされます。普通はモリス版かな。
ベートーヴェンは第9交響曲の後も新しい交響曲に取り組んでいましたが、完成させることなく亡くなりました。残されたスケッチをもとに後世の音楽学者が再構築を試みていますが、これは無理があります。
そもそも第9番の終楽章も、本来は管弦楽のみで(合唱抜きで)構成されるはずだったのではないか、という説さえあります。
バッハの対位法の集大成ですが、あるフーガは未完のまま残されています。彼の死によって筆が止まったと考えられています。
こんな感じ。
「第14コントラプンクトゥス」は、3つ目の主題が導入された後の第239小節、3つの主題が重なって登場した直後で突然中断されている。
自筆譜には、バッハの息子であるC・P・E・バッハによって、「作曲者は、"BACH"の名に基く新たな主題をこのフーガに挿入したところで死に至った ("Über dieser Fuge, wo der Nahme B A C H im Contrasubject angebracht worden, ist der Verfasser gestorben.")」と記されている。

宇宙の構造図みたいな曲で、人類の永遠の宝物。
B・A・C・Hという彼の名前を音に置き換えたテーマを自在に織り込んで、4重フーガを展開しようとする途中で、突然音楽が終わります。
宇宙の終焉を垣間見るような、絶望的な暗黒空間が目の前にひろがります。
バッハは楽器の指定をしていないので、下の例のようにやっても良いのですが、ひょっとすると人間によって演奏されることは想定されていないのかもしれません。
「未完のフーガ」は初音ミク・バージョンでどうぞ。
オペラとして構想された作品ですが、ラヴェルは途中で放棄しました。
1932年10月、57歳のラヴェルはパリで交通事故に遭い、それを契機に、それまでも兆候を見せていた記憶障害や失語症の症状が一気に悪化。頻繁にスペルミスをし、動作が緩慢になり、一日なにもせずただ庭を見ているだけの日が続く。そして、ついに自分の名前も書けなくなります。
最晩年にオペラ「ジャンヌ・ダルク」を構想していたが、「頭の中では完成してるしその音を聴くこともできるのに、いまの僕にはそれを書き留めることができないんだ」と涙ながらに語ったといいます。
アルノルト・シェーンベルクの、「モーゼとアロン」。
このオペラは第2幕までが完成しており、第3幕はスケッチのみにとどまっています。シェーンベルクはこのオペラの構想を何年にもわたって練っていました。1930年にオペラの台本を作成し、その後、第2幕まで作曲を進めました。しかし、ヒトラーによりユダヤの家系だったシェーンベルクは迫害を受け、アメリカに移住します。シェーンベルクは亡くなる直前まで作曲再開を試みようとしていましたが、結局、第3幕は作曲されず、このオペラは未完に終わりました。
クロード・ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。
象徴主義の詩人マラルメの「牧神の午後」の舞台用音楽のために作曲されたもの。「牧神の午後」は未完成となり、「前奏曲」だけが残った。詩は、真夏の午後の森で牧神が水の精に欲望を感じて思い悩むさまが描かれる、暑さに圧倒されて動かない大気のなかを牧神の葦笛だけが流れていく」というような内容の詩。
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こうした未完の作品は、逆に作曲家の創作過程や葛藤を垣間見る貴重な手がかりとなっています。
完成しなかったからこそ、逆にその「不完全さ」に魅力を感じる人も多いですね。