血圧値 121/80/64 酸素飽和度 98% 体温 36.5℃ 体重 68.5キロ
森戸神社から南下して向かった先の「小網代(こあじろ)の森」は、相模湾に面した約70ヘクタールの森です。森というか、流域地帯かな。
森の中央にある谷に沿って流れる浦の川の集水域として、森林、湿地、干潟及び海までが連続して残されている関東地方で唯一の自然環境といわれています。
アカテガニをはじめとして、希少種を含む多くの生き物たちが、多様な生態系を形成しています。
森には散策路も整備され、市内外から多くの人が訪れています。
地図を拡大します。
京急「三崎口」の駅からちょっと歩くと、この地図の右上の「引橋」という場所に着きます。(今回は車で来ましたが)
ここは尾根筋の頂上で、ここから西に向かって深い谷間が下っていきます。これが最後は小網代湾に繋がるのですが、この自然環境全体を「小網代の森」と呼びます。
「奇跡の森」とも呼ばれます。
何が奇跡かと言いますと。
谷間のてっぺんの源流の辺りで、シダの葉に一粒の水の露が宿り、それがしたたり落ちて、しだいにかすかな水の流れになる。それが幾本もより合わさって小さな水流となり、谷間を潤しながら流れ下り、ついには中流の湿原地帯を形成し、さらには河口の小さな干潟を経て、小網代湾に注ぎ込む。
この小さな小川(浦の川といいます)の流れの始まりから終わりまでが、舗装路などの人工物に分断されることなく、見事に一本に繋がっている。
流域の構造と生態系が、無傷で保存されていて、しかも現役の自然として生き続けている。
人の手によって、この状態が保存されたということが奇跡の正体です。
スメタナの作曲した連作交響詩「我が祖国」のなかの第2曲『モルダウ』(チェコ語ではヴルタヴァ)という美しい曲がありますが、ここへ来ると僕はあれをいつも思い出します。
まさにあの曲は、この小網代の森散策のBGMにこそ相応しい。
【解説付き】スメタナ:「ヴルタヴァ」(モルダウ)連作交響詩「わが祖国」より/Vltava (Die Moldau)Ma Vlast - YouTube
さて、ここが谷の入口。
じつはここを通過しようとしたとき、この周辺の藪の伐採作業をなさっている作業服姿のおじいさん(失礼! おまいう、ですねえ)がおられました。
ああ、NPO(特定非営利活動法人 小網代野外活動調整会議)のかただなあ、お疲れさまです!
特定非営利活動法人 小網代野外活動調整会議 | NPO法人ポータルサイト - 内閣府
???
なんか見覚えのあるおじいさん(失礼!)。
すごく生き生きとして、楽しそうだ。
(イメージです)
岸由二 慶応大学名誉教授
「草を刈ったり木を切ったりしているときが幸せ。生活は学生時代と変わらず、友達は市民運動仲間ばかり」
そういうこの人こそが、進化生物学者で、慶應義塾大学名誉教授の岸由二先生。
さきほどのNPOの代表理事であり、この森の保全に尽力をしてきた人物である。
「奇跡の先生」との、奇跡の出会い。
今日ここにきて、良かったなあ。
犬も歩けば、棒に当たる(失礼!)
なぜ僕が先生を知っているかというと、まだ家内が生きていたころ、いっしょにこの小網代の森のアカテガニの産卵を観るイヴェントというのに参加したとき、岸先生に教えを受けたのでした。
蟹の絵が描いてある紙芝居を使って、とても分かりやすく講義してくださいました。あのときも先生は虫よけスプレーの缶とか提げて、暗い森の中を先頭になって歩いていたなあ。
そのことをお話して、しばらく愉しいひと時を過ごしました。
先生はつねに先頭に立って、なんでも行動する。
研究も、講演も、保全活動も、野良仕事も。
水害と汚染だらけの横浜市鶴見区で生まれ育ち、幼い頃から自然と都市の共存について考えてきた先生が友人に誘われて、この森と出会ったのは、1984年の秋。
その時、先生は「あ、ここは残せる」と感じ、すぐに開発計画を調べ、この森を丸ごと残す作戦を立てて動き始めた。
もともとこの場所は森ではなく、大勢の農家が所有する農地だった。80年代になると、農地は京浜急行によって買収され、「大型のリゾート開発をしよう」という流れになっていた。そこに待ったをかけたわけだ。
先生たちが率いる市民の反対運動が身を結んだのかと思いきや、「いやいや、僕は開発には賛成だった」という。ちょっとひねった戦略ですね。
「ここの保全の最大の貢献者は京浜急行と地主さん。もしリゾート計画がなかったら、ここは普通の住宅街と港になっていた」
「どうせ開発するなら、みんな(企業・地元・自然・地球・未来)にとっていい開発にしましょう」
ここから先生の絶妙な保存運動が始まるのですが、その結果については現在の「小網代の森」に来てみればわかるので、僕が読んだ先生の御本を、読書室から探し出してきて、ご紹介しておきます。
というわけで、岸先生とお別れして森を下っていくと、こんどは何やら朽ち木の切り株を熱心にのぞき込んでいる女性に遭遇。
「これは粘菌というものです」
「ああ、南方熊楠ですね」
「写真撮りますか?」
この方面の研究者のかたなのかな。
いろいろな先生に、今日は会うなあ。
Kamiya くんが木道を歩いて行きます。
この時期、湿地帯はガマとか荻とかが凄く繁茂しています。
今日も天気が良くて陽射しは強いのですが、海から吹いてきて緑陰を渡る風は、気持ちが良い。
アカテガニの現物展示。
普段はこの森の陸地の崖、みたいなところに巣穴を掘って住んでいるのです。
海の蟹ではありません。
リスが居ます。
油壷側の稜線に登って、そこからバスで引橋の駐車場まで戻ろうと思います。
途中、小網代湾のほとりの、小さな神社を通ります。
白鬚神社は三浦七福神の一つで、浜辺の横に建ち、白い髭を蓄えた寿老人が祭られています。小振りな赤い社が印象的で、海に近いせいか、手水鉢も貝殻の形をしていました。
祭神は白髭明神(中筒男命=南極星の化身)。この社は小網代湾が昔から廻船寄港地、また三崎の避難港として全国的に知られていた関係上、「航海安全」「大漁満足」の神として古から崇拝されていた。天文年間(1532~55)、当村の漁夫の夜網にかかった霊光、こうこうたる束帯姿のご神体を御祀りしたと伝えられ、現在の社殿は三浦道寸義同が改修したと伝えられている。
紫陽花が咲いてます。
三浦七福神はこんな感じ。
僕は③④⑤は行ったことあるので、残りはまたの機会に踏破していきましょう。
この動画、とても面白いので、初めて小網代に行くかたは、あらかじめ視てみてください。
この後、バスで引橋に戻って、お昼を食べようということで三浦海岸駅近くのお店に行きました。ここはよく行くお店です。
海わ屋
今回の旅は、ここで終わりです。