血圧値 129/83/79 酸素飽和度 98% 体温 36.3℃ 体重 69.2キロ
今週半ばから、高等学校の教壇に復帰することになりました。
退院以来、2年半ぶりの、先生のお仕事。
「世界史」の近現代の集中講義。
ちょっと緊急の補充が元の勤務校に必要になって、すぐ動けるやつはおらんか、ということに。
なので、12月末までの4か月間のワンポイント・リリーフ。
そもそもできるんか、という問題ですが。
急遽、雇い入れ用の健康診断をやりまして、結核でも肺がんでもない(ここが文科省的には重点チェックポイント!)、ついでに血液検査・心電図・尿検もオールクリア。
脳幹出血という病気の後遺症については、奇跡的に回復した(軽く済んだ)、と言えるのではないか。
モノがずれて見える(複視といいます)とか、耳が聞えにくいとか、目が回って歩けないとか、緊急搬送当初の問題は、3か月の入院・リハビリでほぼクリアできました。
現状、これといった運動障害はなくて、感覚障害がまだ少々遺っている、というくらいです。
知的能力と記憶は壊れませんでした。
(視力と頭はむしろ前より良くなった!)
歩くとふわふわするとか、手足顔などの末端が痺れるとか。
スタビライザー機能がやや不調。
こういうものは慣れるので、外から見るかぎり「お元気そうに見える」という状態です。(微妙ですが、あんなに介護保険料払ってるのに、要支援も要介護も付きません)
なので、メンタルを除いては、まずまずやれんことはない、ということに。
ただ、「15時間/週」の授業を受け持つので、週に6日、毎日出勤のほぼフルタイム。
現役時代でもそうはやらんみたいな条件ですが、まあ、4年間だったら考えるけど、4か月ですから、山本五十六聯合艦隊司令長官の言葉通り、「半年だったら暴れてみます!」みたいな。
僕は入院で中途半端な降板をしましたから、まあ、義理もあります。
ちょっと無碍には出来ないし。
(この言葉、初めて使ったなあ。漢字で書ける自信はない)
これも終活の一環なのかなとも思います。
「仕事」に、落とし前をつける。
山本さんは、近衛文麿に日米戦争の見込みを聞かれた際には「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ」と答えています。
こっちのほうがセリフとしては有名ですが。
ついでに、クイズを。
この写真の4名は山本長官と、その周辺の指導責任者たちですが、それぞれの氏名と役職と階級を言える人は、かなりの歴史通です。(とくに右下が激むず)
☆
このブログ、生存確認用のバイタルチェックのアップはこれまで通り続けますが、あまりボリュームのある本文の記述は、ちょっとスローダウンというか、間歇的になるかも。
やってみないとわかりませんが、はじめのうちはあまり無理をしない程度にしたいと思います。
このブログ、約2年半で、今日付け864回書いたことになります。
うまくいけば、1000回目も、いまにやってくるかな。
ひとつ良い事は、毎日職場に行くようになれば、孤独死のリスクがかなり回避されるのではないか、という点です。
まあ、死んじゃえば僕としては同じですが、周囲にご迷惑がかかりますからね。
これは誰しも、お独り様はおなじ悩みですね。